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亜細亜・117日旅行記

第一部・欧州暇潰し再訪記

 アジアの旅行記なのに何故欧州?だが、単にモンスーンの雨期を敬遠しただけ。土地勘のある美しいヨーロッパでしばし静養した後に、アジアに向かうことに。

 #0 8月7日 ボストン

黒角帽と赤ガウンの卒業式も無事に終了。ハーバードスクエアを散歩するが、続く疲労と電脳カフェの冷房で、帰ると高熱。同居する従姉のワインを飲み延々とダウン。

#1 8月8日 ボストン

午後まで寝込んで、夕方フラフラの身体で空港に。ノースウエスト機内で強引に寝る。

#2 8月9日 アムステルダム、ウィーン

アムステルダム到着。空港を出て市内を散歩し、昨年見逃した王立美術館に寄る。続けてウィーンに飛び、オペラ座で大学後輩と会い、夜景を見てホリイヴを飲む。風邪はようやく回復。

#3 8月10日 ウィーン

大学後輩の通うウィーン工科大学で高校同級生と再開。郊外の小さなゼーグロツテ地底湖へ。市内に戻りドナウ河遊覧、映画祭に寄りベネチア行きの夜行に乗る。

#4 8月11日 ベネチア、ボローニャ

ベネチアに到着、懐かしいサンマリノ広場でしばしビ-ルとバイオリンでトリップ。教会の多いパドヴァに寄り、ボローニャに移動し荘園領主の舘に投宿。さすが食の都、古いレストランでのディナーは芸術品。

#5 8月12日 ラベンナ、サンマリノ

ラベンナヘ遠足。モザイクの有名なバジリカとか見てカフェで昼食。イタリアは小さな古い街並が最高。海沿いリミニに下り、サンマリノ行のバスに乗る。城壁の上の小さな独立国は良い眺め。リミニを散歩し、夜のボローニヤの市庁広場の映画祭を見る。

#6 8月13日 フィレンツェ、アッシジ

夜行でフィレンツェに到着。列車待ちの間、戦艦ドォーモに再見し市内を散歩。石畳の街アッシジに行き、要塞フランチェスコ修道院を見る。列車で日本人と話し、ローマのテルミニ駅から、小太り親父で暑苦しい、シチリア島バレルモ行夜行に乗る。 

#7 8月14日 パレルモ

絶壁石灰岩の海岸を眺めバレルモ着。街はゴミゴミと暑苦しいが、魚市場もパスタも美味。そのまま夜行で脱出するが、シラクサとか有名な遺跡とかたくさんあるのを知らず、大後悔。 

#8 8月15日 ミラノ近郊

フィレンツェで乗換え、慌ててミラノ行に飛乗る。ミラノで乗換え、ストレーザヘ。ベラ島散策船に乗り、涼しげな別荘を回るが、休日らしく大混雑。漁師島へのフェリーは売り切れ。街は気分良いが、夜は名物の鱒にあたって苦しむ。 

#9 8月16日 アルプス

ローカル線で涼しいスイスに向う。ドムドサーレから狭軌の林間鉄道で、湖岸の観光都市ロカルノヘ。美しい峡谷沿いのコドベルクから、高価な観光バスでシステナパスを越える。寒々と氷河が渦巻く高度3000mの冬の峠には寒風が吹荒ぶ。メリンゲンに宿をとり、ワインで寝込む。

#10 8月17日 アルプス

氷河谷地形のメリンゲンを散歩。ロープウェイで滝まで登りぜいぜいと草原を下る。氷河融水の灰緑色の湖は高い峡谷に囲まれ、完璧な風景のフリエンツ湖を船で渡る。インターラーケンから、久々のグリンデルワルドヘ。ぜいぜいと山を登って自然友の家へ投宿。断崖範壁のメリンゲンまで長大なロープウェイで登り、青空の下クライネシャイデクまでなだらかな下り坂のお花畑をハイキンク。何故か誰もいない山道を延々グリンデルバワルド下る。不思議な青空に緑の樹木。宿泊客の半数は日本人。

#11 8月18日 アルプス

再びクライネシャイデクヘ。日本人と会ってハイキング、ユングフラウの途中駅まで登りワインをあける。雲がかかるが絶景。昼過ぎインターラーケンまで降り、スピーツからスイスマンヘ広大なU字谷を抜ける。MDB鉄道コールデンラインの豪華なサロン席、最後に谷底に輝くレマシ湖に下る。大迫力。物価高のスイスで唯一払えるバーガーキングに入り、賑やかなジュネープ湖畔を散策し、夜行で国境を通過。

#12 8月19日 バルセロナ

早朝ポートボーでの強制乗換えし、バルセロナに到着。久々の旧市街を歩き、去年見逃したミロ美術館へ。気分いい絵と彫刻が充実。中国展で文化大革命のアバンギャルドに圧倒。午後はフィゲラスのダリ美術館へ。怪異な建物には多作なダリがコロコロ。夜のランプランス通でパエリアとサングリアを注文し、マドリッド行夜行に乗る。

#13 8月20日 マドリッド

アトーチヤ駅近くのソフィア王妃近代美術館を見る。すさまじい物量と充実した書店で時間を食い、ゼコピア行の列車を逃す。ふてくされてスペイン公園で昼寝。しかしこの日は不幸な日。ソルのパルでボラれ、地下鉄でアラブ人に囲まれ財布を盗られる。

#14 8月21日 サンチアゴ・デ・コンポステーラ、コインブラ

夜行でサンチアゴ・デ・コンポステーラに到着。まだ暗い街をカテドラルまで歩く。古色蒼然とした過剰コチック。イベリア西端を南下開始。ビゴからの古い国際列車で日本人学生と話す。瀬戸内のような風景に明るく素朴なピーチが広がる。産業港ボルトで立派な特急アルファに乗換え、コインプラでは歩くのが面倒でツイン部屋に投宿。地元の屋台の安ワインを飲み戻ると日本人がいるので部屋をシェア。ファドを聴き、部屋で延々話す。幸福な日もまたあるものだ。

