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大切にしたい思い、過去のこと、最近のこと

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親子関係や友達とのことじゃなくても、自分の中で大切にして残しておきたい思いがあります
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たくさんの気持ちがからまったものを、ほどくような面白さ~書く時の気持ち~

 毎日当たり前に、頭の中では様々な感情が行き交って、通り過ぎているようで、とどまり。その思いの多さは整理しきれているようで、しきれていない。それは無意識みたいなもので、ただ何となく自分の感情の動きや心の中の騒がしさに疲れていた。  そんな心の騒々しさを落ち着かせてくれているのが、ジャーナリング。   この作業にずいぶん助けられている。  心が常にうるさかったのが落ち着いてくるのを実感している。なのでなるべく毎日書く。絶対となると私にとっては負担なので、なるべく。  無理に

気ままに過ごして、身体も心も休めたい

 旅のスタイルみたいなものは、回数を重ねていくうちに、何となく決まってくるはず。  私にもこだわりはあるのだろうか。  皆の旅行記を読むにつけ、楽しみ方は様々で、どれも楽しそうなのはまちがいない。わざわざ書いているくらいだから、気分が良くなったり楽しかったり、何かしら気持ちが動いたんだよね。旅先の写真を見るのも含めて、そんな記事を読むのは私にとっても楽しい。  中でも「こんな旅行がしたい!」とわざわざ夫に話して聞かせた旅があった。  それは自分の旅行に似ていてちょっとちが

自分の気持ちをないがしろにしない

 「自分のことがダメだと思う」  息子が自分にダメ出しをしていた。  「僕なんて嫌われて当たり前だと思ってしまう」  「前ほど自分のことが好きじゃないかもしれない」 と言う。    ずっと「僕は僕のことが好きだなー」と言いながら大きくなったのに。なんなら今年の始めくらいまでそうだったのに。  えー息子くんはそんな嫌われるようなタイプじゃないよ。意地悪する子はいたけど、かわいがってくれる人の方が多い愛されキャラじゃないの。  不思議に思って聞いても、要領を得ない。  本人も

自然の音が元気をくれるのだ

 落ちているどんぐりの写真を撮ろうとしたら、とすとす……と、音が聞こえる。芝の上でどんぐりが落ち、はねているのが目の端に飛びこんできた。  結婚して、ニュージャージーで夫と暮らし始めた27年前。  近くに親友が住んでいたけど、一年ほど一緒だったからしばらく連絡を取らない方が彼女のためだと思った。私がかなりあつかましくしていたので。私のわがままに振り回されてうんざりしているだろうと思って。  幼少期にお世話になって、親戚のように可愛がってくれた方たちにも、日常的に関わらない

ふだん話す自分も、noteで表現する自分も、ぜんぶ自分

 noteで個人的なやり取りやコメントを交わしていると、自分の思い描く相手のイメージとの食いちがいは、どうしても起きる。  自分が勝手にいつの間にか思い描いてしまったのだから、相手にとってはいい迷惑なのだ。反対の立場ならすごくそう思うもの。私はいつも通りにしているのに、勝手にイメージを作られて、「ちがった」とガッカリされたなんてさ。  そんな心の右往左往を友達に話した。  こんないきさつがあって、私はこんな風にしたけど、相手はああいう態度で、だから罪悪感みたいな後悔みたいな

10月に入りましたね~9月の体調や文などのふり返り~

 note限定グッズを見るとキュンとくる。手元で見たい。  なので「note限定グッズが当たる」という企画があると、できるだけ参加したい。でも期限内にそのお題で、書く内容が思いつかない時や疲れすぎている時だってある。そんな時はあきらめる。そもそも応募数だって多いだろうから本当は当たる気がしない。  ただ当たる気がしないから応募しないでいると当選だってしない。  当たらないだろうと思いつつ、お題に沿った内容を思いつくと書く。  別に無理することはない。と思うのに、投稿数が3分

