聖水少女6
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カクヨム
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並んで歩く若き男女のなんと美しき事か。通りすがる野良猫さえ振り向く際立ちである。放つ精彩はさながらミレイのブラックブランズウィッカー。瑞々しい男女の番というものはそれだけで一種の芸術性を産み出し、人間の営みに未来を描くものだ。素晴らしきかな男女交際。人類はこうして栄えてきたのである。
といっても肝心の二人は無口そのもので、とても繁栄など望めぬ有様であった。香織も天花もお喋りな質ではなく普段から静かに、目立たぬよう暮らしているのに加え、互いの為人も不明。かつ、男と女という性別の隔たりが両者の口を噤ませているのだろう。実に悲しき初逢引である。この事が香織の旧友達に知れれば「なぜエスコートもできないくせに誘ったのかしら」と天花は責められるかもしれないし、男連中からも例の男子生徒を筆頭に「腑抜け」或いは「淫蕩」の誹りを受けるに違い。天花とてそれは承知の上だろう。
であれば、なぜ彼は香織を誘ったのか。そも、女を誘い連れ立って歩き回るような男でなし。軟派硬派でいえば圧倒的に後者。堅物以外に表現する言葉がない。そんな男の目的を測り兼ねる香織はあれこれと考える。彼女もまた、彼の寡黙な一面を知っているからである。
何かお話しした方がいいのかしら。
痺れを切らすか切らさぬかの瀬戸際の香織はそんな事を考える。男と歩くのは無論初めての事。気恥ずかしさもあるし作法も知らぬ。勝手が分からぬ内は様子見に限ると消極的に歩いてはいたが、このままでは一言も交わさぬうちに散り散りとなってしまうだろう。せっかく訪れた好機をふいにするのも惜しく、心苦しい。内心ではやはり「何か話してくれたらいいのに」と不満を持っていたがそれを口にするわけにもいかない。あちらがその気ならばこちらからと決心した時、丁度道沿いに構える喫茶店が彼女の視界に入ってきた。お誂え向きである。
「あの、椿さん」
「あぁ。なんだい」
「私、実は少し疲れてしまって……体調もあまり……」
「それはよくない。そういえば校門の近くで何やら下を向いていたね。タクシーを呼ぼう。金は出すよ」
「そこまでではないです」
「そうかい。じゃあ、家までおぶろう。不躾かもしれんが身体には変えられん。さぁ、早く」
地に膝を突き香織に腰を向ける天花。まったくの善意から出た行動であるが、その的外れは香織を困惑させるものであり、笑っていいのか怒っていいのか考えあぐねた。
「あの、違うんです」
いずれにせよ、ひとまずは訂正せねばなるまいと改まる。まず人を欺くのが不得手である香織が虚偽を述べるのが間違っていたのだ。
「違うっていうのは、何がだい」
「疲れてしまったというのは嘘で、体調も別段普通です」
「そうなのかい」
立ち上がった天花はいつも通りの顔をしていた。侮蔑も憤怒もなく、ただ香織を見ているだけだった。
「私、そこのお茶屋さんで、椿さんとお茶をしたくって、それで嘘を吐きました。ごめんなさい」
丁寧に頭を下げると、細い髪がはらりと舞う。
「なんだそんな事。最初に言ってくれたらよかったのに」
それに対し、屈託のない笑顔を椿は見せた。この純粋さと勘の悪さが彼の美点でもあり汚点でもある事はもはや語るべくもない。ともあれ香織が述べた些細な嘘については一向に触れず、ただ「分かった」と言って、二人は道沿いの喫茶店。山茶花堂に腰を落ち着けたのであった。
「いやしかし、喫茶店なんぞに入るのは初めてだよ。君はよく使うのかい? 仲間内で茶を飲む趣味もなし、特に興味もなかったが、存外いいものだね。大袈裟なようだが、俺は感動したよ。いや、いい」
案内された席でクリームソーダを頼むや否や、天花は子供のように目を輝かせた。香織はそれがおかしく見え、つい吹き出してしまう。
「おっとすまない。騒がしかったかな」
「いえ。ただ、そんな風に喜ばれるだなんてちっとも思わなかったものですから、なんだか可笑しくって」
互いに見せる柔らかい微笑。先までぎこちなく並んでいたのが嘘のようである。
「ところで、どうしてお一人で校門までいらしたんですか? お友達は……」
ようやく話しを切り出せる気になった香織は、長らくの疑問も聞く事にした。
「あぁ。あいつなら帰り際に始皇帝に捕まってね。前回の試験が悪かったからって、補習を受けさせられているよ」
始皇帝とは二人の通う学校の教師である。本名は長嶋というのだが、その厳しい面構えとよく蓄えられた髭からその渾名が連想されたようで、本名よりもそう呼ばれる事の方が多い。中には同じ教員でありながらうっかりと「始皇帝先生」と声をかけるという不心得を働き酷く叱責された者もいるくらいだが、その件については割愛する。
「お気の毒ですね。それで、お一人で帰られようと?」
「まぁそんなところさ。それで、帰り際に君を見つけたから、無作法を謝ったというわけだよ。いら改めて、すまなかった」
「いえ、お気になさらず……」
天花は謝りながらクリームソーダを口に運び、口に運びながら謝った。無作法というのであれはこの事だろうと香織は思ったが、その礼儀を欠いた姿が何故か心地よく、彼女の腹をくすぐるのであった。