「ヘンゼルとグレーテル」に出てくるお菓子の魔女ってなんなん
グリム童話『ヘンゼルどグレーテル』をご存知ですか? 貧しい兄妹が継母によって森の中に捨てられ、迷っているうちにお菓子の家に辿り着き、魔女に食べられそうになり…という話。内容は覚えていなくても、お菓子の家への憧れや魔女の恐ろしさを覚えている人は多いのではないでしょうか? ちなみに私はどういうわけか、兄妹が森で迷わないようパン屑を撒いたのに小鳥が食べてしまった、というシーンをよく覚えています。
さて、そんな『ヘンゼルとグレーテル』には、エンゲルベルト・フンパーディングが作曲したオペラ版があります。YouTubeには日本語に翻訳した演目をどっかの音大がやっているやつもあるので見てみても良いかもしれません。
とりあえず、オペラ版の内容を確認しましょう。オペラ版とグリム童話の原作との最大の違いは、2人の母が優しいか優しくないか、ということです。原作の継母は貧しさ故に子供を育てられないと森に捨てるのを企てた一方で、オペラ版の母は仕事もせずに遊んでいた子供たちを、イチゴをカゴいっぱいに摘む仕事をするまで帰ってくるなと言って森に送り出します。子供達が出て行った後には、子供達の食べ物がないことを嘆く描写もあります。
グリム童話版では、お菓子の家から子供たちがどうにかして帰ってきたとき、意地悪な継母は死んでいました。『お菓子の魔女=継母』で、ヘンゼルとグレーテルが魔女を竈門で殺したときに継母も死んだという説があるのですが、さて、オペラ版の母は魔女が死んだ後も最後まで生きているのです。ということは、オペラ版では『お菓子の魔女=母』が成立しません。
前置きが長くなりましたが、この記事はオペラ版『ヘンゼルとグレーテル』の「お菓子の魔女」について、ど素人ながら一考してみようと思うのです。グリム童話専門家でも考察大好きマンでもない(ぶっちゃけヘンゼルとグレーテルについてもあんまり知らない)ので妄想にすぎませんが、ここから何かを発想してくれたら嬉しいです。
魔女の設定確認
とりあえず、設定から確認してみましょう。魔女の代表曲ともいえる「魔女のアリア」などでは魔女は箒にまたがって森を飛び回ると表現されていますし、「ホークスポークス」という呪文で魔法も使えます。なんというか、「ガチの魔女」です。ヘンゼルやグレーテルを食べようとするカニバリズム的な要素はさらに魔女のガチ感を助長させますが、ちゃんと竈門で焼いて食べようとするあたり、生肉はお腹を壊すのでしょうか。その辺は人間とあまり変わらなそうです。
ヘンゼルたちの父である、箒職人のペーターは、魔女はお菓子の家に住み、匂いに釣られた子どもを食べる、と母のゲルトルートに説明します。確かにこのオペラで明確に「大人」の描写があるのは父と母の2人(お菓子の魔女も入れると3人)だけ。お菓子に変えられていたのは子どもたちです。ということは、お菓子の魔女は子どもしか会えないor会わないという可能性が出てきました。じゃあ子どもじゃないお父さんはなんでお菓子の魔女のことを知っている、という疑問は頭の片隅に残しておきましょう。
ヘンゼル、お前魔法使えるんか
先ほど「ホークスポークス」という魔法を使うと述べましたが、実はこれ、魔女を倒した後にヘンゼルたちが子供たちを助けるシーンで、ヘンゼルも歌っているのです。「信じれば夢が叶う」みたいな感じなんでしょうか。
でも、「お菓子の魔女と同様に人間は信じれば魔法を使える」とするなら、もう誰かが倒しておいてくれそうじゃないですか? ペーターが魔女のことを知っているということは、それなりに有名な話のはずです(ゲルトルートは知りませんでしたが…)。魔女狩りをしていた時期の話ですから、誰かしら倒しに行ってもおかしくありません。ペーターたちがヘンゼルたちを助けに森に行ったように、たくさんの子どもが被害に合っていたら、親の一人や二人助けに行くはずです。ヘンゼルたちのような子どもが勝てる相手なら、放っておいても大人が勝っていそうです。
