自然の音が元気をくれるのだ
落ちているどんぐりの写真を撮ろうとしたら、とすとす……と、音が聞こえる。芝の上でどんぐりが落ち、はねているのが目の端に飛びこんできた。
結婚して、ニュージャージーで夫と暮らし始めた27年前。
近くに親友が住んでいたけど、一年ほど一緒だったからしばらく連絡を取らない方が彼女のためだと思った。私がかなりあつかましくしていたので。私のわがままに振り回されてうんざりしているだろうと思って。
幼少期にお世話になって、親戚のように可愛がってくれた方たちにも、日常的に関わらない方が良いと遠慮した。
夫が仕事で通うニューアークは治安が悪く、送り迎えに不安を抱えていた。買い物も絶対に怯えた風に見えてはいけないと気をつけた。
アパートで暮らすおばさまたちが、中庭でおしゃべりをしていて、突然やってきた私たち日本人のことを何と言っているのか知ったものではないと思っていた。
毎日張りつめていて、毎日孤独。
と思っていた。
台所で魚を焼こうものなら、すぐに火災警報器が反応してしまい、ピーピーうるさく鳴らしてしまうのを、濡れたタオル振り回して必死で煙を消した。
それでも魚を食べたかったし、魚じゃなくてもうっかり煙をこもらせると、やっぱり警報器は発動するのだった。
一階に住んでいて窓は、怖いから料理の最中に少し開ける程度にしていた。あと匂いも気にしていて。
その日も夕食の支度を始め、野菜を切っていると、窓の外でカチッカチッと音がする。外をのぞくと、どんぐりが落ちているのだと気が付いた。
それからしばらくは毎日、台所に立つとカチカチッと音が聞こえてくるのがうれしかった。
それだけで一人じゃない気がした。
その頃を思い返す時、日本語講師養成講座で知り合った日本人の友人も思い出す。
パッチワークをしたことがあると聞いて、「教えて!」と頼み、お互いの家を行き来した。30分くらいチクチク縫い、3時間くらいお喋り。友人を家に招いたら、どんな風にカジュアルにお菓子や食事を出すかを彼女に教わったようなものだ。
アパートに暮らす年配の女性が、笑顔で自分の話をし、私の身の上話を少し聞いてくれた。上の階に住む年配の男性はいつも笑顔で挨拶してくれた。
ランドリーに行く時は店の前辺りで縦列駐車をしなければならず、あまりに下手なため、駐車して降りるとお兄さんたちが笑っていた。
スーパーに行けば、商品を選びながら「今日って何日だっけ」とか「どっちが良いと思う?」とか聞かれる。レジに並ぶ前の客同士の面白話に笑う。
少し寂しかったけど、それほど孤独じゃなかったな。
前も載せたことがある。当時のパッチワークの作品、ランチョンマットを今も使っている。一枚は汚れがひどくなって処分してしまった。布選びに友人とあーだこーだ言いながら店内を歩いたのも楽しかったな。
秋が過ぎれば、クリスマスシーズンに入って、ちょっと前まで一緒に暮らしていた親友が「一緒にホームパーティしよう」と提案してくれた。彼女は、夫や彼女の日本人の友人たちより早く来て、一緒に軽食の準備をしてくれた。二人で話すのは久しぶりでふざけあって楽しかった。
自然の音って気持ちが動く。心が洗われて元気づけられる。
今の季節なら、木々の間を泳ぐ風の音。
シジュウカラやコゲラの鳴き声。
枯れ葉が風にこすれて走る音。落ち葉を踏む音。
どんぐりが草の上に落ちる音を聴いて、孤独だと思いこんでいた遠い昔を思い出した。
元気を出してね、孤独じゃないよと励ましてくれるようなあの音と、一生懸命に暮らしていた若い私。
今の私にとっては楽しくてまぶしい記憶。