【日記】「苦労」というものの持ついい面をあえて探すなら
父は本当はこういう人だったんだ、と少しずつわかるようになっていく。両親が言いたかったこと、感じていたこと、苦しんでいたこと。といっても、人間というのは変わるものだし、かつての父と今の父とでは別の考え方を持っているかもしれないが、それでも、昔よりはずっと、彼を、彼というひとりの人間として理解できるようになっていることが、たまらなくうれしいと思った。
先々週のことである。ひさしぶりに家族でごはんに行った。
地元の駅からしばらく歩いた、父おすすめの居酒屋のボックス席で。
私はビールを頼んだが、酒好きだったはずの父が、ノンアルコールしか頼まない。どうしたのかと聞くと、最近はあまり調子がよくないのだと言う。そうか、そういえば今日は車で来ていたなと、今さらになって思い出した。
いつも私が帰省するととてもうれしそうに、顔を真っ赤にしてビールやら日本酒やらを飲んでいる父なのに、身体に遠慮しているすがたを見て、そうか、と思ってしまった。そうか、そりゃそうだ。私だってもう31だ。父と比較すればずっと若いけれど、それでも昔よりは体力が落ちたし、脂っこい食べものよりもさっぱりしたもののほうが食べやすく感じるようになった。父だってそれは同じだ。”親”というものはずっと”親”としてそこに存在し続けるもののように思えるけれど、私が歳を重ねたのと同じぶんだけ、親の身体にも31年分の年月がのしかかっているのだと、あらためて痛感する。
それでも、そこそこ長い歳月の重みを、目を背けたいものというよりも、愛しいものとして、強く、とても強く感じられるようになったのは、やはり、自分をこの世に生み出した”親”という人間を、より深く知ることができるようになったし、知れば知るほど、もっと知りたいという気持ちが強くなってきているからかもしれない。
「人生で後悔してることってある?」と、焼きなすを食べながら、聞いてみた。
「そりゃ、あるよ」と、父は言った。「しょうがないことだったといくら言い聞かせても、消えないものっていうのはある」
もしかしたら私はそのとき、それを父の口から、言ってほしかったのかもしれなかった。ここ最近、ほんのりとした心細さをずっと感じていた。でもその心細さを肯定する術を、私ひとりでは思いつけなかった。ひとりで抱えきれない泥袋を、代わりに父が持ってくれたような感覚があった。自分が弱音を吐き出すより、他人の弱音を聴くほうが、ずっといい処方箋になる場合もあるのだ。
そういえば以前も、同じようなことが何度かあった。
たとえば、仕事の話を聴かせてもらったとき。
私が悩んで悩んでどうしようもなかった事柄に、いちばん強く共感を示してくれたのは、他でもない、父だった。友人たちに相談しても、インターネットで調べても、本を読んでも解決しなかった苦しさ。それに対して父は、どうしようもないこととはいえ、あれは、きついよなと、自分の若い頃の話をしてくれた。私が生まれるよりもずっと前の話だった。「そんなことあったの?」と、横で聞いていた母もびっくりしていたくらいだった。
そういう話を父から聴くたびいつも、涙が出そうになってしまう。結局このあいだだって、我慢するために(誤魔化すために?)なすを何個も食べる羽目になった。
自分と血のつながった他人がこの世界にはいて、その人が、自分と同じ苦しみを味わったことがあるというのは、その苦しみについて語り合えるというのは、もしかしたら、とても幸運なことなのではないか、とふと思った。
苦労とは、誰かを理解するためにするものなのかもしれない。
いや、必ずしも苦労とは、するべきものでも、大人になるための通過儀礼でもないけれど、それでも、”苦労”というものの持ついい面をあえて探すなら、人を理解するとっかかりになる、ということかもしれないと思った。
人と自分をつないでくれるツールととらえれば、苦しみや悲しみもそれほど悪いものではないと、大人になった私に、さらに大人になった父が、教えてくれたのだった。
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