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読書会 芥川龍之介『河童』レポート
2025.01.31 読書会 交流メモ
23号患者
芥川龍之介略歴
・1892年〈明治25年〉3月1日~1927年〈昭和2年〉7月24日/35歳)
・牛乳製造販売業を営む新原敏三、フクの長男として中央区明石町(現聖路加病院の辺り)に誕生
・生後7か月頃、母に精神異常が見られ、現墨田区両国にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに養育される。
・11歳のときに母が亡くなり、翌年に伯父 芥川道章(フクの実兄)の養子となる。
・芥川家は徳川家に仕えた家で、芸術・演芸を愛好し、江戸の文人的趣向があった。
・1910年(明治43年)18歳、中学の成績優秀で無試験入学が許可され旧制一高英文科に入学(同期入学に久米正雄、松岡讓、佐野文夫、菊池寛、恒藤恭、倉田百三等)
・1913年(大正2年)、21歳、東京帝国大学文科大学英文学科へ進学。
・東京帝大在学中の1914年(大正3年)2月、一高同期の菊池寛、久米正雄らとともに同人誌『新思潮』(第3次)を刊行、文学活動を開始。
・1916年(大正5年)24歳、帝大卒業後、海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)として教鞭を執るかたわら、文筆活動を続け、1917に『羅城門』を発表。
・1919年(大正8年)27歳3月、海軍機関学校の教職を辞して大阪毎日新聞社に入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念する。
・1919年(大正8年)3月12日、友人の山本喜誉司の姉の娘、塚本文と結婚。
・1920年長男 比呂志 誕生
・1921年(大正10年)3月、海外視察員として中国を訪ねて7月帰国、『上海遊記』を著わす。この後から次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを患い、この頃から私小説的な傾向の作品が現れる。
・1922次男 多加志 誕生
・1925年(大正14年)頃から文化学院文学部講師に就任。
三男 也寸志 誕生
・1926年(大正15年)、胃潰瘍、神経衰弱、不眠症が昂じ、再び湯河原で療養。
・1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられ自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見ることになった。
4月頃、芥川の秘書的な役割を果たしていた平松ます子は芥川から心中を持ちかけられ、小穴龍一や文夫人等に知らせて阻止した。
7月24日未明、斎藤茂吉からもらっていた致死量の睡眠薬を自宅で飲んで自殺した。
没後、久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記」(7月遺稿)が見つかる。
その中で、“ぼんやりした不安を解剖し、「阿呆の一生」の中に大体は尽してゐるつもり”と語っている。
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『河童』のストーリー概要と感想
・『河童』は、その姿を借りて人間世間をアイロニカルに表現し、また、芥川の思いを表した作品だったと思う。
・社会に対するアイロニカルな例としては、以下のような記述がみられる。
*序 S精神病院の第二十三号患者が「物語」を語り終えた後に怒鳴る言葉
*四章の河童の常識は人間の常識と異なる(人間がまじめに思うことを河童はおかしがる)
*児の出生に当たり、河童の子供に生まれたいか否かを尋ねる
*七章の耳のない河童が音楽の演奏会に行く
*八章の機械化で不要になった労働者が殺されて皆の食卓に上る ・・など。
・また、芥川の思いを表している部分としては、十章の音楽家クラバックが詩人ロックを評した語りが龍之介の作品に対する苦悩の表出の様にも思われる。
*「何か正体の知れないものを、――言わばロックを支配している星を。」
「ではこう言えばわかるだろう。ロックは僕の影響を受けない。が、僕はいつの間にかロックの影響を受けてしまうのだ。」
当時、注目され出したプロレタリア文学とか自然主義文学の影響を考えざるを得ない自分に対する軽いアザケリかもしれない。
・そして十一章は、哲学者マッグの『阿呆の言葉』として、後の著作『阿呆の一生に』通ずる自分の思いを述べているように思われる。特に「クラバックはこの章の上へ爪の痕をつけていました。」と附言しているところに注目したい。
・十三章は龍之介の強い自殺願望を彷彿とさせる。自殺した詩人トックの言「いざ、立ちてゆかん。娑婆界を隔つる谷へ」は、自身の生活上のさまざまなしがらみに決別しようとしている様にも思われる。
そして、次のような表記は芥川自身を語っているようにも思われる。
*医師チャックは、「もう駄目だめです。トック君は元来胃病でしたから、それだけでも憂鬱になりやすかったのです。」
*哲学者マッグは、「トック君の自殺したのは詩人としても疲れていたのですね。」
*音楽家クラバックは、「・・・・僕もまたいつ死ぬかわかりません。・・・・・トックはいつも孤独だったのです。」
*そして僕は、「二歳か三歳かの河童が一匹、何も知らずに笑っているのです。僕は雌の河童の代わりに子どもの河童をあやしてやりました。するといつか僕の目にも涙のたまるのを感じました。」は、2年前に生まれた三男 也寸志 を意識した表現の様にも見える。
以下は読書会参加者の交流記録
*発言者の登場名は、『河童』に登場するキャラクタを順に、発言順に割り振ったもの。
*記述内容は本人の言葉を忠実に起こしたものではなく、その意を汲んで簡潔に表現したつもり。本作にあまり関係ない部分と思われる内容は、省いている部分もある。
S院長 芥川は明治42年に上高地を訪ねて、『槍ヶ岳紀行』を著わしている。頂上を踏んだかどうか分からないが、その記憶を温めていて、この作品が編まれている。
・当時は現在のアクセスルートではなく、徳本峠越えのルートでハードであったにも拘わらず、芥川がよく行けたものだと思う。また、大正池はまだなかった頃だ。
チャック 河童の世界に迷い込むのは、昔の徳澤園という牧場の辺りで、麓だと思われる。
・作品は、文明批判でもあるし、芥川の自画像でもあるが、後半が重苦しく、読むのが辛かった。とは言え、それを創作として表現した芥川の才能を感じさせるものだった。
・精神病者に自分を重ねなければならないところに追い詰められた芥川を感じた。
バック 児の出生の場面では、昨今の遺伝子判定や優生保護などの観点から考えさせられるものが有った。母体の負担を考えれば臨月を待たないで決断しても好いのではないかとも思う。
・詩人トックの自殺後の交霊会が興味深かった。
霊媒師を通したトックの問が、自殺を考えている芥川の思いにつながっていると思った。
・生活教の聖人に 独歩 が挙げられ、「轢死する人足の心もちをはっきり知っていた詩人です」と紹介されているが、ここで取り上げられる意義はどこにあるのか?