#15 8月22日 コインブラ

お昼まで日本人と市内を散歩。旧市街を抜け、丘の上の気分いいコインブラ大学を見て、プサコ公園。とにかく暑くて戻って昼寝。まだ明るい夜中に、広場で美味しい平目をとワイン。またファドを聞きに行く。

#16 8月23日 ナザレ

バスでナザレヘ。崖に開けた湾のビーチはテントが並び賑やか。路地裏を歩き七輪の焼鰯を注文。リスボンに向かうがパスは故障。この遅れでイベリア半島の突端ラゴスを諦め、仕方なく暑苦しいリスボンを歩き、夜行でマドリードへ。

#17 8月24日 セビリア

6度目のマドリッド。名古屋3人娘とセビリアヘ。立派なイスラム風シンデレラ城、アルカサルを見る。屋上からのカステーリヤの黄色い大地を眺め、市庁広場から旧市街を抜け、明るいローマ水道橋へ出てバルで食事し、パリ行きの夜行に乗る。

#18 8月25日 パリ

列車は豊かな大地と穏やかな陽気のフランスヘ。久々のパリはテロ騒ぎで、ロッカーもゴミ箱も全部封鎖で大迷惑。無くした航空券の再発行等と書店散策で午後を過し、担々麺ライスで満腹。パリ東駅から夜行に乗る。

#19 8月26日 クール、リヒテンシュタイン

ベルニナ急行と氷河急行が並ぶ一種壮観なクール駅舎。サルガスヘ戻り、リヒテンシュタイン行のバスに乗り、小さなお城の首都ファドーツヘ。山らしい不安定な天気。えらく退屈な「国」を去り、インスブルク経由、サルツブルクで投宿。日本人多し。

#20 8月27日  ザルツブルグ

まずハラインの塩鉱へ。トロッコ、滑り台、地 底湖等、アトラクション多数。渓谷沿いに薫煙る山を眺める寒いローカル線で、優しい自然はケルトの故郷・ベルヘンへ。バスとロープウェイで氷穴に向う。1500mからの眺めは素哺しく、寒い氷穴も大規模。街に戻り美味しい夕食とビール。

#21 8月28日 ハルシュタット

日本女子とローカル繚で美しい湖を眺め、船でハルシュタットヘ渡る。縄文ケルトの博物館、列車で温泉町バードイシュル、パスでサンクトオルフガンク、船でサンクトギルゲン、バスでサルツに戻る。宿で会った日本人と楽しく夕食。

#22 8月29日 ミュンヘン

夜行列車で日本人と久々のミュンヘンに到着。雨の中ダッハウ収容所跡に行く。理性による殺載。寒く暗い雨の中、陰々滅々と見学。ボリュームある新旧ピナコークを見て、アウグスブルクビアホールでブルストとサワークラフトで延々飲み、夜行に乗る。

#23 8月30日  ローマ、マルタ島

起きると別世界イタリア。重く暗いゲルマンから乾いた青空のラテンヘ。バチカンに詣でて、住職に禅の話を聞き、ローマ空港からマルタ島に。空港出口には途上国タイプの緑の芋虫バスが群れ、楽しい異国の予感。ギリシャの風土にローマの建築、英語も通じる。夕日が有名なエムシーダに行く。来てよかった。

#24 8月31日 マルタ島

イギリス式朝食後、フルーグロッテ洞穴への舟に乗る。真っ青な地中海は海底まで鮮明に見える。午後は涼しい凰と確かい太時が気持いいコールデンペイで日光浴。

#25 9月1日 マルタ島

コゾ島に遠足。バスと船を乗り継ぎ、エクシーマに寄り深い岩の裂け目で楽しく泳ぐ。バスの時間を間違え遺跡を見逃し超残念。 

#26 9月2日 マルタ島

アリタリアでのキャンセル待ちがOKの連絡。コルバチヨフとレーガンの会談したマーサスロツク湾を見て、夕方スレイマに行くと、ここが探し求めていたマルタリゾートの中心部。延々湾が開ける不夜城。夜まで飽きず歩き回る。 

#27 9月3日  マルタ島、ローマ

朝市を抜けWWIlの英軍司令部称の戦争博物館、充実。マルタの5日間全く飽きなかった。満員のアリタリアでローマに夕方到着。トレビの泉を再訪し、パスタ三昧。隣席の英人と盛り上がりミラノ行きに乗り遅れ、直後のトリノ行き夜行に乗る。

#28 9月4日 トリノ、コート・ダジュール

トリノはアルプスに囲まれた荘重な街並、すっかり気に入る。市庁舎からトリノタワーまで歩き気分良い川岸を散歩。ローカル線をクネオで乗換え峡谷沿いにサンレモヘ。海岸沿いをニースに出て安ホテルに投宿。コバルト色の地中海、青い空、白い石灰岩、列車で走るだけで嬉しいコートダジュール。カンヌを歩き、ニースのアジア料理店で食い過ぎ。

#29 9月5日 プロバンス

バンス行のバスで会った日本女子と終日同行。原色爽やかなマチス教会を見て、旧市街の大衆食堂で昼食。エズの町で、山頂の愛らしい旧市街を歩く。哲学の急坂を下り疲労困憊。ニースの旧市街を散歩。フランス海鮮で満腹。南仏はけだるく居心地良し。

#30 9月6日 プロバンス

シャガール美術館を見て。アンティープのピカソ美祢館。荒んだ港湾都市マルセイユからTGVでアヒニヨンヘ出て、旧市街を駆け足で再訪、法王庁要塞に対面。ニームに投宿し、街を散歩。全仏ロッカー封鎖で一日中重い荷物を引き摺る、テロ許すまじ。

