子供に嫌われたと思ってしまう時ってあるんだけど、落ち着いて考えてみよう
以前、書いたけど感情的かなと引っ込めた内容。自分の中でだいぶまとまってきて良かった。
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ずいぶん前から自分の育った環境、その後の自分や作った家庭のことを暴露する著名な方がいらして。
何でも暴露してしまうけど、それなりに順調なのだろうと思っていた。
それが最近になって成長したお子さん側から親への思いを打ち明けていたのを知った。その中身が私には衝撃だった。
自分の生活には直接関係のない人なのに、こういうところでぐわんぐわん左右されるのは、私の気質のやっかいでたまらないところ。「考えないでおこう」「年齢を追うごとに気にしなくなった」とはなってくれない。むしろますます強くなっていくのが時々たまらなくうっとうしい。
著名な方に関してはもう書かないことにした。若い頃は知っていたけど、ずいぶん長い間遠ざかっていたので。
その方のお子さんが書いてらしたことで考えさせられた問題の一つは、自分の子供についての暴露(しかも親目線に過ぎないので一方的)。こういった場で書くのは大丈夫なのかと考えさせられた。
今年に入って、息子のさらなる親離れをまのあたりにして、私も子離れしなければと少し焦りがあった。
何故なら、私は子離れできていると自分では思っていたからだ。
そしてそうでもない自分に気づいたからだ。
あの時の私の対応は良くなかった、あの私の接し方はこうすれば良かった、がよぎって自分を責めてしまう。
考えても仕方ないのにね。わかっていても、振り払っても、どうしても。
そして息子から否定的な感情を察知すると「ああ私のこと好きじゃないんだ」なんて卑屈になってしまっていた。
異性の親として、父の振る舞いを参考にし、私はこれで良いと言い聞かせつつ、どうしても自分の息子への接し方に後悔も出てくる。
どんなに精一杯誠意を尽くしたようでもそういった思いは出てくるし、出てきた方が良いのではと今となっては思う。
何より息子はどう思っているんだろう。noteで息子の言動を書いているのを、息子は知っているけど、話していて「読んでるんだな」と思うことはない。息子のことだから面倒くさくて読んでいないだろうしと、私も段々厚かましく細かく書いてしまった。
でも本当はイヤだと思っているとしたら。窮屈に感じていたり、言い出しにくかったり。
自分を責め続けていると、友人が声をかけてくれた。
子供の立場から意見を伝えてくれて、さらに「かわせみさんと息子さんと築いてきた関係があるなら、直接聞いてみては」というようなことを言われ少し気が軽くなった。
別の友人にも長々と聞いてもらい、思いを書くと自分が何を一番気にしているのかわかってさらにラクになった。
そして息子と話した。
だいぶ前だけど、ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)で息子をネタに書くのをやめてねと言われて、しばらくやめた時のことを話した。
その後「今の、面白いから書いて。これからも書いて良いよ」と言ったのでその当時の心境を聞いてみた。
すると「ああそうだったね。何で書いて良いって思ったんだっけな」と笑っている。「僕が僕のことを面白いと思ったからじゃない? でも何でやめてって言ったのかも忘れちゃった」。
そこでnoteで書かれることをどう思っているのと聞いてみた。
「えええ。それも別に良いんじゃない?」
「言葉とかも? 今のやり取りをそのまま書いたらどう思う?」と聞くと「だって読む人は僕のこと知らないもん。僕の友達が読んでたらイヤだけど、別に何書いたって僕には影響ないよ。全然書いて良いよ」と言う。
この前の「生きることについて」(※近々これについて書いたのを載せたいです)のやり取りは? と聞いても「だから気にしないって。お母さんが書きたい場所と僕は切り離されてるもん。なんでそんなに気にしてるの?」と笑っている。
ああ。
なんだ。
その表情と話し方で安心できた。
やっぱり息子って、私と全然気質が違うんだな。割り切りが良いなあ、息子。羨ましい。
直接話して良かった。
そこで私の気持ちは一段落したけど、もう一つ気になることがあった。
そのお子さんが母親に対して自己主張した時「お母さんのことが嫌いなのね」と言ったとか(どこまで真実なのかもわかってはいないのですが)。
でもその後もお子さんは、乾いた心が全然うるおわないといった風に、お母さんをすごく欲しているのが当人の文章を読んでいてわかる。
「認めてほしい」と訴えているのに、母親は自分が嫌われたと思ってしまっている。
ああそこは違うんじゃないか。お子さんはこんなにもお母さんに認めてほしいと訴えているじゃないか。どうして気づかないのかしら。と読んでいて辛くなってしまった。
そして、これって親子間で多い構造なのでは? と気づいた。
親が「子供に責められた」から「嫌われた」と思いが至ってしまう時。
きっと子供の真意に思いを巡らせた方が良い。
子供は自分を認めてほしくて親に抵抗する時がある。
それは思い返せば、子供が幼少期からそうだったではないか。その気持ちのからくりは知っていたはずだった。
でも大きくなるにつれて子供自身の言葉で訴えてきた時、「自我が成長したんだ」と何故思えずに、「自分が責められた」と感じたのだろう。
自信がないからでもあるし、自分に意識が向き過ぎているのかもしれない。
私だって親に対して反抗したり、一生懸命自分の気持ちを訴えたりしている時に、親が「かせみは冷たくなった」と嘆く姿を、胸を痛めて見てきた。
自分の過去を思い返し、子供の心に思いを馳せ。
そうか。親から離れるのもまた親への思いがあるからだと気づいた。
子供は、親に自分を認めてほしいんだ。
だからわかってほしいと心の中で叫んでいる。
本当に親を嫌いだと思うとしたら、わかってくれなかった経験が何度も何度も積み重なるからなんじゃないだろうか。
私はもっと息子の思いに自信を持って、見守りたい。このまま卑屈になって子供に心を閉ざしていたら、本当に嫌われる日がやってくるぞ。
しばらく経ったある日。
息子とのリモート中に私がボンヤリしていると「お母さんは?」と声をかけられた。
えっ? なに?
「お母さんはここしばらくで、何か特別なことなかったの?」
おお。私の近況を聞いてくるではないか。
息子からそんな風に聞かれるようになるなんて。
ちゃんと大人になってるんだなあ。
「お母さん、自分の子育てに自信持ってよ」って若い頃、母に対して思っていた。私をもっと信用して大丈夫なのに。って。
それは、私にあれこれ制限かけて口出ししなくて良いって意味だった。
今の自分に聞かせたいわ。