S院長 今詩人 独歩 についてまとめているが、彼を崇拝する後進が多いことに驚いている。芥川も彼を評していたことをこの作品を通して発見した。
ゲール 先月の話題で田端を訪ねていたので、この作品を理解するのに役立った。
・作品は、田端時代の活動を下に、その思い出、当時の世情を描いた回顧作のような気がする。超人クラブ(詩人、小説家、戯曲家、批評家、画家、音楽家、彫刻家、芸術上の素人等)のメンバーは田端での集まりを彷彿とさせ、そのメンバーへのリスペクトを感じる。
・当時の世情に基づくものだとは思うが、6万人超の解雇、36万人超の戦死者、ニコライ堂の10倍などの具体的な記述に、何をイメージしたのか想像を膨らませ楽しく読んだ。
ラップ 皆様、芥川や世情などの背景を理解しながら理解しておられるものと感じた。
・世情や人間界をあざ笑うような描写はクールで巧さを感じるが、温かみが感じられず、辛い。このようなスタイルで生きるのは辛かったことだろうと思った。
トック 河童の世界の様子がリアルに感じられ、河童の世界を訪ねて見たくなるようでした。
・児の出生の場面では、生れて来ても好かったのに・・と思った。
・これまで『蜘蛛の糸』しか読んでいないが、他の作品も読んでみたい。
マッグ 河童の容姿や話題が面白く始まったが、次第に話題がシアリアスになって、重苦しい気分になったものの、超人クラブの辺りは興味深く読んだ。
・次のような表現には立ち止まってしまうような感じがした。
*幸福は苦痛を伴い、平和は倦怠けんたいを伴う・・・
*卵焼きが恋愛よりか衛生的・・・など
クラバック 河童の容姿の描写が生々しい。
・表現の繊細な部分としては、“言葉で死刑が出来る”など、芥川の世界感が表現されているのではないかと感じた。当時の世情は戦争が近づく頃として検閲が顕在化し、自由を好む芥川の苦痛を描写しているように思う。
・そのような世情に在って、芥川は平穏な生活を求めていたようにも思う。それを、次のような表記に感じた。
*「年よりのように欲にも渇かわかず、若いもののように色にもおぼれない。とにかくわたしの生涯はたといしあわせではないにもしろ、安らかだったのには違いあるまい。」
・自分の身の回りに生きづらさを感じている人々が居るのを見ていると、娑婆界での生きづらさを感じるものの、詩人の自死に重ねる芥川でありながら、平穏な生活への希求も有った様に思われる。
巡査 ほぼ100年前の作品だが、現代の社会にも通じるものもある(人間世界は変わらない)
・軍国主義が擡頭、不況の時代、資本家と労働者の確執などの世情をアイロニカルに描写しているように思う。・・が後半は宗教や哲学などに話題に移り、芥川の疲れを感じる。
・河童の名前とキャラクタの設定が面白かった。
・「水虎考略」の水虎は河童のこと、『山島民譚集』は河童のことと馬のことが半々でおもしろいことが書いてある。芥川の『河童』の参考になったように思われる。
・独歩 が取り挙げられたのには驚きがある。
・河童の世界では、音楽には演奏禁止があるが、文学や絵画に制約がない。また、映画が話題に上らないことに気づき、面白いと思った。
・メスがオスを追いかける記述は、獺との戦争によってオスが少なくなった結果ではないかと思われる。現に南米パラグアイの歴史にその例を見ることが出来る。芥川はこのエピソードを知っていたのではないか。
S院長 河童は身近な存在だった。私も、『河童芋銭』を著わしているので参考にして欲しい。柳田も書いているが、河童は水陸両性で両界を行き来する極身近な存在だった。
ペップ 前半はしっかり読んだ、後半は飛ばし読みになってしまった。
・人間が縛られている倫理観・道徳感などに対する疑問を投げかけている印象だった。
・特に印象に残ったのは、“児の出生への問“だったが、芥川の自死の前に行き当った問なのだと思う。
・孝行が当たり前のように思われているが、児の出生は親の都合によるのが現実、そのような家族神話への疑問を投げかけ、自死も自分の決断で・・と思い始めていたのではないか
・「運命を決めるのは信仰と境遇と偶然」という記述に大きく頷くものがあった。
・「いかなる犯罪を行ないたりといえども、該犯罪を行なわしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を処罰することを得ず」という記述は、韓国ドラマで耳にする表現のように感じた。
・「親だった河童も親である河童も同一に見るのこそ不合理です」という表現は、過去と現在の不連続性に着目するのか、「親」の同一性に着目するのかで見方が変わって来ると思われる。
ロッペ 河童世界の描写で、職業とキャラクタを能く表現し、読者はそのキャラをイメージし易い。
・解雇された河童を食べるという話の意味は何か?
