背中を見せるのも大事なのかもしれないなあ
どうもコソコソ家事をしてしまいそうになる。コソコソは後ろめたいとか隠したいとかそんなニュアンスの意味ではなくて。終わると「じゃーん! ここキレイになってるでしょお?」とか「ほら料理ができたでしょう?」とかサプライズな気分で。
でもそんな気分でいても、誰かが「いつの間に!」と驚いてくれるわけでもない。夫も息子も特に何かを言ってくれるわけではない。
子供の頃に、母を驚かせたくていつの間にか何かをキレイに磨いていたとか、どこかを片づけたとか、何かを作ったとか。母が目を丸くして「アラーありがとう!」と驚いてくれるのが面白かった。その時の喜びが大きかったのかなあ。
母は家事をやっていたから変化に気づくし、その作業の面倒くささも良く知っているから驚いてくれたのだよね。喜んでくれたし。
今は誰も気づいてくれないから、自分で言う。「ほら見て! ここ片付けたんだよ!」とか「キレイになったでしょ! すごいよね!」とか。それはサプライズじゃあないよね。
普段は家事を「これで良い」と適当なところで満足しちゃうし、体調悪くてできなかったところで、夫も息子も「困らないよ」と平気。だから片付いていなくて、或いは汚れてきて、気になるのは自分なので、ストレスがたまり過ぎないうちに片づけたり掃除したり。夫も基本的に「家族にお願いするくらい気になったら自分でする」タイプ。夫がそこまで気になることが滅多にないのだけどね。
ただ息子は特性上、片付けが苦手なのでね。背中を見せてあげた方が良いのかもしれないと今さら思い始めた。遅いけど。
いや幼少期は一緒に片づけていたし、その後だってずーっと言い続けていたのだけどね。特性だからなかなか身につかないし、シチュエーションが変わると対応しづらいみたいだ。仕方がないけど、息子だって「超えられる段差も超えられないってあきらめたくない」って言うし!
単純に、人の背中を見て思うところがあって。
ウチでの家事、雑用の中で、もっとも嫌いと言って良いのが庭仕事。虫が極端に苦手ということもあるのかもしれない。苦手以上にもう恐怖症になっていると思うなあ。人は土いじりをし草花に触れると癒されるというのに、私はちっともだ。愛でるのはすごく好きだけども。
でも雑草が伸び放題になると、蛇でも入ってきそうだし虫も増えそう。庭木がやたらににょきにょき伸びると翌年に影響する。仕方がないなあと、だいぶボーボーになって、さらに近所にいる友達に「どうしよう。ボーボーがひどい」と訴えないと気が済まないくらいになって、ようやく重い腰を上げる。草刈り機で刈る。ああ思い出すだけで嫌いな作業だなー。
さらに、草刈り機で刈れない場所や、地面にはりついた雑草を手作業で除く……のがもっと好きじゃない。もういやいやだけど仕方なくがんばる。孤独な作業だし、「ほら見て!」と家族に言ったところでビフォーアフターがわかりにくい。
いやだなあ、好きじゃないなあと思っていたら、ある日、ウォーキングコースで草むしりをしている人たちが目に入った。
草刈りや芝刈りをする人たちは時々目にするし、花壇の手入れをする人たちも目にしていた。ご苦労様だなとありがたく思う。
でもその日は、一見キレイに見える芝一面の場所に何人かがしなっと横座りして、地面を一生懸命ほじくっている。
そりゃそうするんだけどさ。
なんだろうね。人のそういう姿を見ると「あっ。そうだよね。そうやって地道に頑張っているんだよね」と改めて認識するのかな。
そこのウォーキングコース。長年歩いているのに、芝の上の細かな雑草を手作業で除いている姿は見たことがなかった。
みんな地道な作業を誰に褒められるわけでもなく(多少手当は出るのだろうけど)コツコツとがんばっているのだ。
それだけなのに、見知らぬ人たちなのに、作業するその背中を見て「私もがんばろう」と思った。
いつの間にかキレイになっていて「わあ」と思うのも良い。そこに至る想像をするのも、想像をしてねぎらう気持ちももちろん良い。だけどきっと何かをがんばっている背中を実際に見るのって大事な気がした。
あの姿を見てから、コソコソ家事を済ませるのをあえてやめようとしている。息子に良い影響ないかななんて色気を出している間はダメなんだろうけどね。