「子どもしかお菓子の魔女と会えない」ために大人が倒しに行けていない、としても、やっぱり誰かが生還していないとペーターは魔女の存在を知らないわけですから、生還した誰かが「ホークスポークス」を聞いていて、伝承に加えている気がします。さすがに子どもたちを助けるために、秒速で「あ、ホークスポークスを歌おう!」と思いつくのは現実的ではありません(この話が現実ではないというのは置いておきます)。
そういえば箒を使うのは魔女だけではなかった
ここで一つ思いついたのですが、ペーターは箒職人ということです。オペラでは、村の祭りがもうすぐだから箒をたくさん売れてお金を稼げたと歌い、お土産をたくさん買ってきます。お菓子の魔女は箒を使って森を飛び回ります。もしかしてペーター、お菓子の魔女に箒を売った…? となったら面白いですね。仮にも魔法使いが使える箒を作れる箒職人の息子や娘なのですから、魔法が使えてもおかしくはない。本能的に魔法を使おうと思う可能性も高い。じゃあ、ペーターはいつから魔女が使える箒を作れるような人間になったのか、と思ったところで、「ゲルトルートは知らない、子どもしか会えない魔女のことを知っているペーター」がキーポイントな気がしてきたのです。
ペーター、魔女に会ったことある説
先ほど、ペーターが知っているならお菓子の魔女はそれなりに有名なはずだと書きました。でも、ゲルトルートは知らなかった、ということを優先して、
全然有名じゃない話だったとしたら。ペーターは魔女に会ったことがある、(これは妄想に過ぎませんが)例えばペーターの母親がお菓子の魔女、とかだったら。
ここからはとても妄想です
ペーターの母親がお菓子の魔女だったら、ペーターが魔法を使える箒を作ってもおかしくはありません。それを魔女が買っていてもおかしくないし、その息子や娘に魔法が使える血が流れていても不思議じゃない。ペーターは祭りがもうすぐだからいろいろ売れたと言って帰ってきたと言いましたが、そもそも「ヘンゼルとグレーテル」の原作って、飢饉で子どもたちを育てられないところから始まるのです。祭りをやっている暇も、箒を買う金銭的余裕も本当にあるんでしょうか? もしかして、本当はお母さんが箒をめっちゃ買ってくれた、とか。
別にペーターとの親子関係がなくてもいいのです。ペーターが普通に魔女に会ったことがあるとして、ペーターは生還しているわけですから、「魔女は彼のことを食べられなかった=それなりに彼のことを好意的に思っている」という可能性もあります。そんな彼の大事な人(=ヘンゼルとグレーテル)を倒せなくても無理はありません。
そもそもあんなガチの魔女に、グレーテルが機転を利かせた程度で勝てるのでしょうか。グレーテルを食べよう、という魔女のモノローグはグレーテルに聞かれていますが、あのガチな感じだと結構優秀な魔女のはずです。ペーターの大事な人だと気づいて殺せなかった、というのはあまりにも魔女に夢を見すぎていますが、「主人公と悪役に繋がりがある」というのは妄想が捗りそうで楽しいです。
一応決着をつける
そんなこんなで、私は「ペーターと魔女に関わりがある説」を推してみよう(といいつつ自分でも全然信じてませんが)と思います。冒頭にも書きましたが、私はヘンゼルとグレーテルやグリム童話の専門家でも考察ガチ勢でもないので、この記事は妄想です。一応この記事では「魔女のガチ感」を常に意識して考えてみましたが、フンパーディングは別のことを大事にして作曲したかもしれませんし、細かい設定なんてなにも考えていないかもしれません。
この文章そのものも最初から構成を決めていたわけではなく、あれこれ思いついたことを考えた順番に書いているので思考が行ったり来たりしています。エンタメと呼ぶにはあまりにも粗野ですし…魔女以前にこの記事は一体なんなんだろう。
割とオタク気質なので今までしてきた妄想は数知れずという感じですが、ここまでちゃんと妄想したのは初めてかもしれません。くどいようで申し訳ないですがこれは本当に妄想でしかないので、考察を深めるより、ぜひYouTubeでもなんでもいいのでオペラ版ご覧になってみてください! その上で、お菓子の魔女以外にも眠りの精や露の精もいますので、何かしら妄想できたら私も知りたいな〜と思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました!