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「何かが、いつできるか」なんて問題じゃなくて、一人ひとり違う

 夜、制服のジャケットをハンガーにかけながら、「制服をハンガーにかける僕、エラくない?」と息子が鼻を膨らませて言う。

 高校三年生なんだから。当たり前だ。でも。
 「エライ!」
 間髪入れずに言う。息子が褒めるのを求めている時はためらいなく! 息子が自分から言っているから、笑いも生まれる。

 「でもエライって言われたいだけじゃないんだよ。中学生の頃に、お母さんが毎日、制服かけてくれて、寝る前には床にない状態にしてくれてたでしょ? それから少しずつ“制服かけて”って言うようにしてたでしょ? あれのおかげで、寝る前になっても、まだ制服が床に落ちてるのが、おかしな状態だって思うようになったんだよ」

 この言葉を、我が息子が発することに対して、私がどのくらいの感慨を持って聞いたか想像できるだろうか。

 よく読んだらわかるように、中学一年生の頃からの私の働きかけがある。もう一度書くけど、息子は高校三年生だ。

 最初の頃は私が片づけていた。
 次に、ジャケットだけでもかけてとお願いした。忘れてしわくちゃになったら、それを見せて「毎日着るものだから、しわくちゃにしないんだよ」と伝える。シャツやズボンは私が片づける。

 「何でジャケットだけ僕がかけるの?」の質問も度々。「本当は全部してほしいけど、それだとしないでしょ」「一人暮らし始めた時に、上着をかける習慣はついていてほしい」などと、聞かれたらその都度、説明する。
 言われなくても自分からかけるようになる日が増えたら、シャツと靴下も洗濯機に入れるように伝える。

 自分からするようになるまで、何年もかかる。
 時々忘れても、怒らず事務的に。

 これは息子の気質や発達のスピードから、息子が小学生になる頃には身につけるように、私が頑張ったやり方。

***

 帰国子女で、外国でも、帰国後も、転校先でも、家庭内でも、男性社会でも、田舎に移り住んでからも、いちいち「私はマイノリティなんだ」と感じる場面がある。
 そんなものだから、「一人ひとり違う」を理解していると思い込んでいた。卒論だって、それがテーマだった。

 でも子供が生まれて、母との関係を考えた時、「私は母と違うんだから」と、遅い反抗期が来たみたいになった。子供時代の私は、母の顔色をうかがい、理解されない思いを抱え、好きなはずの兄に怯えていたのが日常。それらの思いに改めて向き合って超えていかないと、自分の子供に影響が及ぶと感じ、自分自身とも母ともぶつかった。その苦しい時期を乗り越えたのは、「そうか。母も私とは違うんだ」が腑に落ちた瞬間から。
 それでも、「親子だって違うんだ」を真には理解できていなかった。


 赤ちゃんがどんな風に、どういう過程で育っていくかを、子育て経験が初めてだと、多くの人は知らないだろう。母子手帳とか雑誌とか、今ならきっとネットも見ながら、「標準」の発育を知っていく。

 息子の運動機能の発達具合は、大雑把に「これで良い」と思っていた。周りと比べて焦ったり、遅いからと落ち込んだり、早いと自慢に思ったりもなかった。こんな小さい頃から周りと比べてどうするの、くらいに思っていたはずだった。
 でも預け先の保育士さんが、「もう反抗期かな。早いですね」と笑うくらい、できれば早くは来てほしくないものが早かった。夜泣きも早く始まり、なかなか終わらない。
 とにかく朝から晩まで、何かと絡んできては大泣きを繰り返す。

 母から「小さい頃のかせみは、なんでも一人でしたがる気持ちがとても強くて、その対応は大変だったのよ」と聞かされていたけど、どうも息子の自己主張はそんなものの比ではない。みんなこんなものかなと周りの話を聞いてみると、やっぱり違う。

 イヤイヤや駄々コネ激しい2歳頃を過ぎると落ち着いてくる、なんて聞いたけど、全然落ち着いてこない。

 たくさん話せるようになっても、やっぱり激しい。
 叱ってみたり、なだめてみたり、やり過ごしたり、説得してみたり、事が起きる前に言い聞かせたり、ある程度要求を聞いてみたり、聞かなかったり。それでも何かをきっかけに突然ひっくり返って大号泣する。場所はもちろん選ばない。