#31 9月7日 ニーム

ニーム市内観光。パンテノンやノーマンフォスタ設計のアートセンタが興味深い。バスでユゼスヘ。旧市街を歩き、塔からプロバンスの風景を眺め、プラタナスのカフェでパスティスの休息。ニームからTGVでパリ・リヨン駅へ。ダッシュでMP駅のTGVへ。皆コートを香る中一人Tシャツで汗だく。ツールに泊る。

#32 9月8日 ロワール古城

終日の古城ツアーは可愛い芳川君と同行。典型的なフロア城、クレムリン式コテコテのシャンボール城、狩りの部屋が凄いシュパリ城を廻る。TGVでパリにとんぼ帰り。

#33 9月9日 パリ

パリ。日本語書店で夕方まで立ち読み。お昼はクスクス。夕食は芳川君とムール貝。サンジェルマンからセーヌ河沿いを延々歩き、ライトアップされた巨大構造物のエッフェル塔に登り、パリの夜景を見る。

#34 9月10日 パリ

モンパルナスを散歩し、シャルトルの大聖堂へ。宝石箱のようなステンドグラスに見とれる。パリに戻って凱旋門からシャンゼリゼを延々国立近代美術館まで歩くが疲れただけ。夜は芳川君とサンジェルマンでギリシア料理。深夜サンクレール寺院まで出て夜景。

#35 9月11日 ボストン

欧州最後の長い一日。ドコール空港のチェックインで「米国入国には帰りの航空券が必要」と拒絶。散々揉めた後に正規航空券を買ってようやく通過。早く来てよかった。デトロイト経由でボストンに。帰るととんでもない事件があり、不安で全然眠れない。 

#36 9月12日 ボストン

事件は連絡待ち。卦を立てて一安心。

#37 9月13日 ボストン

深夜にFAX着信、事件は何とか片つき、無事出発可能に。

第二部・韓秦善隣訪問記

大韓航空のトランジット通過したこの2カ国は、留学中の知人等にお世話になり通し。 

#38 9月14日 ニューヨーク

ボストン出発。疲れるプロペラ横で到着したNY・JFKで話した金君は偶々ボストン大学生で「一緒に行こう」と綺麗な日本語。大韓航空に彼の父親とも臨席で18時間。

#39 9月15日 ソウル

金浦空港で金君の自宅に招待してくれる。市内の広い公共アパートには、一族が集い賑やかで楽しく、韓国料理もとても美味。歌謡番組やドラマはほぼ日本。

#40 9月16日 ソウル

美味な朝食をいただき、地下鉄で市内。市庁舎から南大門市場、新宿的な明洞でバークレー同級生の韓国美人と待合せ、取壊中の旧朝鮮強督府の国立博物館を抜け、景福富。渋滞タクシーを延々時差ボケで寝て新村へ。賑やかな学生街でピール。帰ると金氏父親から植民地時代の非難をされ居場所がない。

#41 9月17日 ソウル

国立博物館を見る。日本と同じ縄文弥生、騎馬民族の高句麗、紀元前に文明生活の漢の楽浪郭が見事。アメ横的な東大門市場、韓国美人とドーム付後楽園遊園地的なロッテワールド。中央駅裏の安食堂でビビンバを食べ、ソウルタワーヘ。眺めはいいが時差で眠すぎる。

#42 9月18日 水原

通勤電車で水原へ。駅前の雑踏から民族村へ。唐辛子を干す村落風景もいいし、田楽も素晴らしい。明洞に戻って名物参集湯を食し、夜に賑わう南大門を散歩。

#43 9月19日 ソウル近郊

金一家と別れソウル中央駅、田舎列車で金村の統一展望台へ。北朝鮮のボロ団地の人影に皆が歓声。北の切手と平壌焼酎を買う。ソウルからセマウル号で大田、暗い田舎道をバスで扶余、夕食はカルビ湯。

#44 9月20日 扶余、慶州

早朝市内散策。奈良そっくりの田舎。扶余博物館と優しい仏像の広林寺を見て、大田に戻り慶州へ。街には古墳が至るところポコポコとしていて嬉しくなる。市場に行くが、唯一客のいる屋台は豚の頭を切刻んでおり撤退。 

#45 9月21日 慶州、釜山

定期観光パスは半分が日本人。まずは仏国寺へ、慶州民族村、分皇寺、皇龍寺模型が迫力の民族博物館、飽石停、金将軍墓、天文台、古墳公園と充実。全ての歴史遺物を壬申の和乱が破壊とは罪深い。バスで釜山へ。中心部に投宿し、安っぽい釜山タワーに登り、高級ブティックの裏に屋台が沢山並ぶ、道頓堀的なカラフル光復洞へ。チャガルチ市場でヒラメとイカとアナゴの刺身、真露焼酎で酔い潰れ、帰りの記憶がない。

#46 9月22日 釜山

宿酔なのに間違って朝から石焼ビビンバ、古い水中翼船エンゼル号で、多島海域を忠武へ向う。小さな港町で散々迷って洗兵舘、豪速パスで釜山に戻る。韓国最後の夜はカルビ。大衆的な店で食べ過ぎる。店のTVは日韓台の野球を中継。

#47 9月23日 バンコク

金海空港、金浦空港、満席の大韓航空で夕方に初バンコク。構外は凄まじい湿気,MBA同クラスの中国系ハーフ、美しいケイは運転手付ベンツで登場、新しい高速道路で経済発展し高層ビルが乱立する予想外の大都市。YMCAに投宿し他のMBA同級生と夕食。

#48 9月24日 バンコク

ケイの車で市内を廻る。中華街の黄金寺院、蛇園、エラワイン寺院、ソゴウで昼食。巨大伊勢丹で夏服を揃え、別のMBA同級生と合流、タイ料理。雨期のタイはすさまじい暑気と排気ガス、クーラーがないと気が狂うが喉を痛める。

