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歴史に埋もれた男|重光葵
重光葵(しげみつまもる)を知っていますか。
重光は戦前、戦時中、戦後に外交官、政治家として活躍した人です。
私は重光から勇気をもらい、自分の悩みが大したことないように思えるようになりました。
日本が嫌いだと思っている方や、私のように自信がないとお悩みの方に
「重光葵」を知ってほしいです。
あなたの苦しみは、あなたの心ひとつで変えることができると私は信じます。
重光の人生は波乱万丈
重光の人生は波乱万丈です。
第一次世界大戦のときには敗戦国であるドイツにいて、1932年の中国在勤中にはテロで片足を失います。
第二次世界大戦中では2回も外務大臣を務めます。
日本は第二次世界大戦に敗戦し、重光は1945年9月2日に降伏調印に署名。
同日、「日本に軍政を敷く、公用語を英語にする」などとしたGHQと交渉。
これを退けることに成功。
その後はいわゆる戦争犯罪人を裁く東京裁判にかけられ有罪、巣鴨プリズンで7年の刑期を過ごします。
刑期後は政治家に転身し、ロシアとの北方領土の交渉にあたったのが有名です。
また日本が国際連合に加盟するのに尽力し、1956年12月26日演説を行います。
「日本はある意味において東西のかけ橋となり得る」と。
つねに前向き
1932年中国との停戦交渉中にテロにあい、生死をさまようほどの大けがをします。
しかし、重光はテロの犯人は中国人でないことを聞き、
「中国人ではなかったから、停戦には影響ない」と判断し、停戦に調印します。
このとき重光は片足を失うのでした。
せっかく停戦をしたにもかかわらず、日本はその後、中国との戦争に入ってしまうのです。
日本の名誉を背負う
重光は1945年9月2日、アメリカ戦艦である「ミズーリ号」甲板上で行われた連合国への降伏文書調印式で日本全権(日本の責任者)として署名します。
敗戦したため、当時この役目は大変な「不名誉」であったたそう。
このため、引き受ける人がなかなかいなかったことが知られています。
そうでなくとも、戦争を終わらせたくない日本人のテロの危険性もあるうえ、アメリカ、イギリスをはじめとした軍人たちに大勢囲まれた中での調印式。
どれだけの恐怖であっただろうと思います。
そんな中、日本の誇りをを汚さぬよう、礼服で背筋を張って事にあたるのでした。
日本が英語圏になるのを退ける
「日本が英語圏だったらこんな苦労はしなかったのに」と思ったこともあるかもしれません。
それが実現しなかったのは重光の仕業です。
日本の敗戦とともにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が占領することとなりますが、1945年9月2日、突如GHQから「軍政を敷く」と知らされます。
具体的には、
公用語は英語
「円」を廃止して別な通貨にする
裁判は占領軍の裁判で
というように、日本が自国を直接統治できないことに。
重光の交渉により、GHQの指令に基づき日本政府が実行する体制に落ち着きました。
私が重光から教わったことは不都合な事実から目をそらさないこと
大切なことはまずは受け入れること。
どんなに敗れてボロボロだろうが、失敗しようが、不名誉だろうが、悪いことをしてしまっても。
重光は閣議で「降伏」について話し合われた時のことを、手記にこう記しています。
「降伏という字は屈辱であるので他の言葉に変えられないか」と言われたことを受け、
「降伏は事実であり、単なる終戦とは違う」と反論します。
「事実を事実として承認することから出発して初めて終戦後の日本の生きる途がある」
と言って「降伏」の字を使うよう促します。
そして日本国民にも、降伏したという事実を見据え、責任を持ち、辛い時期を努力で乗り越えようと促しているのです。
新聞や自著などで、同じような意味の言葉を発信しています。
重光は叩かれた。
これを日本国民に負わせることではない、と。
そして今もなお、日本においては「終戦記念日」だけよく知られている状態です。
ただ、戦争が終わっただけ、と。
降伏調印をした重光のことさえ、あまり知られていないのです。
重光は未来を信じたんだと私は思います。
不都合な事実から目をそらさない。
つらくてもくじけず、前を向く。
全てを引き受け重光は自分の言葉通り、降伏調印の場で世界に誇りを見せようとしました。
私はその姿にとても衝撃を受けました。
不都合な事実から逃げていたからです。
あなたはどうですか?
不都合な事実とは、私にとってはダメな自分、問題の多い状況のこと。
自分はダメな人間だから、自分を受け入れられないと思っていませんか。
自分を苦しめている日本社会なんて、愛せない、そう感じていませんか。
重光は戦時中外務大臣をしていたので、責任をとるのは当然だ。
国民には責任がない、だから事実なんてのも関係ない。
そう思うかもしれません。
重光から感銘を受けた私は、丸ごとそのまま否定せず受け入れることにしました。
ダメな自分。
できない自分。
解決できない問題。
そうして分かったことがあります。
苦しみは自分だけのものではないこと。
苦しみは他の何かのせいでなく、自分が生み出していたことに。
そして、一番苦しかったことは、何もできない無力な自分という思い込み。
できることを考えず、行動せず、やれないことばかり考える自分が苦しかっただけなのです。
もし、あなたが重光から感銘を受けることができたのなら、事実をそのまま受け止めてみませんか?
すぐにできなくてもかまいません。
私のように、あなたの気持ちは驚くほど軽くなるかもしれません。
重光の魅力が満載!おすすめ動画・書籍
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実際に重光葵(しげみつまもる)が調印している動画が見られます。
ミズーリ号への道|外相重光葵・33冊の手記(※一部カット済み)
重光とGHQとの交渉についてはこちらのマンガをおすすめします。
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