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おいしそうに食べる姿を観察してみたい

 ちょっと前に、noterさんとコメント欄で「子供がおいしそうに食べる」ことについて言葉を交わし、我が子にそんな姿があったかと思い起こしていた。
 
 生まれてからずっと身の回りのことに無頓着で、食事に関してもそう。モリモリ食べる姿は、何か特定のものでもなく、何にでもだ。食べる時の表情は思春期頃から今もわかりづらい。

 おいしそうに食べるってどんなだろう。

 私も母にそのような姿を見せてきただろうか。

 うーん。「おいしい」と私はあまり言ってこなかったかもしれないなあ。ちょっと反省する。もりもりガツガツ食べることもなかった。朝は大急ぎで。夜はテレビを見ながらぼんやりと。
 でも何度か母に伝えてきてはいる。

 「お母さんの作る料理はおいしいんだよ」

 母は自分でも言っているように「自分がおいしい物を食べるためならがんばって作る」。おかずはレパートリーと呼んでいいのか、よく作る物はあったけど、全部ちゃんと本やメモを見ながら作っていた。料理本の数は棚一段分を占めていて、栄養のことを第一に、たくさんの材料を使って総菜を作っていた。

 誕生日に「何が食べたい?」と聞かれると、手羽元の唐揚げとポテサラを毎年お願いしていた。母の作る手羽元の唐揚げもポテサラも、出来合いの物ではない美味しさがあってとても好きだったけど、そんなにおいしそうに食べてはいなかったかもしれない。
 今からでも、記憶を掘り起こしてもう少し伝えよう。

 息子は離乳食を食べるのに苦労した。一口食べると「ギャー!」と泣くのを2カ月ほど繰り返したっけ。
 何週間か続いた時には、その泣きわめく声に私が毎回泣くことになり、いったん離乳食チャレンジをやめようと思った。
 ところが食べ始めるとものすごい勢いだった。
 それは味云々ではなく、根っからの食いしん坊という感じで。

 大好きな物はバナナとかおにぎりとかで、こちらが努力して工夫している食材の切り方や味付けなんか関係ないのだ。
 今だってお好み焼きが好きで、晩ご飯にお好み焼きを作ると言うと喜ぶ。出来上がりは素人くさい物で、そんなにふんわりとも作れなければ、特別に良い風味もない。けっきょくはお好みソースの味なのだ。
 それに今晩はお好み焼きだとわかると「やったー!」と喜ぶけど、食べる時に特別おいしそうに食べるわけでもない。
 おいしい? と時々聞く私も、お好み焼きに関しては、最近は聞くこともしない。ただ「おかわり」と言って3枚くらい食べる。
 食べている時に喜んでいるのかどうかもわからないけど、きっと好きなんだろうと思う。お好みソースの味が。

 幼い頃は、座っている時に両ひざから下を前後にピンコロピンコロ振っていたので、「あっ機嫌が良いぞ。おいしいと思っているんだな」とわかった。
 そのうち身体を左右に揺らすようになった。もしかしたら「おいしいね~」とくねくねする私の真似されたのかもしれない。私の動きはちょっと気持ち悪さをかもしだしていて、息子の動きは可愛いので、だいぶちがう気がするけども。

 そう言えば私の友人は、おいしいとたまらなくなるのか、よく器を両手で両側から包み込むようにポンポンやさしくたたきながら「おいしい~!」と言っていた。
 警戒心なくそんな姿を見せてくれる彼女がオモシロ可愛かったなあ。可愛いから真似をしたら「うふふ」とうれしそうに笑っていた。いまだにそうしているのか今度確認しておこう。

 いずれにしても、息子も食べている途中にとつぜん機嫌が良くなるとか、わかりやすかった。のに。
 今はおかわりでもしないと、本当においしいと思っているのかどうかわからない。おかわりするほどの量のおかずを作らなかったらわからないままだ。
 聞いたところで、「おいしい」と返してくれるのは、単に私が聞くからだし。

 おいしそうに食べているなあってしみじみしてみたい。
 今度こっそりよく観察してみよう。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。