メリーポピンズがどのようにできたか~「ウォルトディズニーの約束」を観て~
「ウォルトディズニーの約束」を観た。差別主義者を始め、色々と怪しい噂は耳にしていたけど、これを観て、ウォルトディズニーという人を少し見直した。
これは、映画愛と「メリーポピンズ」愛に満ちた作品である。
「メリーポピンズ」は、以前に観たことがあるけど、はっきり覚えていなかったので、「ウォルトディズニーの約束」を観た後、早速復習した。
復習してみると、以前の観え方と深みが全然違った。あらゆる場面、セリフ、歌が「ウォルトディズニーの約束」で出てくる。この制作過程があっての「メリーポピンズ」なのだが。そしてこの映画に至るまでのあらゆる人たちの苦労があったのだなと、感慨深くさえある。
*以下、ネタバレあります。
「メリーポピンズ」の作者、パメラ・トラヴァースが映画化するにあたっての思いが、「ウォルトディズニーの約束」で描かれている。そして制作時には、ウォルトディズニーや、ディズニー音楽の数々の名作を作り出したシャーマン兄弟、他スタッフがパメラに振り回されていた。
彼女は、制作過程を「ちゃんと声の録音をして」と言い、約束を守らせるため厳格に、屈折的な性格を全開にして、自分の言うことを聞いてもらう。その声が実際に残っていることは、映画のスタッフロールの後にも証明されている。ホンモノの声に、胸が熱くなると同時に、演じていたエマトンプソンがすごく似ていたと驚く。
そして「メリーポピンズ」が、これほどまでに作者パメラの心の中を映し出している作品であることが何よりもの驚きだ。「メリーポピンズ」自体、大人に対して充分、強いメッセージがあると感じていた。乳母にしつけをまかせる親たち。子供たちにきちんとさえしてもらえたら満足な親たち。でも伸び伸びとしたい子供たち。大人たちのあるべき姿。
でもそれだけではなかった。
パメラの育った家族は、今で言えば、典型的な機能不全家族である。父親の精神状態が不安定でそれを度々目にし、心の奥底では恐怖を感じていたであろうこと。そんな父親を見ながら、母親が常に不安であるのを感じ取っていたこと。母親を支えなければいけないのは自分であったこと。その気持ちを思うと、胸が締め付けられそうになる。怖かったろう。寂しかったろう。不安だったろう。でもそれを胸に閉じ込め、さらに父親のために動いているつもりで、父親の体を悪化させ、父親の要望に応えようと一生懸命したつもりが死に目にあえない。あんなことしなきゃ良かったという強い後悔が自分を常に責めたて、彼女は周りと壁を作る。
でもパメラが、父親のことが大好きだったこと、父親が彼女をとても可愛がっていたこと、そしてそれを彼女が実感できていたことは救いなのである。幼いパメラは想像力を育まれ、自由に発想して遊んでもらえた。父親の愛情を実感できていた。だからきっと父親を許せるようになったのではないかと思う。
だけど。彼女は「自分を許せなかった」。
これも機能不全家族で育った子供の典型的な思考回路だと言える。
親があのようであったことは、自分のせいだと思ってしまう。自分がうまくやれば何とかなったのではないかと自分を責め続ける。本当は親自身が自分でなんとかしなければいけない問題なのに。子供は自分のせいではないかと問い続け、責め続け、周りとの間に壁を築く。何と苦しい作業だろう。それが一生続く人だって大勢いるし、続けながら、自分の子供に連鎖させてしまう人も大勢いる。
「メリーポピンズ」を書くことは、彼女にとって、自分の気持ちを何とかしたいという心の叫びだったのかもしれない。それが名作となり、子供たちに愛された。子供たちを愛する親たちにも愛された。ウォルトディズニーにも。
ウォルトがパメラを説得にかかる終盤のシーンは、凄みがあり、圧倒される。幾つもの言葉が胸を打つ。
彼にも自分の中に「バンクス」がいたと打ち明ける。「バンクス」とは「メリーポピンズ」の中に出てくる子供たちの父親である。自分にとっての「バンクス」との関係について「一日として思い出さない日はない」と話す。
そして映画「メリーポピンズ」の最後を、あのように展開させたのは何故か、ここで明らかになる。「過去に支配されない」ように「悲しい話を終わらせよう」というウォルトの気持ち。さらに、パメラが「父親を許す」ことはできていると感じた彼は、「自分自身を許せ」と彼女を諭す。ウォルトは、自分自身の経験と重ね合わせ、彼女が罪の意識を抱き続けていることを見透かす。自分を許してあげるために、「親子たちが何世代にもわたって、バンクスをたたえられるようにしてあげよう」と。自分の中で決着をつける時、又トラウマへの対処法の一つとして、自分の中のストーリーを書き換えるというやり方は、カウンセリングの場で実際にあるそうだ。これを提案したウォルトディズニーは、人の心をつかむ才能に長けていたと思わせられる。
パメラにとって、「メリーポピンズ」を書くことは、自分の気持ちをどうにかしたいともがいていた段階。映画を作ることに携わることで彼女はさらにカウンセリングを受けているような、結果的にそういうことになっていた。さらにウォルトディズニーが説得にかかるシーンは、カウンセリングの仕上がりのような場面である。よく映画化の説得に行ってくれたものだと思う。おかげで原作とは違うところは多くても、彼女も気に入る名作となった。特に最後に凧を直すシーン、そこでシャーマン兄弟の作った歌は、彼女のお気に入りとなる。彼女が「気に入った」ことがもう彼女の中での大きな変化なのだ。
そして、原題の「Saving Mr.Banks」の言葉の重みがずっしりと来る。
最後に、彼女を取り巻く人たちについて、付け加えておきたい。ウォルトディズニーはもちろん、シャーマン兄弟、脚本家のドン・ダグラディ、周りの秘書たちなど実に根気よく素敵な振る舞いを見せてくれる。何よりも運転手ラルフとパメラの関係に心温まる。彼には障害を持った娘がいて、彼が心を痛めているセリフや様子が少し明かされる。パメラはそれを覚えていて、障害を持った過去の偉人たちを一度目の別れ際に伝える。ラルフが、自分の個人的な思いと、パメラの気持ちを尊重するところを、きちんと分けて考えることができるのも素晴らしい。
ここに出てくる人たちは、一人の、心に傷を負った人間を包み込むおおらかさを持っている。
さて、「メリーポピンズ」続編の公開が迫っている。どのように仕上がっているのかなと、気にはなっている。