#49 9月25日 バンコク

今日も運転手付の観光。王宮、ワット・プラケラ、ワット・ポーの涅槃仏、全て執拗にキンキラコテコテ。時々豪雨と洪水で大渋滞。同級生に空港まで送られる。しかし、タイ航空のジャンボは滑走路で一向に加速せず、機体交換。3時間遅れで出発。

第三部・インド大損マハラジャ紀行記

インドは聞きしにまさる最低の世界。貧乏旅行では疲れ果てそうで、高額のツアーを申込み、以後の移動も殆ど飛行棟、ホテルも中級以上。結局列車は一回も使わない中流階級の旅行。随所随所でぼられ、予算も大幅超過。印象は深いが、再び行きたい世界ではない。「恒産なくして恒心なし」 (※20年後の訪問では、恒産が出てずっと良い世界に)

#50 9月26日 デリー

朝3時のデリー国際空港は魑魅魍魎。入国ゲートの前から客引きが陣取り、得体の知れない連中がワラウラ。いかがわしいカウンタでホテルを予約しタクシーに乗る。いきなり押掛で動かすタクシーは暗い道を市内へ。ホテルは蚤がいるくせにボルし、テレビのインド映画は30秒見たら吐気がさす。インドに来ていきなり大後悔。朝出ると、屯する客引きに連行され旅行代理店へ。ドイツ人女性が満足していたので、高価なツアーをアレンジし航空券を手配。そのままホテルに入り、狡そうなガイド付で市内観光。排ガスだらけで暑苦しいデリーを一巡。野良牛、路上生活者、スラムと濃く、一般民衆に近づきたくない。 

#51 9月27日 シュリナガル

早朝の喧噪で目覚め、シュリナガルヘ飛ぶ。係官にワイロを抜かれ、リアスの車で中央アジア的市内を経て、豪華なハウスボートヘ。昼食を食べ、ウイグル系家族に囲まれ団欒。湖の夕暮れにアサーンが響き、すごい天の河。家族の子供と遊び、皆でカレーの夕食。 

#52 9月28日 シュリナガル

カシミール茶とカシミールパンの朝食後、シカーラで湖の水上菜園を抜けながら、リアスにカシミール問題を聞く。絨毯屋に付き合い、戻って暗い電灯の下、家族と夕食、白黒テレビの画面はMTV。家族総出で大がかりなラダック行の準備。

#53 9月29日 ラダック地域

早朝にリアスと丸顔の運転手を乗せたアンバサダーは出発。山頂の新雪を見ながら田舎道を走る。雨期増水で橋が流され20km迂路し、ゾゴラの待機場へ。片側交互通行の峠道を持つ間、川岸でキャンプの食事。殆どが軍用車と鈍足タタのトラック。開門後、アンバサタは先頭を一気に3500kmまで登る。迫力あるリコラの峠、鮮やかなU字谷を走り、ドラスでお茶の休憩。ここは冬期零下55度になり住民は半年間地下室に篭るそうだ。乾燥した峡谷と雄大な山塊を走り、山町カルギルに投宿。キャンプ食の後、簡素な旅人宿で寝る。

#54 9月30日 ラダック地域

早朝起き摩崖仏のある村へ。いよいよラマ教圏。カラコラムの山々に疎まれた月世界のような4000m級の道。インダス河に沿ってラダック。右手に黒い巨岩、左手に輝く山塊が白昼夢のように広がる。午後、平和なレーの町に着くが、高山病で死んでいる。

#55 10月1日 レー

ヒマラヤを眺めるレーの町、ゴミゴミと恐ろしく埃臭いメインバザールを歩き、郊外を巡り、王宮に登る。チベット料理は、水餃に羊の生内蔵を詰込んだようなモモ等、恐ろしく不味い。すく息が切れるので、とにかくゆっくり歩く

#56 10月2日 レー

レー2日目。牛前中ジープでゴンパ巡り。空港近くのストピクゴンパは圧巻。羊の異臭の立ちこめる暗い僧院に、ラマ僧読経のライフ、汚い僧衣の子供僧。ドロドロの中世宗教世界、新生共産中国が弾圧するはずだ。午後は地域エコ雑誌を見て、まったりと。

#57 10月3日 ラダック地域

帰途。下にトラックが落ちている峨峨たる山道をまた戻り、土壌まみれのカルギルヘ。途 中の山岳風景は全然飽きない。

#58 10月4日  シュリナガル

漆黒の5時にアサーンに叩起され出発。吹雪の中、後ろの席で毛布にくるまったまま峠へ。延々走って暑く騒々しいシュリナガルに戻る。デリーから来たときにはなんて涼しくて静かと思ったが、比べる相手が両者強烈か。

#59 10月5日 シュリナガル

塩辛い料理で水を飲みすぎ下痢。午前中ちょっと庭園巡りに出て、あとは延々ホウスボートにあった日本語の本を見ながら寝る

#60 10月6日 デリー

記念撮影の後。ヒマラヤの絶壁を眺めて飛び、暑くて鬱陶しいデリヘ。旅行社で揉める。

#61 10月7日 アーグラ

しょぼいインド銀座・コンノートプレイスを通り、スズキの軽バンのチャータータクシーは牛や猿が歩き鶏や孔雀が飛ぶ、悪路の幹線を無口なシーク教徒の運転手と一路アグラヘ。タージマハルは大混雑、まあ写真通り。満月のタージを見たかったが、凶悪な連中が多いアグラでは外出禁止を言い渡される。一人でツアーは暇で、衛星放送を見てホームシック。

