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想像していなかった今の自分の方がずっといい
これまでに歩んできた道は想像していなかったことだらけだ。
20代半ばでおおいにくずした体調。結婚相手。義父や義母のタイプ。なかなかできない子供。やっとできたらしばらくすると夫の転勤で引っ越し。子供の気質や特性。成長してきた子供の姿。悪戦苦闘の更年期症状。友達との関係。
どれについても「思ってたんとちがう!」と声高に言いたいしキリがないほど。ちがうからって悲劇的でもない。例えば自分の身体に関しては残念でもあるけれど、想像とちがってもそれなりにその場その時期をどうにかやり過ごしてきた。折り合いを付けるしかないことの方が多い。それにちがうと、思わぬ面白い出来事に出会ったりもするし、ちがって良かったと思ったりもする。
そうやって思い返す度、心の深い部分で引っかかってしまう過去の考え方がある。
それは今住む地について。
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中学で受験に合格し高校まで通った学校は、今も校風や先生や友人たちに恵まれていたと胸を張って言いたい。
ただなんとなく、付き合う友人たちのタイプをまちがえていたのではと高校を卒業して35年経って思う。
友人たちがまちがっていたとか悪いとか言いたいのではなくてね。自分の気持ちを無視して付き合い続けたのではないかなって気がしてならなくて。本来の私をどこかに追いやって無理していたから、後に皆を傷つけた。
最近は特にそんな風に思う機会が増えた。楽しかった青春時代を否定するわけでもなく、昔の自分とようやく向き合えてきたからなのかもしれない。
「本来の私」なんて、今だって自信満々にわかっているわけではない。今も気づいていない部分があるだろうし、自分で知っている部分はどれも本当な気がする。
でもあの頃は、自分を押し殺していた。そのことを自分自身で気づかないフリをしていた。帰国子女だったことや、小学生時代にいじめられたことも影響していたのかもしれない。結局あの頃に戻ったところでやっぱり見失ってしまうかもしれない。
だけど今の自分にとって心の中で何が大きく占めているかが、当時とはちがう。どういう環境が心地良くて何が心から楽しくて何を我慢しているのかくらいは、奇をてらわずともわかってくる。
学生時代から続いている友人は今も何人かいるけど、当時を楽しく過ごした友人たちとはあきらかにタイプのちがう人たちだ。
あの中学高校に通っている時の私は、センス良くかわいくカッコ良くいなくちゃと思いこんでいた。実際には全然なんでもなかったけど。
もしかしたら思春期特有のものだったかもしれない! と、自分を弁解しようとしても、当時からタイプのちがった友人たちを思い出し、過去の自分への淡い期待は打ち砕かれる。
確かに私はあの頃、そうでなくちゃならないと思っていたんだよな。
たとえば、制服は少しでもスタイル良く見せたかった。ウエストを見えない位置でしぼったり、靴下は当時の流行りで折ったり。私服は、もっとませたグループの子たちにも、ダサいと思われないようにいたいと思った。持っている文房具も厳選に厳選を重ねてこだわった。
今思えばうすっぺらい考えや、周りの視線を意識した外側ばかりの私。誰が見て、じゃなく、自分が好きだと思うものにすれば良いのに。いやそういうものもあったけど、学生時代は好きよりどう見えるかを優先していたとは、認めたくないけど認めざるをえない自分の姿。
会話一つとっても、友人を笑わせると自分に価値がある気がした。言葉づかいもそんなだった。だからそれほど会話も上手じゃない自分がコンプレックスで仕方がなかった。
そういうのも経ての今の自分だから「そんな頃もあったなあ」って笑って済ませたいのだけどね。
ただそうやって皆との会話の辺りまで思い出がめぐる時。
東北地方についてどう考えていたかが思い出される。
たとえば言葉のなまり。
帰国子女で後天的に関西弁を身につけた私は、関西弁のイントネーションの面白さや使う楽しさを知り、標準語より好きになった。標準語は気取っていると思いこんでいたし、東北のなまりについては「田舎っぽい」と笑っていた。
そして私の周りの友人たちもそうだった。
差別や偏見がダメだとか言いながら、少しもっさり田舎っぽくなってしてしまう自分たちにコンプレックスを抱き、人を冷笑し自虐で笑っていた。
