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第21走者 杉本 流:ソラニンの精神分析

リレーのバトンは…期待とイマギナチオと野球の話が続いていますね。その関連で。先日、リレー第7走でも紹介した映画「インサイドヘッド2」を見てきました。現在も公開中の映画なので内容は伏せますが、ヘーゲル(第2走、ヒトは矛盾を抱えて生きている)やスピノザ(良かれと思ってやったこと「イマギナチオ」の問題点)、フロイト(快不快原則から現実原則へ)など、今回も哲学要素満載でした。映画館は低年齢の子も多かったのですが、みんな食い入って見てましたね。小さい子でも哲学要素が入りやすい…のでしょうか?私が哲学要素を探そうと思いながら穿った見方をしているだけかな?
 
「思春期ボタン」もしくはその少し先の「モラトリアムボタン」が押された子の話がメインだったので、彼らの人生より少し先の話になるんですけども。
 
さて、それでは思春期/モラトリアム期に関連した作品について書いてみましょう。第13走で岩永先生が音楽歌詞について書かれていたので、そのリレーにもなります。
 
★モラトリアム;一定の猶予期間という意味。発達心理学では学生など、社会に出て一人前になる前の期間を指す。心理学者エリクソンが提唱。
 
 
 
ソラニン(漫画全2巻2005年~2006年、映画/楽曲2010年)
 
 
 
思春期/モラトリアム期の特徴って何だと思います?満たされなさの増加、理想(夢)の肥大と幻滅、感情や思想の爆発・・・挙げればきりがありませんね。「嵐」とも比喩される思春期・青年期を表す作品は、フィクションの世界にも多数存在します。ヒトが乗り切るときに苦しいと感じるもの、そこには応援・賛歌・激励の作品が生まれる余地があるのです。「ソラニン」もそんな作品の一つでしょう。
 
「ソラニン」は思春期/モラトリアム期以前だと理解しにくく、その最中なら強い共感を生み、時期卒業後なら羨望と郷愁を感じると思います。読み手の(精神)年齢によって感じ方が明らかに違うんです、おもしろいですよね。この手の作品は、大人でも酔っぱらうなど退行してから観たら感じ方が変わるかも?なんです。これは音楽や映画に限りません。例えば、球場で野球観戦している大人たち。ビールを飲んでいる人の多いこと多いこと。普段酒を飲まない人もああいう場所では羽目を外してお酒を飲んで「子供返りする」ことで、より楽しんでいるのではないかと思います。あ、選手のプレイにイライラもしやすくなるので飲みすぎは禁物ですよ。
 
ちなみに、お酒などに頼らなくても(そういう場面では)子供返りできちゃう人もいます。これは良い事でも悪い事でもなく、そういう「子供返りスイッチ」みたいなものがあるんだろうと思っています。コナトゥスの回復(第12走参照)という見方でみれば、子供返りスイッチを持つ人は回復が早い、かもしれません。
 
話を戻します。「ソラニン」とはナス科(ジャガイモなど)の芽に含まれる毒素。ASIAN KUNG-FU GENERATIONが歌うこの曲の歌詞に「ゆるい幸せが だらっと続いたとする きっと悪い種が芽を出して もうさよならなんだ」とあります。
 
ゆっくりとだらりと生きていたら「さよなら」が待っている、とも解釈できる歌詞。では、何と「さよなら」なのでしょう?あくまで個人の感想ですが、ネタバレ問題なければ次へどうぞ。
 
 
 
 
 
 
・「人は自由という刑に処されている」
主人公のOL芽衣子は最序盤で退職し「自由」を手に入れます。ただし、その自由を1週間で持て余すようになりました。20世紀の哲学者サルトルは、神学(特にキリスト教)の衰退を知り「今後の人類は実存に苦しむ」という予言をします。それまでの人類は神の言葉に従い生きる指針(実存:生きがい:居場所)を持っていたことも多かったのですが、それが大きく揺らぐこととなりました。ダーウィンが発見した進化論やスペースシャトルでの月への到達などにより、この世の神秘的だったものは否定せざるを得なくなります。未知なるものの多くは、得体のしれないものではなくなったのです。絶対揺らがないと思っていた信念が揺らぎ、統一意志や絶対神に頼れない、心細く頼りない自分が見つかります。岩永先生が第8走で話していた内容に類似します。ヒトは自由であるだけでは生きられず、生きる意味がないと生きていけない。つまり自由になると自分探しという不自由な旅をしないといけなくなるのです。この苦しみはモラトリアム期で顕著です。自分が何者であるのか、全く決まっていないのですから。
 
一つ目のさよならは「実存/生きがい/自由」です。
 
・ストレスの発散について:思考か行動か音楽か
芽衣子の彼氏の種田は、バンド活動をしています。色んなものへの不平不満を音楽にぶつけて表現しようとしているんです。第7走(インサイドヘッド)のところでも書きましたが、ストレス・苦痛・矛盾は発散して消し去るものではなく、本来は抱えて悲しむものです。ただ、これがかなり難しい。大人でも難しいのに、大人になりかけの思春期・モラトリアム期の子にとってはとんでもない壁です。その苦痛を本人の頭の中だけで抱えるのは難しく、行動で表現したくなるのはやむを得ないのかもしれません。それは時に自分や他人を傷つけたり、取り返しのつかないことになってしまうことにも発展しますが…
そうならないためにも、思春期/モラトリアム世代に音楽や娯楽は必要で、音楽や娯楽は彼らのためにあると言ってもいいのかもしれません。
 
二つ目のさよならは「苦痛と発散のループ=情熱」です。
 
そうそう、歌詞の中の「<種>が<芽>を出して」はこの二人を表していると思います。
 
・「心から幸せと言える人がどれだけいるだろうか?」
中盤以降に芽衣子の親友が呟く言葉。思春期/モラトリアム期は成長途上です。大人になりきれない・なりたくない自分と、現実を受け入れて諦める自分の葛藤が問題になります。まあいいかと諦めて、それでも抵抗して、受け入れて、やっぱり迷って…種田も、種田のバンド仲間、ビリーと加藤もずっとその間で悩み続けます。こうやってブレることそのものが当然なのです。成長途中である限り、ずっとブレ続けます。そうやって大人になってきているんです、みんな。
最終盤で芽衣子が呟きます。「ただなんとなく大人になる。それを受け入れるか最後まで抵抗するか、それがその人の人生の大きな分かれ道なのかな」「ソラニンって、恋人の別れの曲だと思っていたけど、過去の自分との別れの曲なのかな」
 
三つ目のさよならは「こどもの自分/夢」です。
 
 
いかがだったでしょうか?これから思春期やモラトリアム期を迎える子、現在迎えている子、またはその親御さんが、その荒波を無事に乗り切れるようにと祈られた作品だと思います。以上、ソラニンの精神分析でした。

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