自分の軸がなくなって
昨日から自分を見つめ直す機会があって、内省したことを書くことにしました。
この気持ちも時間が経てば忘れてしまうから、忘れないように書き留めておきます。
今日は4ヶ月受けていた講座の最終セッション日
今の自分が何をしたいのか
これからどうなりたいのかが分からなくなって
今まで思い描いていた理想の未来は間違いだったんじゃないか
今は子供たちの幸せを一番に考えないと…
そうやって自分の周りの人のことばかり考えてしまって
「私はどうしたいのか」
が全く見えなくなっていました。
「ゆきさんは、どうしたいの?」
同じ質問をこの1ヶ月の間、何人もの人から言われました。
その度に私はすぐに答えることができなくて、ずっと考えていました。
考えていくうちに頭で考えて、こねくり回して
自分の気持ちがどこかに行ってしまっていました。
だから話していても私には「中身がない」ので、言葉はカラ回るばかりで
「魂が抜けてる」
「中身はどこに行っちゃったんだろう?」
何を言われても何の感情も揺さぶられない
自分の胸が空っぽのような状態からのスタートでした。
セッションでは、もう一人の自分が離れた場所にいて
未来を見る自分と反対方向を向いて険しい顔をしている姿が思い浮かびました。
視点を変えながら、最終的には未来を見る自分の近くまで来られるようになって
前に進む気持ちを少しだけ取り戻せたところで時間になりました。
セッションが終わってから、私は自分をどこに置いてきてしまったんだろう?と、ずっと考えていました。
小学2年生までは割と自由に振る舞っていた記憶がありますが
小学3年生の時には少しずつ、何かを始める気力を失っていたと思います。
それでも、小学生の間はまだ自分のやりたいことをしていたと思うのですが
妹からは、小学校低学年の頃から私の心が崩れる気配を感じていたと言われました。
中学生になる頃には生きている意味が見出せなくなっていて
「私は何のために生きているんだろう?」
「死んだ方がいいんじゃないか」と思いながら過ごしていたので
中学校に入ってから、自分がどこかに行ってしまったような気がします。
自分のために生きる意味は見出せなかったけど
自分が死ぬと悲しむ人(親戚のおばちゃん)がいることだけは分かりました。
自分が死んで悲しむ人の顔として真っ先に思い浮かんだのが両親ではなく、親戚のおばちゃんだったことに複雑な気持ちになりましたが
後から、両親や友人は悲しんでくれるかもしれない。と思いました
そして自主的に死ぬほど人生に絶望しているわけではなかったので
とりあえず周りにいる人を悲しませないために生きていようと思いました。
そこから自分の健康や食事に無頓着になり
食事は自分のためではなく、周りの人に心配されないように食べないといけないと思っていて
自分が食べることで喜んでくれる人がいると嬉しくて、無理をしてでも食べようとしていました。
そうやってずっと他人に心配や迷惑をかけずにいることを信条にして
親より先に死ぬのは親不孝だと聞いて、親よりも長生きすることを目標にして生きてきました。
だから私にはずっと、自分のために何かをやりたいと強く思い続けられることが今までなくて
周りの人の話を聞いて、それに倣って親孝行になりそうなことを選んで行動するようにしていました。
ちゃんとした会社に就職して親を安心させたい。
結婚する時に「離婚しないのよ」と母に言われたことを守ろうとして
孫の顔を見せてあげたくて二人の娘にも恵まれました。
自分の中で思い描いた親孝行を一通りできたけれど
今は自分の軸が両親から夫に移っていた事に、今日のセッションの後に思い至りました。
ずっと生きている意味が見出せなかった20代の私に寄り添ってくれて
長い時間を一緒に過ごしてくれた夫が、いつの間にか私の軸になっていました。
夫だけでなく、夫のお母さんからも結納の時に「お嫁にきてくれる?」と言ってもらえて
こんな私でも必要としてくれる人がいることが嬉しくて
「私なんかで良ければ…」と有難く思っていました。
それから10年間、私にとっての軸だった夫とお母さんとの関係を自分から崩して
これから自分の軸を作っていこうと思っていたけれど
自分の本音すらわからない状態で迷走を続けるうちに
いつの間にかまた軸が元に戻ってしまい
今は夫の一挙一動で自分の気持ちが持っていかれてしまって
またしても自分の軸を見失っている状態に戻っていました。
20年以上、自分軸を持たずに周りに合わせようとしてきたので
自分の軸のある人たちと話していると
知らなかったことや分からないことがたくさんあって
今はまだ他の人の軸のあり方を学んでいる状態です。
「今が嫌なら明日にでも人生を終わらせたらいいじゃん」という自分もまた出てくるので
久しぶりに毎日が「今日が人生最後の日だったら」という心境で過ごしているので
当たり前の日常がすごく有難く感じられるようになりました。
その分、今目の前の事しか見えなくなって
遠い未来のことなんて考える余裕がなくなっていますが。
そういえば、私はずっと子供達が将来困らないように
知識やスキルを身につけてもらいたいとずっと思っていたけれど
それは、もし子供達が小さいうちに私がいなくなった時に備えて
今のうちに子供達に残してあげられることをしようと考えていたのを思い出しました。
自分がいなくなっても困らないように
子供達がしっかりしてくれたら安心だと思っていました。
心配や不安を愛情だと思いこんで
そう思わないと、私は母から愛されてなかった事になるから
母の心配癖が気づかないうちに私にもずっとあったことにも気がついた時に
自分が子供の頃に心配されて嫌だったことを忘れて
心配してもらったおかげで危ない目に合わずに済んだと記憶を書き換えて
まるで良いことのように思おうとしていました。
昨日、いろんな勘違いに気がついて
自分がされて嫌だったことをいくつも思い出していくうちに
同じことをしていた自分にも気付いて自己嫌悪にも陥りました。
知っているけど目を瞑っていることがまだあると思うので
気付いたことから書き留めていこうと思います。
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