果物の食べごろを、いつの間にか知る
ちょっと前に母から贈られてきた桃が、クンと鼻をつく強い香りに変化してきた。
がさつな私が、指の跡をつけないよう、上から手で覆うように静かに触れる。
ううーん。まだ少しかたいかあ。とか。そろそろ良い頃かなあ。とか。握ることもなく包んで感じる。
いつからこうやって「食べごろ」ってわかるようになったんだろうか。
思い返しながら、「あっそうか。これって、習慣にしていることのうちに入るのかな」と気が付いた。
朝、果物を食べるのは、私が子供の頃から母が習慣づけてくれていた。
「朝のビタミンはこれで摂ってね。糖分もこれで充分よ」と母は言っていた。
昔は今より、果物の当たり外れが多くて、それほど好きではなかった。外れの時は固かったり、生臭く感じたり、歯ごたえが悪かったり。
でももう習慣になってしまったから、実家を離れても、毎朝の果物は欠かさない。
最近の果物は、外れがほとんどなく、だいたいが甘くておいしい。
買う時に、もちろん品定めはする。ちょこちょこ知識を取り入れていたら、それなりに美味しいのがわかるようになっていく。「これは食べごろになるまで数日、常温で置いていたら良い」なども。店頭で売られている物は、食べごろまでの期間が短い。
贈られてきた物は、店で売ってあるのを自分で買ってきた物より、食べごろの見極めが難しい。でも選ばれて贈り物とされた物だから、タイミングを間違えさえしなければ、格別なおいしさ。
果物のいただき物は、届いた直後だと、まだまだ熟れていない段階の時が多い。まだ熟れていないと美味しさが半減なので、特に気にかける。
外側からもうこんなに甘い香りがしてきたから、そろそろだと思うのに、「まだだったなあ」と切りながら気づく。固くて甘さも足りない。なんて経験も何度もしてきた。焦ったり、早合点したり。
でもごくまれに、熟れすぎてしまう時もあるのだ。いただき物のメロンなんかぐずぐずに柔らかくなっちゃって。「目安」のメモが入っていて参考にしながらそんな有り様だ。
そのうち、桃に関しては熟れすぎないちょっと前の、ほどよい柔らかさになる瞬間がわかるようになっていった。
それは、「ちょうど良かったなあ。美味しそうだなあ」って頃に皮をむきながら、そのふわっとした感触を手に感じるようになったからだ。
何度もむいて、何度も実感していくうちに、ようやくほど良い固さを覚える。
美味しい物は大好きだし、旬な物の美味しさは格別。だけど大した頓着もなくて、そこそこに美味しければまあ満足しておこう。と思う私も、果物を食べる習慣があるおかげで、日々手にするわけで。そのために意識的にならずとも、少しずつ食べごろがわかるようになっていったのだろう。
どうせなら、美味しい方が良い。
甘い香りに包まれながら、「そろそろかな」と、手でも包んでみる。
ウン。良い頃だ。冷蔵庫に入れて、明日の朝早く食べよう。
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