田舎の良い部分や良くない部分も知らずに。
大学生になると、全力と思われないように全力でオシャレに気を使い、そのセンスを競った。
でも月日が経つにつれ服装から会話まで、少しずつその仲間でいることに違和感を覚え始め。
その後は、こまかなものから大きなものまで山のようにすれちがうようになっていった。私も彼女たちを何度もひどく傷つけてしまい、今は付き合いをすっかりやめてもう20年くらいになる。もう充分お腹いっぱいのままなので、楽しかった思い出はそのままに、今は今の友達やお付き合いを大切にしたいと思っている。
ただ、今でも彼女たちとのやり取りの中で、ちょっとしたことで冷笑したり自虐ネタで笑ったりしたシーンがどうしても思い出されてしまう。東北地方を笑っていた自分が思い出され、ひどくいやな気持ちになる。
それが愚かだったとお腹の底から言えるのは、自分がいま東北地方で暮らしているから。
20年ほど前に引っ越した時は、こんな田舎はいやだと泣きたいくらいに思っていた。実際に「公園に行っても人がいない」と夫に泣きついた。
でも引っ越してきたからというだけでなく、子育てで負けん気やマウントを感じさせるような人にめったに出会わない。そりゃいないわけじゃないけど、その人を避けていれば大丈夫という程度に少ない。人と比べて冷笑したり自虐で笑ったり笑わせたりしなくて良い。それはその後もずっと。
外でどこか店に入れば店員は、愛想やサービス以前に、もたついてしまう。混雑するとパニックになる。そんな要領の悪さを見ながらイライラしたりげんなりしたり。
でも長くいると、店員であっても気さくな人が多いと気付く。それは商売っ気というよりは、ご近所さんの声の掛け合いみたいな感覚。交わす言葉はいまだにわからない時も多いけど、その方言やイントネーションのおかげもあって老若男女、なんとなく境目がうすい。学生時代、笑っていた自分に今の自分の気持ちを言ったら驚くだろう。「あんな風に言葉を交わしたら楽しそうだよ」。
あと高齢者に優しい若い人たちが多いのは、こちらに来てすぐに感じ驚いたこと。
服のことを考えるのは好きだから、オシャレして出かけたい場所が少ないのは今も残念だけど、日常的に「センス!」とか気にしていた自分から解放されて、気がすごーくラクになった。なんであんなにいつだってセンスが良いと思われなくては、と自分を窮屈にしていたのだろう。年齢によるものだけじゃない気を使わない感覚がラク。
そして東日本大震災は、皮肉にも東北地方を愛おしいと思う大きなきっかけともなった。
我慢強く声をあげないのが美徳なんて決して思わないし、言うべきことは言わなくてはならない。
でも東北の人たちって、ことさら主張しないけど、だからって黙って我慢しているだけではない。反骨精神があってそれをそれぞれちゃんと胸に置いている。そしてその強さを誇りに思っている。
自分たちの住む地を、他の地域の人たちがそう思うように、好きだと思っている。
高齢の方たち含めてユーモアがあって陽気。
どうにか楽しく暮らせる場所にしようと、若い人たちが奮闘している。
不満を抱えて出ていく人たちも山のようにいる。こちらは東日本だから東京への人口流出は問題となっている。「田舎には楽しいことが少ない」と言う人が多いのも私は共感しちゃうし、田舎は何よりめちゃくちゃ不自由だ。交通機関、商業施設、医療、教育、福祉、育児環境。行き届かないことだらけ。
そしてどこの都道府県、市区町村、どこにいてもいるように悪い人はやっぱりいる。割合が少ないわけでもないから用心は必要だし、怖い思いだってする。イヤな人も残念ながら身近にいるものだし。
だから美談にもならないし大絶賛できるわけでもない。
ただ東北地方に住んでみて隣県を訪ねても、むかし私が持っていた先入観とはちがった。当然バカにしたり冷笑したりする対象ではない。
良い部分があると肌で感じられる。それが、無理に作られた部分じゃなく、自然に発生しているもの。
できればもう少し便利な街に住みたいけど、今の経済状況だとこのままかもしれないな。いずれにしても東北地方を出たいと思わなくなった。もし人口の多い街に住むとしても、東北地方のどこかだと想像している。
そしてこれに関しては、想像する未来であってほしいな!
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