競争なくして成長なし。でも競争相手はなんでもいい
「競争」は人を成長させることは事実であるが、私たちがつい思い込みがちなことが1つある。それは「競争相手」についてである。
競争相手。そう言われて思い浮かべるのは常に「人」だろう。しかし成長のためには必ずしも、誰か他人でなくてもいい。もっと言えば人ですらなくてもいい。私たちは成長のために、そういう人格的な存在を求める必要は、実はないのである。
にもかかわらず、私たちは基本的に競争は誰か他の人間とやるものだと思っているし、そのほうが競争している感があっていいと考える。
たとえば競争相手に最適なアンドロイドロボットが開発されたとして、嬉々として競争しに行かないはずだ。むしろそうやって「人以外のもの」と本気になって競争しようものなら、どこか哀れみの目で見られること間違いない。
私たちは自然と、競争を人とするものだと思っていて、それはもちろん私たちが人だからだ。
でも、その思い込みのせいで成長のための競争に、ハードルが増している。勉強でいい成績を出す、スポーツで記録を伸ばす、仕事で成果を出す…そういう成長が必要な時というのはいつでもあって、そのたびに私たちは、聞かされ、経験してきたことを思い起こすのだ。「こういう時は競争相手がいる」のだと。
そこで自然と人間を求めてしまうのは無理からぬことだ。でもそれにこだわる必要はないことにも、気づくべきなのである。
なぜなら成長のために私たちには確かに壁もなくてはならないけれど、より大事なのはその壁を「乗り越えよう」とする自らの精神であるはずだからだ。
それをきちんと獲得し、そして適切に用いることで壁を乗り越え、かつてできなかったことができるようになる。それこそが成長の主軸であって、そのために乗り越えるものはなんだっていい。
孤独でも、成長はできる。
そう思えないのなら、そう思ってこなかっただけである。私たち人間のポテンシャルはそこまで浅くない。
競争は人を成長させる。
でもあくまでも必要なのは「競争心」であって、その相手は千差万別、なんだって務まるはずなのである。
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