#62 10月8日 アーグラ、ジャイプール

ホームシック。霧に対岸のタージが映えるムガール砦に寄り、乾燥したインドの大地をジャイブールヘ。とにかく汚く雰囲気が悪い都市だが、王宮と天文台はそれなりに面白い。夜、知合った日本語学校の先生の家に遊びに行く。パイクで喧騒の市内を飛ばし、中産階級の質素な生活を覗き、夕食をいただく。細密画をプレゼントされインドで初めての親切に狼狽。

#63 10月9日 ジャイプール、プシケル

象に乗って山頂の宮殿へ。贅を尽した鏡の部屋もインド的に安っぽい。帰り道、昨日$100で衝動買したものが$5で売られていて、インド商人の見境無いボリ方にクラクラする。プシケルまで2時間のドライブ。俗人だらけの聖地を散歩、日本女性と一緒に山頂の寺院に行き、聖地のガートでお上りさんに囲まれ、湖畔のギリシャ風カフェで久々に西洋風の夕食だが、不味かった。

#64 10月10日 ウダイプル

不潔なムスリム聖地アジミールを通過し、ジャイナ寺院に寄ってウタイプルヘ。インドで最高のマハラジャ宮殿は安っぽいけどなかなか立派。子供奴隷の働く細密画作業場を見学。湖の眺めの良いホテルで、米国人と人形劇を見ながら夕食。

#65 10月11日 アウランガバード

朝の飛行機でアウランガバードへ。やっと単独旅行の再開。駅近くの公共宿舎に泊り、ツアーを予約し、小包発送大作戦。まず布を買い、裁縫して、書類を糊付し、鑞封印。猛暑とスコールの中、バザールと郵便局をその都度往復。観光客目当ての詐欺師以外、一般民衆と初めて話す。(その郵便物は9ヶ月後に米国到着)

#66 10月12日  アジェンダ遺跡

アジェンタツアー。川沿いにうねった世界最大の仏教遺跡洞窟。暑くて壁画などどうでもよい。リクシヤ運転手に案内され、痛院で痛めた噸を見て貰う。ツボを触るアーユラベータ医療。診察料30円。夜は蚊に悩まされる。

#67 10月13日 エローラ遺跡

昨日と同じ面々とエローラツアー。まずは砦、暗い城内で手を繋いで歩き、眺めのよいテラスでデカン高原に映える塔を眺める。エローラはヒンズー寺院が圧巻。皇帝廟など要所を廻り、充実。夜は日本人若者と話して、AC付き夜行バスでボンベイに向う。

#68 10月14日 ボンベイ

パスは早朝ボンベイに入る。空港近くに宿をとり、汗くさいエアポートバスでスラムを抜けて市内へ。海岸線に高層ビルが立並ぶ、牛もリクシヤもいない大都会。インド門に出て、タージホテルの本屋でしばし立読み。サルガドの写真集が圧巻。ホテルオペロイで東大卒放浪中の若者と会い、久々のまともな夕食と、インドとモロッコの悪口大会。

#69 10月15日 コーチン

早朝地獄のコールで目を覚し、近代的な空港へ,コーチンヘ着くと雰囲気が全く違う。人をほっとさせる健暖かく濃厚な大気。明らかに北インドの凶悪な乾燥した熱気と異なる。インドで初めて肩の力が抜ける。空港のインド初の親切で有能な観光案内で、アレッピーの船とホテルを予約。椰子の茂る河を渡り、これまた有能なインド国内航空オフィスで予約変更。カルカッタに寄る予定を、モルディブに変更。地獄から天国へ。横5人掛の窓なしボロバスでアレッピヘ。美しく涼しいホテルの部屋で午睡。夜は水牛ステーキ。教育水準の高いケーララ州は有能。力強い共産党もなんか微笑ましい。

#70 10月16日 ケーララ州

スズキをヒッチハイクし船にギリギリ乗込む。外国人が殆どの連絡船は、豊かな田園を背景に祐子の茂った運河をゆるゆる進む。椰子の葉に盛るランチ、原始的な網漁法、人見知りする村を抜ける8時間、全く飽きなかった。終点クイロンからまたボロパスに乗り、トリワァンドラムに投宿。

#71 10月17日  モルディブ

南国の風に気分良く昼まで寝る。新聞に日食の記事。インド国内航空でモルデイブへ。名古屋娘2人組と、空港代理店の推薦するアスドゥ島を予約。1泊$180で頭真っ白。飛魚を見ながら2時間のボートで、1周500mの珊瑚礁へ。イタリア系ホテルで美味しい夕食。

#72 10月18日 モルディブ

部屋を出ると輝く楽園。真っ青な空、真っ青な海、真っ白な砂浜、椰子の木のグリーン、たじろく光の美しさ。朝食後シュノーケリング。ビッシリの珊瑚礁の崖に、密集するカラフルな熱帯魚と単独の大きな魚。透明度が高い海の上を飛ぶ。終日泳ぎ、深青の海が下からの夕日に照らされ黄金色に輝く雲を見る。地球の息吹を感じた一日。

#73 10月19日 モルディブ

シュノーケリンクに病みつき。小さな鮫とナポレオンフィッシュも沢山。強烈な日差しで日焼けが痛いが、海に行っては木陰で読書する結構な毎日。

#74 10月20日 モルディブ

午前に飽きずに泳ぐ。午後は楽しみの釣がキャンセルされて、疲れて寝込む。

#75 10月21日 モルディブ

恐ろしく揺れる船で首都マーレへ、船酔いで名古屋娘達も死んでいる。空港で休み、トリパンドラムヘ飛ぶ。疲れてユーラシア最南端のコモリン岬行きを諦め、後で大後悔。

#76 10月22日 ムンバイ

ポンペイ行の飛行機で日本人と同席、名古屋娘達と市内に投宿。タージホテルで暇を潰し、夕食後、同室インド人と車でドライブに、インド正月デウーリで浮れる湾外を走り、遊園地で豪速観覧車とかに乗る。延々話した彼はインドの政治には暗い表情。

