自分だけの「愛」の表現を
全然体調が戻らず、身体のあれもこれも調子悪い。前回みたいに書こうとしても愚痴だらけなので、こうやってちょこっと書くだけにしておく。
Xで、夫が見かけた内容。
ある外国人が日本各地に行くと、各地に住むおばあさんが「これ持って行きなさい」と何かしら持たせてくれるのは何なのだとつぶやいていたそうだ。
さらにそれは「愛しているよ」の表現ではないかと結論付けていた。
日本人は「I love you」をなかなか言わない。私も言わない。夫も言わない。
愛はある。愛情も自覚している。恋愛感情だってどんなものかくらいはわかる。自分で「相手を愛していると思っているんだろうな」とさえ思う。
だけど、愛しているよと言った途端に、なんかちがうそうじゃないんだなーと、ピンと来ない。付き合っていた頃はお互いに言ってみたりもしたけど、言ったそばからやっぱり「愛している、ってなじみがないよね」と困惑顔だった。お互いに。
だから夫も私も「大好き」と言う。ほぼ私がだけど。
息子にも「大好きだよ」と伝え続けてきた。今も言う。息子も言ってくれる。思春期の頃もうっとうしそうに言い返してくれていた。言わない時もあったけど、よほど機嫌の悪い時でもない限り、言ってくれた。
夫も息子には惜しみなく言ってあげている。
……良いなぁ。
夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した話は有名だ。正確にはいろいろと説があるけれども。
「愛している」と日本人があまり言わないのは、別に卑屈になることでも誇らしくなることでもない。これを読んでいる人の中で、言い合っているカップルや夫婦がいるのなら、それもまた素晴らしい。気持ちにしっくりくる言葉を表現し伝えているのならそれで良いのだ。私がその言葉の感覚にいまいちピンとこないだけで。
だけど、愛の概念はあるのだと、「月が綺麗ですね」が充分わかるなあとしみじみする自分に気付く。
結婚する頃に読んだ雑誌にも、そんなようなことが書いてあって印象に残っている。その時間に一緒にいなかった夫婦が連絡を取り合って、別々の場所から一緒にキレイな月を眺める。そこには、美しい風景を一緒に眺めたい愛がこもっているのだと、当時の私は夏目漱石の話より先に知ってしまった。
ちょっと前、夫が「かせみどんを連れて行きたい」と言う場所があったと書いた時に「それは愛の形」だとコメントを下さった方がいらした。
「これ持って行きなさい」もきっと愛。
日本人の会話に「愛しているよ」はたくさん出てこないけれど、それに代わる表現がたくさんあるとしたら、それも豊かではないかと思う。
そんなことを外国人から学んでそれがまた面白い。
自分なりの「愛しているよ」を、「大好きだよ」以外に探してみたくなった。