 幼稚園に通い始めても、まだまだ激しい。

 送り出す時より、迎えに行く時の方が泣く。行事の度に保護者にも注目されるほど大泣きする。惨めになって、帰り道に息子の手を引きながら、或いは車の中で、私も泣いたことが何度あっただろう。先生方は「知らず知らず緊張するタイプなんだと思いますよ。お母さんに会えるとホッとして泣くんです」と伝えてくれた。その言葉に、何度も慰められた。それでも周りの子たちは、お母さんに会えて嬉しそうなのに、どうしてウチの子だけ、の思いはずっとあった。

 発達だとか心理学とか、本を次々と手に取って、むさぼるように読んだ。ネットだと、つい目に入るのは落ち込む情報ばかりになってしまうので、専門家たちの本を頼った。それぞれ書いている内容は違っても、共通する心のメカニズムをあぶり出していこうと。何故こうなるのか。子供はどのような心境なのか。親はどう考えれば良いのか。心の発達、構造と普遍的なものを知って、どうにか自分を追い込まないようにした。夫ともたくさん話し合った。

 小学校に入ってからも、激しさはなかなかおさまらなかった。納得いかないことも、うまくできないことも、大泣きして抵抗する。周りと発達のペースが違う。同じ年齢で当たり前にできるはずのことができない。集中力が高すぎて自分の周りに気が回らない。
 帰宅後も、毎日必ず何かしら絡んで大泣きする。そして自分ができないことは、こちら側がどんな手段を試しても、絶対に乗ってこない。

 学校の先生は、「できるかどうか」を評価の対象にする。
 「しつけも4年生までに!」と強く訴えてきた。
 それでも息子には息子のペースがあると信じた。

 信じたいけど「これで良いのか」、もちろん不安になったし、何度も揺れて、くじけそうになり、叱ってしまっては「イライラしてた。ごめん」と謝る。息子も「僕も悪いところあったよ。ごめん」と謝る。不満を言われる日もある。その度に、息子と話し合い、夫と話し合い、母親友達たちにも励ましてもらう。

 子供には各個人の成長スピードがある。子供によっては数日とか数週間とか行きつ戻りつ、長くても何か月かで身につけるであろうしつけや注意が、息子は年単位かかってしまう。でも発達に問題がある場合、しつけが遅れるのは、親のせいでも子供のせいでもない。

 それよりも、息子はどう考えているのか。気持ちを知りたい。自分で考えた言葉で表現できるようになると嬉しい。自分の選択には責任を持つようになってほしい。先生や親が言うことでも「僕は違うと思う」と思ったら、時と場合によるけど、それを表明したって良い。それには、こちら側の厳しい姿勢とかなりの忍耐力が伴うけど、貫こうと努力を続けた。
 
 うまくいっているかどうかは今も全然自信がないのだけど、そんな気持ちを言い聞かせるようにしてきた。もちろん社会でのルールや理不尽も話しながら。


 息子の小学校では保護者に何度か役員をしなければならなので、知らない保護者たちと接する機会がある。

 「こういうことをしましょう」。
 引っ張っていってくれる人は当然必要で、助かる存在。
 でも「こういうの、子供たちが喜ぶから」「子供たちのために」「子供って好きだよね~」。そういった言葉を聞く度にわいてくる違和感。
 ウチの子供は、それ好きじゃないわ。多数派の「好き」を見聞きしながら、息子は違うなあと心底思い知る。

 役員担当中に、夏休みのプールの監視も回ってくる。その時も、先生や保護者たちが、プールで遊ぶ子供たちを見て、「やっぱり子供たちはこれを楽しみにしてるんだよねえ」と目を細め、しみじみしていた。
 そうだよね。多くの子たちはそうなのかもしれない。息子は違うなあ。
 友達と遊んでほしいという親の願い虚しく、自ら断っていた。

 そうした場面が本当に多い。

 生き物を育ててみたい。
 外で思い切り遊びたい。
 絵を可愛く描きたい。
 あれもこれも自分で作ってみたい。
 宿題はサッサと済ませて、何もかも忘れたようにして後で遊びたい。
 知的好奇心があったら、自由研究などコンテスト物に挑戦して、気分良くなりたい。
 習い事もたくさんして、あれもこれも上手になりたい。
 先生や親に褒められるように動きたい。