#77 10月23日 バラナシ

ボンベイ空港の米国的レストランで朝食後、バラナシへ。いつか見た北インドの風景、また来てしまった。でも最後と思うと全て優しく許せる。「深い河」の舞台、ホテルドパリに泊る。日食用にタクシーを予約。

#78 10月24日 バラナシ(皆既日食)

未明、星空のもと穴だらけの幹線を車は走る。ピーハールガンガ村で日本からの日食観測団を見つけて、合流させてもらう。凄い重装備の理科大グループは日本の日蝕観測の老舗で、これが50回目という老教授もいる。ホテルは2年前から予約し、機材は3日前からセットとのこと。秒読み開始、接触後1時間くらいでインドの田園に浮んだ太陽がどんどん暗く寒くなる。ダイヤモンドリンク直後、皆既に入った瞬間、世界がトリップ。金色のコロナが薄く輝く青い空に、この世のものではない漆黒の太陽。オレンジ色の異様な大気の中、鳥が慌てて帰る。ただただ呆然と立ち尽した1分間。病みつきになるのもよくわかる。帰路の悪路で、車はパンクしサスも取れ、延々8時間かかる。暫く休み、サールナートへ。リクシャは午後の光をゆっくり進み、博物館と世界各地の仏教寺院を廻る。

#79 10月25日 バラナシ

インド最後の日。5時にリクシヤでゴミゴミ汚い市街を抜けガートヘ。小舟でガンジス河に出ると、対岸の白州から朝日が昇り、反射する着物が美しい。荘厳にして迫力、映画にすると圧倒的と思う。でも近くで見ると白州は巨大なウンコ場だし、乞食の多いガートも糞まみれの悪臭。有名なサドーの所に案内され占って貰い、長寿と裕福と海外旅行の運命を告げられる。善男善女と詐欺師と糞が渾然一体となったベラナシは汚い。最初にここに来たら泣出していただろう。でもこれが最後と思うと、相変らずのバクシーシ攻撃さえ許せる。久々の風呂でインドの汚濁を洗い流し、昼寝の後に空港へ。デリーヘの飛行機は自由席で、ファーストクラスに勝手に座り、インド最後にして最大の贅沢を楽しむ。 

第四部・東南アジア駆足比較巡回記

東南アジアの駆足旅行。人は親切だし、食べ物は旨いし、交通は便利だし、実に気楽に楽しめた。やはり東南アジアと東アジアは、一衣帯水なのだと思う。

#80 10月26日 バンコク

深夜出発満席のタイ航空でバンコク6時着。再び近代文明圏へ。市パスで2時間カオサンに着き、ホテルで延々午後まで寝る。旅行会社を廻ってビザ情報を集め、夕方に旅行会社の日本人社長に誘われヤムタイを見に行く。ロードランナーのBGMにてパターンぽい動きは殆どTVゲーム。観客は賭に熱中。社長と気があって、美味しいタイスキを食べてキャバレーに。美少女を連出す社長の傍ら、疲れ果ててそのまま帰って爆睡。

#81 10月27日 バンコク近郊

朝7時に郊外ツアー。ココナツ園、蛇園、木工場を経て、象のサーカスヘ。曲芸多数で楽しめた。洪水のバンコクに戻り、航空券とバスを予約。ツアー同行した日本人女性と夕食後、エアコン効き過ぎの夜行パスへ。

#82 10月28日  チェンマイ

朝にチェンマイ着。相席した中国系マレーシアの若者と投宿、ツアーを予約し、彼と寺院をめぐり、昼寝し、ナイトマーケットに出かける。

#83 10月29日 チェンマイ(トレッキング)

ジープの荷台に12人詰込み出発。山に入ると深さ1mの轍があるとてつもない悪路。雨期には道が溶け皆で車を押すらしい。トレッキング開始。蛭の攻撃を受けつつ藪を登る重労働で大後悔。ときどき広がる光景はベトナム映画のアジアの風景。夕方カレン族の村に到着。蝋燭のもと地酒メコンでドンチャン騒ぎ。竹床の書台で寝る。 

#84 10月30日 チェンマイ(トレッキング)

民謡で叩き起され、ハードなトレッキング再開。泥まみれで泣く泣く象の村まで辿り着く。象の頭の上に乗せてもらうが、下り坂は落ちそうで後ろの女子の脚に必至にしがみつく。疲労困憊。滝壺で水浴びの後、メオ族の村へ。マリファナを廻してまた騒ぐ。 

#85 10月31日 チェンマイ(トレッキング)

高床下の鶏と時の雄叫びで叩き起こされ、田園の中をトレッキング。疲れ果てたが、北欧若者との竹筏下りは楽しかった。タイ最高峰の寺院と海に寄り、夜はピザハットでまた大騒ぎ。

#86 11月1日 チェンライ、チェンセーン

パスでチェンライヘ。昼食後、気分良い風景のローカルバスでチェンセーンヘ。バスで一緒の英人と投宿し、メコン河へ。コールデントライアングルの川向うにビルマが見える。モーターボートに乗り泥の大河メコンに沈む夕日と川で洗濯をするラオスの人民を見る。世界を放浪中の彼と河畔の屋台で飲む。”Life is strange”。

#87 11月2日 バンコク

チェンライからバンコク・ドンムアン空港、ボロポロの国鉄でフォアランポーン中央駅、バスでカオサンヘ。旅行会社社長とまた飲みに行く。 

#88 11月3日 プノンペン

朝の渋滞を空港に行き、プノンペンへ。1泊1ドルの溜まり場キャピトルホテルに投宿。キリン椰子のポコポコ生える粗放な田園に囲まれた小振りな首都は、軽快なフランス風建物ですぐ好きになる。まだ破壊の跡を感じるが、子供の表情が明るくとても可愛い。日本人4人で夜に繰り出し、ホテルでマリファナの廻しのみ。いかがわしい夜。

