言葉を疑う気持ちをもちながら、その言葉に感動し、感謝する
さみぃね。
寒い日に夫と交わす一言目。
夫と私の会話は、お笑いや映画や漫画やミュージシャンの歌詞から成り立っている。
「さみぃね」は、「ぼのぼの」だろうか。私はシマリスくんのキャラが大好きなので、よく口真似をするけど、どうだっけな。全然関係なかったかも。
夫と私の感性は似ているようでちがう。ちがうようで似ている。
出会いは7月のニュージャージー滞在3日目。私の親友で、ルームメイトとして一緒に暮らすことにしてくれた彼女の紹介で。
一か月後には一緒に出かけるようになってつきあい始めて、10月には少し北にあるseven lakesという湖や紅葉の美しい場所に連れて行ってくれた。
たくさんの家族やカップル、老夫婦が道端に車を適当にとめて降り、そのそばで景色を眺めているような場所。お互い様だからそれを許し合っている雰囲気もとても好き。
紅葉を眺め、湖を眺め、空を眺める。
若い頃の私は、空を眺めるのが怖くて苦手だった。
広くて奥がはてしなさすぎるから。
あのみずいろの奥。
「空を見続けるのがちょっと怖いんだけど……」とうち明けた。
つきあい始めた時から「重たくたって良いよ。それでダメになるんだったら最初からダメなんだよ」と言ってくれたから、喜怒哀楽も自分の不思議ちゃんに見えるかもしれないところも、無邪気なところも、情緒が安定しないところも出しやすかった。基本的には穏やかだと思うけれど。いや怒りに関しては今も表現が下手。誰に対してもね。
だから「死んだらどうなるんだろう」なんて、子供みたいな言葉も耳を傾けてくれた。別に本当にどうなるのか聞きたいわけでもなくて、カッコつけた物言いをしたかったわけでもなくて、ただ不安で怖くて心細い。「地球はどうなるの?」「太陽は?」「宇宙ってどうなっていくの?」「その時私のかけらは、みんなは、みんなのかけらはどうなっているんだろうって思う」。真剣に話してしまった。夫は理系の研究者で、科学者の考え方だから私のそんな気持ちに困ったかもしれないと思っていた。
何日かしてから、夫は本を貸してくれた。谷川俊太郎さんの詩集「空の青さをみつめていると」と「朝のかたち」。
「みんな似たようなこと考えてるんだなーって思った」
と言う。
谷川俊太郎さんの名前は、小学生の頃に教科書や本で時々見かけた。きっと多くの人が授業や宿題で「スイミー たにかわしゅんたろう」って声に出して読み始める。
多分その後も何度も声に出して読み、何度もどこかで見たからその名前にはなじみがある。詩も大好きだからと夢中になって読んだ。
足元の草花のことを書いているかと思えば、目の前の愛する人のことも生々しく書いておられる。文学的かと思えばすごく写実的にも思えた。優しいかと思えば冷たく突き放しているようにも思えた。心細そうかと思えば強そうに思えた。
そして宇宙のこと。
私はその詩に心を奪われ、いまもその「好き」な気持ちはとても強烈なもの。
以前もここに書いたことがある。「空の青さを見つめていると」の「六十二のソネット」はどの節も、どの一行も大好き。
一部を取り上げることはとても失礼だと思うけれど、それ以上にどの一節を選ぶかで他の部分を選ばないことになるのがすごくすごくもったいない。本当は全部書き写したい。
若い私はその感性と言葉遣いに心を震わせ、「みんな似たようなこと考えているんだ」と思えた。「他の星だって堪えるのがつらいのかも」とかね。そうか、夫もだし、谷川俊太郎さんもなんだ。
私は谷川俊太郎さんの思いと、夫に伝わった私の思いを大切に、この二冊を今も時々読み返す。
亡くなったと発表があってから、多くの人がそれぞれの谷川俊太郎さんを語っている。多くの人が穏やかににこやかに、その人柄を語られ、軽やかでほんの少し熱を帯びていて、それに感動する。
ほんの何日か前に、新聞に載った新作には「感謝」とあった。亡くなった後、死を発表される前のものだし、いつ書かれたのだろう。
谷川俊太郎さんの詩の中には、身近な物や人に対するユーモアやドライさを感じる。自然の素晴らしさを語り尽くせず、自分の気持ちを宇宙のように深く広く見つめていると気付く。
そして以前に衝撃を受けて、大切にしたい考えとして心にとどめているのが「言葉に疑いを持った方が良い」といったようなこと。自分の言葉なんてないのかもしれない。人のも自分のも、言葉による表現を信じすぎない方が良い。
今朝もクシャミをしながら、コタツに入り、夫に「さみぃな!」と声をかけた。「さみぃね」と返ってくる。
夫のいれてくれたコーヒーを飲みながら、谷川俊太郎さんへの思いを書く。
この幸せをしっかりかみしめよう。
夫が読ませてくれた二冊の詩集を大切にまた読み返そう。
人の言葉も自分の言葉も、信じたり疑ったり受け止めたり手放したりしながらこの世界を楽しもう。
この日がくるのを知っていたはずなのに、「六十二のソネット」を読んでいると涙が止まらない。そこには生と、ちゃんと死が書かれている。
自分が感傷的になり過ぎるのはわかっているけど、この気持ちがしんどくてなかなか受け止められない。