 子供ってそういうものだと思っていた。「生き物が好きで」「外で遊ぶのが好きで」「自分で何かと作ってみたくて」「大人に褒められたくて」。

 だって私はそういう子供だったのだ。

 そして息子は違った。

 それに男の子って、もう少し元気でやんちゃなのだと思っていた。「外でケンカをする日もあって」「活発で」「何でも挑戦したがって」「ギャングエイジになると友達とつるんで」「お母さんにカッコイイこと言ってみて」「乱暴な言葉を使ってみて」「でも時々優しい言葉をかけて」。
 やっぱり息子は違った。

 外も嫌いではなかったようだけど、それ以上にウチの中で私と遊びたがった。自然の生き物やよその家のペットとか、触れ合ってみせても、あらゆる手段で好奇心を刺激しようとしても「ふうん」以上の進展がない。
 息子が興味津々で目を輝かせるのは、電車とか鉱石とか数字とか。知的好奇心があっても、作るとか深堀りしたいとかまでつながらない。ただ本を読み、知識を得ては、私に話す。そしてそれをずっと覚えている。大人に褒められたい気持ちも最重要事項ではなさそう。
 習い事も私の提案はほぼ却下。こちら側の誘導を少しでも感じると、全力で抵抗してくる。

 そりゃあ私の接し方もあるのかもしれない。だけど、息子の気質としか説明がつかない部分の方が多い。

 もし自分の子供が、私自身のようなタイプだったら。
 親として、「子どもはしつけ次第で言う通りになるから、自分の思うように育てよう」と思ってしまっていたかもしれない。「子供ってそういうものでしょ」と決めてかかったままかもしれない。よその、自我のハッキリある子供や、しつけの遅い子供に対して「できない子」とレッテルを貼っていたかもしれない。優しい男の子を見ると「男の子のくせに」なんて偏見にまみれたままでいたかもしれない。そして、言うこと聞かない子には「親の厳しさが足りないんじゃないの?」って。

 実際、「お父さんもお母さんも優しそうだから、二人とも怒ったことなんかないんでしょう」って言われたことある。きっと息子の自由さに対しての皮肉もあったのだろう。
 だけど。

 私たちの何がわかるのだ。毎日、大かんしゃくを起こす息子に、大喧嘩になる日々も重ねつつ、多くを冷静に対処しなければならない忍耐や心細さも知らないで。夫や私の背景や苦しさや努力も知らないで。
 悔しかったし悲しかった。


 息子は自由に、自分の進む道を選んできた。それは幼稚園の頃からだ。「あれをしてみたい」の発想に驚き、やらせてみたら、「もう気が済んだ」とやめる。
 小学生の頃には、自分の進む学校について考え、中学受験させてほしいと言ってきた。
 中学や高校の頃は特に勉強にも部活にも熱心ではなく、中学生の頃は宿題が追いつかず、親子して先生に呼び出されたこともある。
 大学は、引き止めたいほど高いところを目指している。一浪しても良いと本人は言う。
 本当に? 今までの息子の勉強の仕方だと、もしも合格したとて、そこで息子がやっていけると思えない。と昨年、親子でさんざん議論を重ねた。今は、息子の説得を受け入れてはいる。のんびりしているので心配になるけど、こちらは何も言わない。そして時々すごく頑張っている日があるのも知っている。息子は私と違って、勉強は作業、というより好奇心を満たすものなのだ。

 息子の人生だからね。お母さんの希望を叶えるために、生きているんじゃないからね。

 息子は、「僕はお母さんとは違うんだ」「お父さんとも違うよ」を、身を持って教えてくれた。

 息子の人生のそばを歩んできて、自分が思い上がった人間にならずに済んだと心から思う。

 優しさも教えてもらった。息子のような子供にどのように接するか。そういう子供を愛おしく思える心も。そして息子のような子供を持つ親に対してどのような思いでいるか、っていう謙虚な優しさも。本当の気持ちの理解。人を決めつけない考え方。

 人は一人ひとり、家族でも違うんだよね。何かが「できるかできないか」は本当は重要じゃないんだ。何度も何度も繰り返し言い聞かせ、思い知った約18年間。


 息子自身が5年ほどかかって、ようやく身についた服の片づけ。
 そしてそれを「僕、エライよね~。お母さんの根気のおかげだね」と笑っている息子を見て、胸がいっぱいになる。お礼を言われるために今まで一緒に歩んできたんじゃないんだよ。むしろ。私たち夫婦の間に生まれてきてくれて、ありがとうね。
 時々直接伝えると、嬉しそうに穏やかに「んふふ」と笑う。


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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。

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