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『実弥』ものざねを問う者は
禰󠄀豆子が柱合会議で実弥に試された行為はどんな意味を持つだろうか。
表向きは、禰󠄀豆子は他の鬼と違うことの証明だろう。しかし私は一連の流れは呪術的な意味を持つ儀礼のウケヒだと思っている。今回は、古事記の例を引き合いにウケヒの説明と、鬼滅におけるウケヒの関わりについて考える。
もくじ
1.ウケヒとは
2.柱合会議にて ものざねを問う者は
3.カナヲのコイントス
4.ウケヒが示したものとは
1.ウケヒとは
ウケヒとは、神意を問う呪術的な行為。(「古事記講義」三浦佑之著 文藝春秋社より)結果がAならば神意はこう、Bならば神意はこうであると前提条件を宣言し、結果をもとに吉凶、正邪、成否などの神意を判断する。
たとえば古事記では、ニニギと一夜限りの契りで身籠ったコノハナサクヤヒメが不貞の疑いを晴らすために行った。腹の子の父がニニギならば無事産まれ、そうでなければ母子共に死ぬだろうと宣誓し産屋に火をつけて出産に臨んだ。そして燃え盛る産屋の中で3人の子を産み、貞操の潔白を証明したのである。
同じく古事記でアマテラスはスサノヲに対して高天原を攻める邪心があるかどうかを証明するために、アマテラスはスサノヲに「子産み」を持ちかけた。アマテラスはスサノヲの剣を噛み砕いて口から吹き出して男神を産み、スサノヲはアマテラスの勾玉の珠を噛み砕き女神を産むと、女神を産んだことからスサノヲの邪心がないことが証明された。(このウケヒの結果は様々な解釈がある)
2.柱合会議にて ものざねを問う者は
禰󠄀豆子が人間世界を脅かす邪心の成否を、実弥とのウケヒを通じて潔白を証明した
この構造は、
スサノヲが高天原を脅かす邪心の成否を、アマテラスとのウケヒを通じて潔白を証明した
この流れを踏まえていると言っていいだろう。
ここでは、アマテラスの役割である実弥が炭治郎にウケヒを持ちかけている。本編では正式な宣誓はなされていないのだが、「鬼ならば人を襲う」という前提のもと、実弥は血の滴る腕を禰󠄀豆子の前に差し出す。
禰󠄀豆子は「人は守るもの」という強靭な理性のもとに食人欲求を抑えて顔を背けたわけだが、儀礼的には神意によって竈門兄妹の潔白が証明されたのである。
また古事記でアマテラスは「後に生れし五柱の男子は、物実我が物にて成れり」という言葉を使って結果を判断している。五柱の男子は、アマテラスの持ち物の珠を核として生まれたということである。
ここから、「物実(ものざね)」という語は、ものごとの核、本質を表す言葉であることがわかる。
【実】=ものごとの本質。【弥】=あまねく(同義は普く、遍く。普遍…すみずみまで行き渡ること)
実弥は、禰󠄀豆子の「物実」を問う者だから「実弥」なのかなと由来を想像してみたのだがいかがだろう。
3.カナヲのコイントス
カナヲのコイントスもウケヒにあたるだろう。カナヲは、例えば「表が出たら炭治郎と話す、裏が出たら話さない」と決めた上で結果に従って生きてきた。これは偶然に身を任せたように見えるが、古代的にはコインの表裏は神が決めることであり、カナヲはウケヒによって表れた神の意志に従って生きてきたのである。
神(自然)の意思のままに時に理不尽を受け入れる古代的な生き方に対し、神意を汲まない(思い通りの結果になるまでコインを投げ続ける)炭治郎は人間の意思によって自然をコントロールする文化的な生き方であると言える。
柱合会議で神意を伺うことでしか潔白を証明できなかった少年が、本来備える文化的思想で周囲の人間を変えてゆく。柱合会議からすぐ蝶屋敷編という流れはそこが意図されているのだろう。
4.ウケヒが示したものとは
鬼滅においては、自然と文化のかかわりは重要な意味を持つ。(詳しくは前記事:「王権説話としての鬼滅の刃」を参照)
鬼滅の刃は、混沌とした自然を、文化を持つ人間が秩序の中に取り込んでいく物語である。人間のコントロール下にない自然とはつまり異界の鬼である。無惨の「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え」という発言は「鬼=自然」を意味しているのだ。
面白いのは、禰󠄀豆子は鬼でありながら「自然」のみならず「文化」を備えていた。だからこそ実弥を噛まなかったのだ。文化を備えているのは人間だけだから、ウケヒでは単に禰󠄀豆子は人を襲わないという点にとどまらず、「禰󠄀豆子は人間だ」と証明したのである。
なんだかまとまりがなくなってきた。鬼滅におけるウケヒは、古代的な神意を伺う行為にとどまらず、それを乗り越えた文化的思想に基づく行為であったということで結びとしよう。
文/イラスト: かわせみ86
Twitter🐦: @kawasemi868686
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参考文献
「口語訳古事記[完全版]」三浦祐之著(2002年)文藝春秋社
「古事記講義」三浦祐之著(2003年)文藝春秋社