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【日記】嫉妬するならいっそ真似してしまおう精神


 こんなに嫉妬するならいっそ、真似してしまおう。
 あるときふと、そんなことを思った。嫉妬しすぎて気が狂いそうになったすえに思いついた解決策だった。
 私はもともといろんな人にすごく嫉妬してしまうたちで、たとえば、痩せてがらっと垢抜けた友達を見たりすると、途端に自分の容姿のコンプレックスがいろいろと気になってきてしまうし、あるいは自分と同年代の作家さんの本が売れているのを見るだけでも「はあ……私はなんてだめな人間なんだ」「こんなにすごい人たちが書いてるのに……。私って才能ないくせに調子に乗って馬鹿みたい」と落ち込んでしまう(落ち込みすぎ)。ぜんぜん畑ちがいの環境で活躍している人に嫉妬することだってよくある。世間で大活躍している、きらきらしている、生き生きと充実した毎日を送っている人たちを見るだけで、ぶわっと心臓の奥が揺れる。いやー、でもね、しょうがないんですよ。どうしようもないんだよね。これはもう生まれつきの体質と言っていい。「他人と比べても意味がない」なんてことは重々承知している。でもどうにもこうにも、この「他人に嫉妬しやすい」という体質は変えようがないのだ。それが、20歳のころからいままで、嫉妬体質な自分を変えようと試行錯誤した私の出した結論だった。

 まあそんなわけで、「どうしたら嫉妬しなくなるか」という問いを、私は手放した。変えられないもんはどうしようもない。ならば、問いを変えよう。「嫉妬する人間として、どう生きたらいいか」という問いに切り替えようじゃないか。
 どうせ嫉妬してしまうのならば、せめて「嫉妬」のエネルギーを有意義に使いたい。誰かを羨ましいと思う、いいなと思う。その人みたいになりたいなと思う。何もせずに嫉妬し続けているだけなら熱量のぶつけ先がなくてしんどいが、何か行動に変換することさえできれば、むしろ嫉妬心は、私の足を前に踏み出させてくれるエンジンになる。

 で、思ったのだった。嫉妬するくらいならいっそ、真似してしまおう。私がやっていなくて、嫉妬するその人がやっていることを私もやってみよう。同じようにやってみたらいいじゃないか。そうすれば、なぜその人がそこまで成功しているのか、きらきらして見えるのかわかるかもしれない。嫉妬の炎を見ないようにするのではなく、思い切って炎の中に飛び込むのだ。

 これをやってみて面白かったのは、「嫉妬」の感情の一部が「尊敬」に変わったことだった。嫉妬対象の真似をしてみると、想像以上に、めちゃくちゃ大変だったのだ。すごい人というのはとんでもない量の行動をしているのだと、つくづく思い知らされた。たとえば美容なら、きちんと食事制限し、運動し、美しくなるための努力を継続している。仕事だってそうだ。同年代の作家さん・クリエイターさんがこまめにSNSで宣伝をし、面白いコンテンツを定期的にアップし、それと並行して自分の作品づくりをすすめる、なんて場面をたくさん見た。とても生半可な気持ちでできるようなことではない。いつ寝てるの? と思うくらい活発な人もたくさんいた。

 あるいは「嫉妬」というのは、相手のことをよく知らなければ知らないほど高まっていく感情なのではないか、という仮説も生まれた。たいして努力もしてないくせに、いい思いをしている。そうやって、その人の裏側を見ようとせずにいるからこそ、むやみに妬ましく思ってしまうのではないか、と。
 もちろん、嫉妬する気持ちが消えたわけではない。むしろ、そこまで努力できる人と自分を比較して、ますます苦しくなってしまった部分もある。
 けれど、行き場のなかった「嫉妬」の居場所を見つけてあげたことによって、いままでとはちがうすっきりとした感覚が胸の中にあるのも、事実だ。
 それぞれの感情にも、落ち着く場所が必要なのかもしれない。どこに行けばいいかわからず、ふよふよと胸の裡をただようしかないとき、感情は余計にふくれて、暴れやすくなるような気がする。
 人と自分を比べてしまって苦しい、それはしょうがない。でも苦しくても、その感情のおかげで新しく進むべき道が増えるなら、それはそれでいいんじゃないかとも思うのだ。




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