#89 11月4日 プノンペン

屋台で麺と油条とアイスコーヒーの朝食。フランスと中国の食文化の交流か、驚くほど美味。巨大な中央市場を見て、メコン河沿いの王宮や寺院を眺める。どこでもシアヌーク殿下の幸せそうな顔が飾ってある。充実の国立博物館を見て、バイクタクシーでツーンレーン強制収容所跡に行く。拷問の跡が残る死体の山の写真、たくさん転がるポルポトの巨大な石像が不気見。8000人の頭蓋骨が慰霊されているが、地面には骨と衣類がザクザク見える。午後は空路でシェムリアプヘ。カンボジア第2の町は、実に長閑で愛らしく、すっかり気に入る。

#90 11月5日 シュムリアップ

早朝、バイクタクシーで土埃の道を30分程で、漆黒のアンコールワットが出現。のどか小船の群にいきなり漆黒の巨大戦艦が浮上したような大迫力。広大なワット、クメールの微笑トムなど、物売りの子供を振り払いつつ、大規模な遺跡を一日がかりで巡る。途中、小学校1年生くらいの男の子に年を稚くと「15歳」だと。最期に恥ずかしそうに「僕は貧乏だ」と言うので、小銭(10円相当)を渡すと目を輝かせる。ポルポト政権下の極端な貧困は恐ろしい。去年まで対ボルボト用高射砲が据えてあったという丘の上でタ日を眺める。

$91 11月6日 シュムリアップ

夕方まで、本を読み、散歩をし、裸の子供達と遊ぶ。長閑な田舎町シュムリアプに居着く旅行者が多いのもよくわかる。空路、平べったいプノンペンに乗ると、水祭だそうで凄い人出。メコンに電飾舶が浮ぶ。屋台でドリアン等の沢山入ったカキ氷を食べる。

#92 11月7日 サイゴン

ツポレフで凄い活気の大都会・サイゴンヘ。ホテルで暫く昼寝し、日本食カフェのカツ丼に感激。午後自転車を借り、蒸暑く凄い交通量の市内を廻る。戦争犯罪博物館に寄るが、糸目をつけない枯葉剤散布など、米国の戦争犯罪は凄まじい。公民館みたい大統領宮殿を見て、賑わうメコン河沿いを走る。夜はカフェで日本語本に浸る。 

#93 11月8日 サイゴン

昼まで気分良く寝る。屋台で美味しい麺とステーキを食べ、また自転事を借り市内を飽きず廻る。仏・米・中・ボルボトと、50年以上も戦争が続き、やっと平和を獲得したのが5年前、今のサイゴンは日本の1960年頃の雰囲気か。人々の表情も輝き、子供はやたら可愛く、アオサイ姿の女学生も美しい。夜にプノンペンで会った日本人と再会し、延々屋台でピールを飲む。

#94 11月9日 サイゴン近郊

朽果てたアメ車でクチトンネルツアー。元解放事兵士の案内で地下トンネルを見る。原始的な装備と忍耐で強大な米軍と戦ったホーチミンは偉大。時々豪雨の中、屋台でフランス料理を食べ、またカフェで延々本を読む。

#95 11月10日 ハノイ

午前中はまた市内を自転車で廻り、昼の便でハノイヘ。援助で出来た立派な高速道路と市内の悪路が対照的。街並には中国の雰囲気。中心街のホテルに入るが、暗く活気がない。中国文明の遺物・文廟を見て、数少ないレストランで不味い飯。

#96 11月11日 ハノイ

群なす自転車の一員となり延々市内を廻る。しかし、秋の定期整備でホーチミン廟も博物館も閉鎖中。ミグやB52の残骸のある軍事博物館を見て、鉄道駅やレーニン公園に寄る。画一的社会主寿的に整備された西湖の畔で休むが、屋台で売っているのはイモや球根。食料事情は南に劣り、笑顔もまだ少ない。夕食はまた堅い肉で、歯はボロポロ。

#97 11月12日 ハノイ、バンコク

蚊で寝不足。近くの充実した革命博物館を見て、麺の朝食。予約変更の連絡不備で、最後の手書き切符を受取り、再びバンコクヘ。バラナシ留学中の日本人と、列車と水上バスでカオサンヘ戻り、彼と地酒メコンとビール多量をあけ大騒ぎ。

#98 11月13日 バンコク

宿酔い。昼まで寝て、マッサージを受け、夕方プーケット行の快適なバスに乗る。

#99 11月14日 プーケット

バスは浸食台地の中央高原を越え、昼にプーケット着。バスで一緒の日本人とリゾートホテルに投宿。硬かい緑色の遠浅ビーチは欧米人が殆ど。大きなロブスターのシーフードBBQの夕食後、娼婦の多い賑やかな歓楽街をうろうろする。夜、腹具合悪し。

#100 11月15日 ブーケット

一日中、涼しいピーチでゴロゴロ。夕方のスコールで戻って、ソロモンキャバレーに。大がかりな舞台にドラッグクイーンの迫力。戻ってまた繁華街をうろつく。

#101 11月16日 ピーピー島

朝の船でカルスト地形の美しいピーピー島へ。極端に遠浅の蓑の入江、浅瀬の珊瑚礁など、実に素晴らしいが、雨で日がな宿でふて寝。夜、他の日本人と屋台で夕食。

#102 11月17日 ペナン

陰湿な驟雨。仕方がないので脱出するが、大混雑の船の甲板で2時間ずぶ濡れ。奇岩のクラビーから、バンで大都会ハジャイへ。工場の建並ぶよく整備されたマレー半島アジアハイウェイを下り国境を通過、大都市パタワースから夜景の美しいフェリーで渡り、ペナンに夜到着。強行移動の疲れをシャワーで癒し、漢学の多い街を歩く。屋台の雲呑麺が美味、華僑が元気な街はやはり楽しい。

