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幼少期の夏のキャンプを「シアター・キャンプ」で思い出す
幼少期、アメリカニュージャージーでの夏休みは3か月ほどはあった。
それだけ休みが続くと親も大変だからか、夏キャンプが盛ん。兄も私も日々「デイキャンプ」と呼ばれる日帰りのキャンプに通い、ある年齢から兄は何週間かの泊まりキャンプになった。
母がそこから送られてくる絵ハガキを楽しみにしていた気持ちは、自分が母親になってみるとよくわかる。子供が泊まりがけでどこか行くって、すごーく心配だ。元気にやっているかな。楽しんでいると良いな。よく眠れているかな。大丈夫かな。
母の心配とは裏腹に、兄からのハガキには毎回「昨日、〇カ所、蚊にさされた」「今日は〇カ所だった」などと蚊にさされた数の報告に終始していたのだった。
私は4年間暮らしたうちの3回の夏に通ったのだろうか。その風景や当時の気持ちは、昨日のようにとまでは難しくても、よく覚えている。
学校とはまたちがったコミュニティができて、日本人同士もよくしゃべった。特に行きのバスの中は皆で大声で喋り、爆笑し、そのテンションで大さわぎ。私はそこではいじられ役で、今思えば私が誰かと親しくしているわけでもなかったので、皆が仲間に入れようとしてくれたのだと後になって気が付く。私は当時から特定の誰かと必ずいっしょにいるってできなくてよく一人きりでいた。
でもそれが苦痛ではないの。女の子はよくくっついているでしょ。私はよほど気が合わないとそれができない。物心ついた頃から。心から好きとか信頼を寄せ合うとかでもないのに終始一緒にいるのって疲れてしまって。
学校でもそうだったけど、キャンプでもそうで、何よりキャンプは楽しいことが満載なのが良かった。
珍しい葉っぱを探しに川沿いをグループごとに歩いてみたり、ポニーに順番に乗れたりする。
時には10人くらいで同時に遊べる大きなトランポリンが外に設置されていて、思い思いにジャンプする。自分がトランポリン得意だと勝手に思いこめるほどに没頭した。
プールの時間もあって、希望者はコーチに習ったりもできた。日本人同士誘い合っていたし、上達するのだろうけど、私は好きに過ごしたかったのですぐ離脱。一人きりで遊んでいる子に声をかけて遊んだ。
彼女は南米系かなと思う顔立ちと肌と髪質。英語もあまり話せないらしく、友達がいないようだった。でも遊んでみると心からの可愛らしい笑顔を向けてくれる。英語で話しかけつつ時々身振り手振りで「こうする?」「ああする?」とお互いの意志を確認した。
それでもプールを上がるとグループもちがったし、すれちがいざまに姿を確認するくらい。自分が一人でいても楽しんでいるのを棚に上げて、彼女が一人で歩いているのが時々心配だった。
ランチの時だけは食堂で一人でフラフラしているのが心地悪かった。ふり返ってよく考えたら皆は、友達と誘い合って並んでいるのだけど、私は基本的に一人で行動していたので、急に一緒に並び、座る誰かを探すのなんて、食堂の中でグループの順番もあるし、なかなかタイミングが合わないのだ。それでも座って食べ始めるとわりと平気だった。偶然誰か知っている人と近くになると、楽しくお喋りしたり笑い合ったりした。
グループと書いているけど、少人数ではなく20人程度の男の子グループ、女の子グループで、ほぼ年齢別だったと記憶している。
お互いのグループがすれちがう時には、何故かリーダーがあおって互いにブーイングなどを飛ばし合う。その辺の文化が今となってはよくわからないのだけど、当時は「私たちのグループの方が楽しいんだからね」とあおるのは、自分の気持ちを表現する習慣づけなのだろうか。やっぱりよくわからないのだけどね。ただ私も含め毎度、異様な盛り上がりを見せていた。そうなの。ちょっと面白かったのだ。
一日のキャンプ終わりには、早く準備できた人からバス乗り場近くの工作室に入っても良い。入らなくても良い。工作室では必ず誰かがいて小さな作品を作るアドバイスをくれる。
アイスの棒を立体的に組み合わせたり、タイルを小皿にくっつけたり。上手下手を比べられることもなく、自分の出来栄えを自分で眺めて、気に入るかどうかだけだった。
それも終わると広場に出て帰りのバスをブラブラ待つ。