23号患者 当時、職を失うことは食べて行けないことに繋がっていた。貧しい家庭では娘を売ったりして一家が食いつないでいた。これは誰かを犠牲にして生きる世の常をシンボリックに表現したように思われる。
クイクイ 昔に読んだ。今日再読したが、全然覚えて居ない。今日は皆様の感想聴くだけ。
ゲール夫人 半分も読んでないが河童の世界に行くまでのイントロに強引な書き方を感じた。
・児の出生場面の描写は、芥川が感じていたことを開き直って描いたのではないか。
・『蜜のあわれ』と同様な感覚を持った。それは、初期の芥川の教科書に載るような作品と異なり、「自分の書きたかったことを書く」というような感覚で、美術館で感じる感覚と同種のものであるように思われる。(補:作者の創造性、表現の自由性などのことか)
・これまで、作家は読む人に分かり易く書くのが一般的だと認識していたので、思いを新たにした。
ロック 今回の作品には乗れなかった。それまで培われて来た河童の世界を踏襲して居らず、人間臭い河童の世界になった。
・柳田は『妖怪談義』を著わしたが、その約半分が河童の話で、当時河童は世に一般的だった。柳田は芥川の河童を個人主義にしていると批判した。
・この作品では、河童が群れで行動し、悪戯好き、キューリを好み、人と相撲をとるように、悪さもし、人助けもする民話に出て来るキャラクタの様には描かれていない。
・そのような河童を使った娑婆界の風刺が現在にも通用する作品なのか分からない。その点からすれば、この作品の普遍性に弱さがあるのではないか。
23号患者 ロックさんの見解は理解できない訳ではないが、耳の無い河童(鑑賞力が劣る)が音楽会行く、他人を犠牲にして生きている、教義を能く理解しないまま御利益だけを信じる宗教信仰の一面など現代につながるペーソスが有るのではないか。
巡査 芥川は同時期(補:5-6月)に『本所両国』を著わしている。その中に河童が出て来て面白い。(都会を流れる隅田川にも河童が居た)
・疑問:河童の国が急に憂鬱になったのは何故か?
23号患者 後半の内容が憂鬱な内容で、作者(芥川)が憂鬱になり、作品の終わり方のポイントになったのではないか。
ロック 河童世界をよく知り、人間世界と同じ様に憂鬱になり人間界に戻ろうとした。
S院長 他の世界(民族)にも河童のような存在があるのか?
ロック 河童は中国がオリジン。河童は視覚でなく気配や聴覚で感じるもの、それが人との接点。
・そのような河童をイメージしている人には人間臭い河童に違和感を持つのではないか。
マッグ 河童語の初めに「Q」の文字が使われている背景は?
S院長 オノマトペではないか
マッグ タイトルの「カッパ」と発音してほしいという理由は?
ロッペ ”カワワラワ“ではないということ
巡査 全国に様々な呼び方があるからここでは統一しようとしたと思う。
S院長 『河童芋銭』に書いたが、全国様々な処に河童が出現し、様々な呼び方があった。
23号患者 マッグさんの「Q」の文字については、ポルトガル語にはQで始まる語がある。また、語尾にXが付くところなど、仏語に造詣の深い芥川ならではの表現ではないか
(補:仏語のqueは接続詞、疑問代名詞(what))
クラバック 疑問:河童が時間を経て若返るのはどういうことなのか?
補:何方からも見解がありませんでしたので、23号患者が私見を記します。
クラバックさんが注目した「年よりのように欲にも渇かわかず、若いもののように色にもおぼれない。」という記述が人間界の年齢とは反対であることを思えば、理解できるように思う。人は身体的に若い故に色におぼれ、老いては無欲でしょうから、初めに老体があり、時を経て若い身体になれば悩まなくて済むものと思われる。
次回の題材は、さまざまな意見、候補がありましたが、次の通りに決まりました。
古井由吉 山躁賦 日時2月28日(金)18時半~
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