#103 11月18日 ペナン

洗濯物を頼み、高層ビル・コムタで地図を貰う。ビーチを抜け、充実した蝶園へ。コムタに戻って切符を予約し、ペナン博物館へ行くが改装中。洗濯物を受取り、ケープルカーヘ向う。薄暗いケープルカーで日立に働く華僑と話し、夜景の見事な頂上へ。タクシーでペナンに戻って、屋台で安い伊府麺やカキ氷等を食い漁り満腹。

#104 11月19日 ランカウイ

早朝ランカウイ島へのフェリーに乗る。綺麓な高速船はガンガン飛ばし昼前に到着。ムスリムが着衣のまま海に漬かる涼しいピーチで、サテを肴に青島卑酒を飲む。

#105 11月20日 ランカウイ

華僑高校生の集団と船に詰込まれて島巡り。美しい島影をボートで移動しつつ、濃緑色の淡水湖で泳ぎ、つり橋を渡り、静かな沖合で泳ぐ。やたら可愛い彼らと、半分くらいの年に戻って遊び、無茶楽しい。夕食は途中会った中国系グループに招待され同席。マレー人は大人しく、仲良くなるのは中国系ばかり。

#106 11月21日 クアラルンプール

豪雨。パヤ島でのダイビングは断念。返金後に空港で最後の飛行機を予約。美しい海岸線の上を飛び、大都市クアラルンプールヘ。駅で寝台を予約し市内を歩く。KLタワーも国立博物館も改装中なので、屋台でラクサを食べ、紀伊国屋で延々立ち読み。KL駅発の美しいマレー急行の寝台は通路の両側にカプセルホテルが並んだ配置。

#107 11月22日 シンガポール

熟睡中のジョンホールパルで国境検査の後、シンガポール初入国。クリスマスの宣伝が賑やかな最新のビル群は、アジアというよりサンフランシスコのビジネスエリア。美しいMRTに乗り、安宿街に投宿。昼まで気分良く寝て、午後散歩。豪華なラッフルスホテルで地図を貰い海まで歩くが、小さなマーライオンは工事中。世界貿易中心までバスに乗り、ロープウェイでセントーサ島へ。水族館も歴史民族展示館も充実。あまり知らなかった昭南島攻略記が興味深い。途中会った日本人と、モノレールで島を一局し、夜景のロープウェイを戻り、屋台村で一肯に夕食。

#108 シンガポール

オーチャードロードを散歩し、MRTで充実のバードアイランドと動物園へ。鳥と小動物に囲まれて幸せだが、暑い。戻って夕方ジョホールバルに。娼婦の立つ猥雑な街をうろうろし、安い屋台で食事。清潔無比なシンガポールの裏側だろう。

#109 11月24日 シンガポール

怠惰な一日。夜まで伊勢丹と丸善で延々立読みし、中書街の屋台群で夕食。 

#110 11月25日 シンガポール、スラバヤ

近くの美術館と博物館へ。東南アジアの政治が安定したのは割と最近なのを認識。今の高度成長は当然か。美しいチャンギ空港からガルーダ航空を、ジャカルタの高床式建築風空港で乗換え、スラバヤヘ夕方到着。大学後輩の迎えの車でホテルに向かうが、彼は仕事が忙しくて戻れない。

#110 11月26日 スラバヤ

大学後輩とショツピンクセンタで昼食、閑散とした動物園を散歩。夕食からハイアットへの飲み直し。

#112 11月27日 バリ島

宿酔、後輩の車で空港へ、バリに飛び、気持ち良いホテルに投宿。夕方ヒンズー寺院にケチャを見に行く。村人描出のローカル感が良し。

#113 11月28日 バリ島

亀島までバリ風力ヌーに乗る。青空と柵子の木が見えるホテルの屋上プールが気に入り結局ずっと過す。夕方、巨大な夕日が沈むクタビーチに出かけて、賑やかな繁華街で食事。

#114 11月29日 バリ島

島内ツアー。バロンタンスを見て、果樹園やバリ風民家を見学。キタマニ火山とカルデラ湖を見ながらの昼食後、段々畑を歩く。しつこい子供から逃げつつ充実。帰って屋上プールでウダウタし、日本料理屋で夕食。

#115 11月30市 ジョグジャ

朝の飛行機で古都ジョクジャヘ。駅前の中級ホテルに投宿。バイクを借りて混乱の道路をボロブドールヘ。石の仏教遺跡も暑さで退散。プランパナンも諦めて、市内に戻り王宮と王女の噴水へ。バイク返却直後にスコール。しばらく休んで、小さな街を歩き、ゴザ敷きテント屋台の卓祇台で揚鯰を食べる。小さな町、ジョクジャがすこく好きになる。 

#116 12月1日 ジャカルタ

冷房と食事付の立派な列車でジャカルタへ移動。市内中心ガンビル駅に着き、繁華街を歩くが広いだけで面白くない。ここは東南アジアのロサンゼルスか。タクシーで延々市街を抜け空港へ。大韓航空でジャカルタのだだっ広い夜景を見ながら帰路に就く。

#117 12月2日 ニューヨーク、ボストン

久々のソウルは零下5度。続いて13時間かけて、JFK空港に朝到着。ボストンまでの航空券が高くて、市内を歩いてアムトラックで帰ることに。久々のニューヨークは寒々と古色蒼然の世界。昨晩まで熱帯にいたのが嘘のよう。久しぶりに見る白人達はみんな疲れた顔をしている。愛しのボストンヘ帰るが、若い国・米国も、アジアから戻ると歴史の遺物のように思える。やはりアジアは熱かった。

 

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