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女性の人生を考えさせられた~アガサ・オールアロング~

 少し映画から離れてしまっている。
 田舎街なので、車で山を越えないと新作を観に行くことはできない。夫が忙しすぎて、休みの日に無理に要求を通せない。休んでほしいし、私も山道の運転に自信がない。山頂付近になるとどうしても眠たくなってしまう。これから雪の季節になると道路状況が心配で、また少し足が遠のくだろう。
 こんな時はサブスクでじゃんじゃん観たいものだけど、家の中だとなかなか腰を落ち着けられなくてね。ちょこちょこ。
 MCU(マーベルシネマティックユニバース)作品が好きなもので、ドラマ「アガサオールアロング」は観ておこうと思った。
 好きだと常々書いているしそう思っているけど、全部のドラマをちゃんと網羅しているわけじゃないし、今回のはホラーっぽくて怖そうだし、ちょっと見て、苦手ならやめておこうと思っていた。

 これがもうどうして良いかわからないくらいその世界にハマってなかなか抜け出したくないくらいお気に入りのドラマになった!


 MCUがドラマを作ると決まってから、最初の公開作品が「ワンダ ヴィジョン」。
 とてもトリッキーな作品で、楽しいコメディものかと思いきや不穏な空気が流れ始め、毎回ナゾだらけ。それはもうドキドキワクワク面白いやら、頭を働かさないと理解が追い付かないやら。


 ここで、ある悲しい女性の半生について書きたい。

 マーベルの世界に興味がなくても、「3.」以降は西洋における魔女の存在(オカルト的な意味ではありません)や女性の生き方について考えているので、良かったら是非読んでみてください。


1.ワンダという女性の悲しい過去


※ここからワンダに関わる(「ワンダ ヴィジョン」についても)ネタバレをがっつり書きます


 その子は、ある戦乱の中に暮らしていた。家庭は貧しくも幸せだったけれど、その日は爆弾が家の中に落ちてきて、両親と幸せな家庭を失った。
 爆弾は爆発することなく、双子の弟と2日間ほどずっとそこの書かれてある「トニースターク」の文字を見ながら恐怖の中で過ごした。
(トニースタークは、アベンジャーズのアイアンマン。トニースタークは自社製品を戦争の道具に使っていたけど、自分が生死の境をさまよい、自社製品の使われ方、戦地の残酷さや愚かさを目の当たりにして、アイアンマンになった)

 その女性は、爆弾に書かれた「トニースターク」を倒したくて、ヒドラというテロ組織に加わった。そこで特殊な能力を手に入れる。
 でもアベンジャーズの目的やヒドラという組織の本質を知り、アベンジャーズに加わることになる。
 加わった瞬間、人助けに全力を注ぐのだけど、双子の弟は被弾し亡くなる。

 彼女はそうやって愛する者を次々失っていってしまう。

 アベンジャーズに加わったからと言って、彼女は愛する者を取り返すことはできず虚しい日々を送る。特殊な能力も時々コントロールしきれず暴走してしまうこともあった。孤独だった。
 そんな気持ちを救ってくれたのがヴィジョン。

 彼は人造人間。マインドストーンという石を額部分に埋め込まれている。
 それでもその人工知能は、人間の心を理解しようと努力し、ワンダとヴィジョンは心を通わせていく。

 何年か経過するうちに、ワンダとヴィジョンは愛し合うようになるのだけど、ヴィジョンに埋め込まれているストーンをサノスが欲しがっているとわかる。
 そのストーンをサノスが手に入れることで、地球を含めた宇宙じゅうの人口を半分にする目的があるのだ。
 それを防ぐべくアベンジャーズは奮闘する。ヴィジョンのストーンを奪うということは、ヴィジョンが生きている力を失うということ。
 でも戦いの中で、サノスに生きている人々を消されるくらいなら、そのストーンを破壊しなければいけないというギリギリの選択をせまられる。

 ワンダは、ヴィジョンを自らの手で失う決断をする。自分のパワーを最大限に使い、苦しみ泣きながら。
 なのにサノスは手に入れた他のストーンで時間を戻し、ヴィジョンを生き返らせる。そしてワンダの目の前でストーンを奪う。いやむしり取る。

 「やめて!」と叫び、その後泣き苦しみあえいでいる彼女は、サノスによってサラサラに消されていく。宇宙全体の人口が半分になった瞬間だった。

 残ったアベンジャーズたちにより、失った人たちを復活させるための戦いが「アベンジャーズ / エンドゲーム」。


2.「ワンダ ヴィジョン」の世界観

 すべてを終えてワンダは、ヴィジョンの遺体を引き取って埋葬したいと会いに行くが、既にヴィジョンは解体され始めていた。ワンダはその亡骸に「ヴィジョンを感じない」とつぶやき、自分が住みたかった土地へと車を走らせる。