その時間は何故か日本人の男の子たちが多くて、作品を見せ合ったりふざけ合ったり。帰りを惜しむような時間だった。
私にとってあまりに自由で解放的な楽しい時間。
帰国してからの私は、ニュージャージーでの思い出を打ち消すのに忙しく、人に話さないようにし、周りと合わせることに全力を注いだ。もれ出る個性はあっただろうけど。
ニュージャージーでの思い出を話したところで何になると言うのだろう。幼な心に何でも話して良いわけじゃないと自戒する。
ただ懐かしんだって自慢話と思われる。個性を出しなさい、意見を言いなさい、表現力が足りないと伝えられ続けた環境とちがって、すべてをなるべく出さないようにする文化が全面に出る学校は、恐怖に近かった。
7歳くらいで、今までの考え方を「まちがっていた」と、たった一人でくり返し打ち消す作業はなかなかに苦しい。
「そんな風にしないねんよ」「変わってんなあ」「なんやそれ」「あかんねんで」と言われないようにする。ニュージャージーでのあらゆることを思い出さないようにする。それまで身につけた考えを否定し続ける。もちろん英語も猛スピードで忘れていった。
ずっと目の前に膜がはったような、自分の声は水の中で聞こえているような、肉体と少し離れたところで生きているような感覚はつきまとっていた。
帰国して15年。22歳になる年にニュージャージーを訪ねる。
また暮らそうと心に決めて、24歳の頃から友人の力も借りて暮らし始める。
夫とも出会った。
子供の頃に通ったキャンプ場に行ってみたいと話し、ドライブしてもらう。
ネットで調べても今は出てこないし、当時はネットで調べる概念もない。でも地図を広げると、驚くほど簡単にその場所を見つけられた。近くなってくると、鮮明に道を覚えている。
何もかもがそこにあった。
到着してすぐ、皆が集合するまで遊んだジャングルジム。2~3人が一つずつの個室に詰め込まれて、窮屈だなと互いに眉間にシワを寄せながら着替えた更衣室。くせっ毛で笑顔の可愛い子と遊んだプールの浅瀬。人気のある大きな馬に乗るよりも、かわいいポニーが回ってきた時の安心感の方が好きだったと思い出すグランド。工作が終わった後、作品を見せ合いながらふざけて過ごしたベンチ。
一つ一つの風景に、心から楽しそうだった自分が浮かんで見えてくる。
この思い出を、必死で打ち消そうとしていたのだ。
なんて無駄でくだらない努力をしてしまったのだろう。笑われたり嫌味を言われたりバカにされたりイジメられたりをしのぐために、そうしかできなかった自分が哀れだ。
息が苦しくなってきて、涙があふれてきた。付き合って間もない夫の前でわんわん泣いた。意味のわからない夫が戸惑っていた。
大切な思い出は打ち消そうとしたけれど、今も強烈なものとして心に残る。がんばっても忘れられなかったし、そうやって頭の片隅にしがみついていてくれた私の記憶に、今では感謝の気持ちでいっぱい。
ニューヨーク市の北の方にそのキャンプ場はあり、どうやらその辺りにはキャンプ場がたくさんあるそうだ。
映画「シアター・キャンプ」を観ていてまた当時を思い出した。
夏休みの長いアメリカの人たちにとっては、夏キャンプは自分たちにとって当たり前で、思い出もいっぱいあるのだろう。そこに居場所を求める人たちもたくさんいて、そうなると思い入れも強くなるんだろうな。
モキュメンタリーと言う。ドキュメンタリーのように見せるから少し戸惑うけど、ふと知っている俳優さんが演じていると気づく。
そこでは様々な年齢の子どもたちが、ミュージカルを発表することがキャンプに参加する目的のようだ。実際に演劇サマーキャンプがあるらしく、ロバート・ダウニーJrなど、今知られている俳優もそういったキャンプに通ったようだ。
コメディと言って良いのかな。個性の強いリーダーたち(キャンプのリーダーというよりはむしろコーチたち)やキャンパーたちがミュージカルを作り上げていく様子がドキュメンタリーのようで、ちょっと大丈夫かなと不安が続く。そして経営の難しさだとかドタバタが続き、わー大変! と観続けていると、思わぬ感動がやってきた。
最後の合唱にも胸を打たれる。観て良かった。
*キャンプの思い出に関しては一部、過去のリライトになっています。
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