利害の一致というまやかしを受けとめて
すごく単純で見落とされがちなことの1つに、この世に住むほとんどの人はそれぞれの利害を一致させられない、というものがある。つまり誰にとっても、「その人だけの利益」と「その人だけの不利益」があって、しかもそれは他の人にとってはそうではないのだ。
即ち、利害の一致というのはとても稀だということを受け止めねばならない。そうでないと私達は時として、誰かとわかり合うことを絶対的に正しいものだと思ったり、考えを押し付けたり、言動を強制したり、そしてそういった強い意志に合わせて頷きたくないことにも頷いてしまったりすることがある。
自分自身の想いを尊重するのなら、それらは健全ではない。他者に合わせるというのは社会のためなので、個人は蔑ろにされるからである。しかし時として私達はそれをする。なぜなら、わかり合えると思うからだ。今、誰かの利益に賛同すれば、それは自分のためでもあるのだと。価値観の共有ほど大それたものではないが、同じ方向を向いていれば(そう思っていれば)同じ結果を得られるのだと。
もちろん全てがまやかしというわけでもなく、時として他者と自分の利害は一致することはあるだろう。とはいえそれは偶然でしかない。そして別にそれは、いいことではない。
重要なのは、単にわかり合えないなどということではなく、もっと基本的な問題としての「利害の一致は難しい」という点である。むしろわかり合うほうが簡単かもしれない。それがどのような状態のものであれ、それは達成されるのだから。
けれど利害はそうはいかない。それを合わせられるなどと思わないことだ。求めないことだ。それでもそうしたいのならば、覚悟を決めるべきである。
利害は他者と一致しない。そのことだけは単純で強い事実として、この人間社会を貫いている。
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