 そして彼女の苦しみ、嘆き、心の深い悲しみすべてが、ある世界を作り出した。
 ドラマ「ワンダ ヴィジョン」の始まりだ。

 ワンダはその地域を支配し、人々を動かす。それは洗脳という意味ではなくて、実際にワンダが動かし、ワンダのその世界の中で人形劇をしている感じ。
 そこには生きているヴィジョンが夫となって暮らしていて、そのうち双子の男の子が生まれる。
 すべてが自分の描く幸せな家庭とご近所さんで成り立っているのだけど、最初は自分の力のせいだと気付かない。自分の悲しみや苦しみが無意識に猛威を振るって、その世界を作り出しているのだと段々わかるようになる。
 その虚構の世界で地域の人々は、ワンダのその苦しみを感じ取り、苦しみの中を日々生きて閉じ込められているのだった。
 それに気づき、解放しなければならないため、ワンダは自分の作った家族を手放すことにする。

 ワンダはすべてを失い、孤独でいる覚悟を決めたように見えるのだけど……。
 
(※アイアンマンについても、ワンダについても、ものすごくざっくり雑な紹介でした) 

 ワンダが好きだった私は、このストーリーが悲しすぎてつらかった。
 彼女の悲しみが、自分を守ろうとして、周りをよせつけずに生きていると感じたから。

 でも本当はそれだけじゃなかった。そもそも彼女が何故アベンジャーズに入れたのかは、彼女が他の誰よりも強い力を持っていたからだ。
 そしてその力は、テロ組織のヒドラによって手に入れたものでもなかった。
 彼女は潜在的に、生まれながらにしてその能力を持っていた。

 彼女自身が気づいていなかったそれは、「魔法」だった。

 現実改変の魔法が、彼女に虚構だけど実在したヴィジョンを作り上げ、虚構だけど双子を存在させた。結界の中で街を作り、人々をコントロールした。
 ワンダはスカーレットウィッチという魔女だったのだ。


 そしてそれをずっと知っていてうまく立ち回っていたのが、やはり「魔女」のアガサ。ちゃっかり隣りに暮らして様子をうかがっていた。


 やっとアガサの話ができる!

 アガサはスカーレットウィッチの力が欲しくて、どうやってその力を手に入れたのかを探った。
 そしてその力を手に入れるところで、破れた。
 つまり「ワンダ ヴィジョン」の中で、彼女はヴィランだった。

 ヴィランだったけど、ストーリーの終盤までただのわき役。
 そしてヴィランとして倒されてからは「ただの詮索好きのおとなりさん」とされた。
 なのに、アガサのドラマって、どうなるの? 面白いの?


 そんな半信半疑な気持ちで観始めたたのだけどね。

 そもそも「現実改変」が何ぞやとか、ワンダの作り出す世界やら、魔法やらが、4年前に「ワンダ ヴィジョン」を観た時はよくわかっていなくて。この4年の間に、マーベルの世界にさらに入り込んだ私は多少理解できるようになったらしい。

 めちゃくちゃ面白かった!


3.実在する西洋の魔女たちについて少し


 そもそも魔女ってなんなの。
 魔法使いってファンタジーでしょ。

 児童文学で魔法について卒論も書いたような私が、それをまったく理解していなかったことが恥ずかしい。当時の私はまだまだ調べたりなかったなー。

 西洋での魔女は実在するそうだ。
 それは妙な呪文を言って不思議な薬草を作り、怖い雰囲気を楽しむ奇妙な宗教団体みたいなものではなくて。
 そういうのもあるかもしれないけど、自然にいる人たちについて。

 どういう意味なのだろうとちょこちょこ調べ。
 読みかじりで申し訳ないけど、要するに、昔キリスト教の考え方ではなかった女性たちが、自分たちで緩やかにつながったのが、魔女団と言われて処刑されたりと、迫害された歴史があるのだそうだ。
 おまじないの言葉をかける一般の女性たちや、呪術師もいたため、現代につながるイメージはそういったところから来ているのかもしれないけど、それだけでなく高齢の女性や産婆、薬師などがいたそうで、賢い女性だって多かったそう。

 女性は生理もあって出産をするから、ある宗教からは魔女と仕立てられたのかもしれない。そんな説を書いておられる方もいる。
 宗教にも、解釈に矛盾が生じると軌道修正しなくちゃいけなくなっただろうし、でも矛盾を無理矢理押し通すためや正当化のために、ひどいこともしてきたのだろう。
 たとえば犯罪や残酷な行為をしてしまう女性がいたら、魔女と周りにも認識させることで、他の、自分たちの気に入らない者や宗教に従わない者まで適当に魔女としたのではないかと、そういったものを読みながら思った。
 こういった歴史の話を読んでいると、ほぼもれなくそうであるように、まったく関係のない女性まで多数処刑されたとのこと。

 自立した意識を持ち、自分の頭や言葉で考え、知識も豊富だからと、それに対して恐れられて迫害されたとしたら、悲しくてならない。
 若い女性のそういった芽を摘んではならないと強く思う老婆心さえも魔女の要素だったのだろうか。

 魔女団のゆるやかなつながりは、強いものでなくても良くて、仲良しじゃなくても良い。仲良しと思うかどうかは個人的な感覚で、同志という感覚だろうか。
 つまりべったり常に一緒なわけでもなく、ただ仲間意識があり、実際には何となくつながっているだけで良い。ちょっとnoteのつながりみたいで、良い関係だと私は思うのだけどね。考え方が軽すぎるかな。

 とにかく西洋に魔女は今も存在し、過去には保身のために、告発し合うこともあったらしく、迫害されてきたそうだ。
 ただ、今その環境が完全に改善されているのかと考えたら、すっかり過去のことと言えないよね。

4.中高年の抱える思いについて描かれた魔女の魅力


 アガサは何百年と生き延びてきた魔女で、仲間を売り、自分のために他の多くの魔女を何度も犠牲にしてきた。
 彼女は狡猾で、何を考えているかわからず、悪い冗談を言い、自分の保身のためなら何だってする。

 憎まれるような主人公なのに、アガサを演じるキャスリン・ハーンの演技がたまらなく良い。表情が面白いように変化し、それが素晴らしく、観ている側もだまされる。
 しかも時々、魔女ではなく母親自身に戻るかのように慈悲深く、息子を思う表情を見せる。
 こんな部分もあると胸を打ち、愛を感じる。かと思いきや、また悪い彼女が顔を見せてくる。急にウソかホントかわからない冗談を言ったり、強がりか本心かわからない悪い部分を出してくる。ただ、本気なのかわからないけど、本当はビリーが可愛いんだなあと随所に思わせてくる。ビリーを時には本気で励まし、勇気を与え、愛を持って接する。

 全9話の最後まで翻弄された。
 でもさ。矛盾だらけで一貫していないのって、アガサだけじゃないよね。誰もがそんな部分を持っている。ずるい部分だって、変な冗談を言う時だって、強がりを言う時だって、そして誰かを愛する時だって。


 そんな中でどうしても取り上げたいのは、リリーという女性。
 アガサが今回集めた魔女団の中にリリーという魔女がいる。
 リリーは、パティ・ルポーンという75歳の女優さんが演じている。
 それまで彼女を知らなかったので、こんな女優さんがいたんだと驚き、その演技に賞賛の気持ちでいっぱいになった。

 彼女は、断片的に未来を予測する、長寿で老婆の魔女を演じる。未来が断片的に見えるその能力は、少女の頃からの苦しみだった。
 未来が断片的に見えなくたって、自分の個性に苦しみながら成長するしかないって、多くの人が抱えるものよね。

 そして彼女は、老婆であっても長寿であっても死を恐れ、仲間を欲し、残りの生きている時間で何ができるかという気持ちを抱えていた。

 「魔女」を通して、中高年なら誰もが持つ本質的な思いについて描かれていることに感銘を受けた。
 中高年にとって、どのように生きたいのか、家族や仲間をどう思うのか、どうふるまうのが良いのかと悩みを抱えていながら、もう人生のベテランなはずだからと自分を恥じたり、考え続けるのがしんどかったり。自分についての残りの人生についてなんて、本当は考えていても話題にしづらいし、そんな年齢でもまだ考えてるのなんて思われそうだし、ちょっとずつ先送りにしてしまったりもするし。
 それらについて描く作品もそう多くはない。中高年の話はきっと退屈だとか痛々しいとか思われるだろうからね。

 でも本当は、家族をどれほど大事に思っているか。仲間って何なのか。自分が何を必要としているのか。明日をそして今をどう生きていくか。どう決断するか。生きている限りは、それらを考えるのって、ずっと大きな課題のままであることもまちがいない。
 若い人にしっかりバトンをつなぐリリーも、現存する魔女らしい魔女なのだ。

 魔女を通して、リアルな女性の生きざまを描いた素晴らしいドラマだった。
 ビリーの今後の成長を含めて、続きが楽しみでならない。


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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。