失敗することで、楽しさは何倍にもなるから挑戦してみる~お菓子作りを通じて~

 高校生の頃にお菓子作りにハマった。  食いしん坊だからなのだろう。思い描くケーキを味わいたい欲求が高まりすぎて、自分で作ってみようと思った。  最初にうまくいけばもう成功体験となって次も、と続いた。  当時はネットなどないから、本屋でお菓子作りの本を探した。  料理本をたくさん持っていた母に「どんな本を選べば良いんだろう」と聞き、「自分が作りたいと思うものが多く載っているのが良いと思う」という意見を参考に。  お菓子作りにまったく何の知識もない初心者だったので、そんな私で

誰のためにでもなく、心にあるものをただ書く作業

 あふれる思い、感じたこと、最近考えていることを書くのが私にとってのnoteの存在。  それはnoteを始めてから試みているのではなくて、中学生の頃から勝手に楽しんできた。  小学四年生の頃に、担任の先生が日記を提出させていた。自由に書くのが好きで、お題を出されると書きにくかった。「テーマを出さない方が書きやすいです。先生もよく考えて下さい」とか今となっては笑うしかないような自分本位なことを、日記に書いてしまったことがあった。  ていねいな説明の最後に「先生だってよく考えてい

背中を見せるのも大事なのかもしれないなあ

 どうもコソコソ家事をしてしまいそうになる。コソコソは後ろめたいとか隠したいとかそんなニュアンスの意味ではなくて。終わると「じゃーん! ここキレイになってるでしょお?」とか「ほら料理ができたでしょう?」とかサプライズな気分で。  でもそんな気分でいても、誰かが「いつの間に!」と驚いてくれるわけでもない。夫も息子も特に何かを言ってくれるわけではない。  子供の頃に、母を驚かせたくていつの間にか何かをキレイに磨いていたとか、どこかを片づけたとか、何かを作ったとか。母が目を丸く

夜の過ごし方を変え始めている

 夜空をゆっくり見上げるのはどのくらいぶりだろうか。  田舎は星がキレイだ。それしか取り柄がないくらいに思いながら星空を見上げる。  夫を迎えに行く日は、車から降りるとほぼ空を見上げる。でも一瞬。    10年ちょっと前は、息子が少し離れた科学館に、宇宙を知るというコースに通って楽しんでいた。当時は宇宙への好奇心が多少はあったみたいで、家族でよく空を見上げた。  ISS(国際宇宙ステーション)が通り過ぎるのを最近noterさんのつぶやきでや記事で、私も久しぶりに思い立ってその

noteを始めて6年になりました

 昨年の5周年に書いた内容を読んだら、「似たようなものだな。これをこのまま貼り付けても良いくらいじゃないか」と思った。でも後半になると「あれ。ちょっとちがうぞ」と思う部分もある。  私はいまだに変化するし、私のことなどわかっていないのだ!  人との関わりの中で自分の居やすい位置に気づいたり、どうしたいかを人の言葉で知ったり。大事だと思っていたことが大事ではなくなったり。気を付けていたと思いこんでいたことに気を付けていなかったり。  何年か前の自分と全然ちがう部分もある。

手作りの物に挑戦してみたり、エンタメを楽しんだりの8月

 いやあ~暑かった!  外に出て、車からおりるたびに「暑い!」じゃなくて「すごい!」って言っていた。  むせかえるような、下から熱が湧いてくるような息苦しい暑さ。  カラスも暑いって言っていると思う。  この辺りはここ一週間くらい、「涼しい」と思う朝が出てきた。朝は以前よりは散歩しやすかったり、エアコンをつけなくて良い時間が増えてきたり。  わずかだけど、秋の気配を感じ始めている。  いつもは札幌でマラソンが行われる前後に息子が帰省し、数週間を過ごすけど、今年は事情がち

後部座席で外を眺める気持ち

 入道雲と高い所の筋雲が重なって見える。ほんのちょっぴり秋の気配。かな。外は暑いけれど。車の後部座席に座って、外を眺めていると、幼い頃を思い出す。  いつもは運転席か助手席。息子が加わると、私は運転席の後ろに座り、外を眺める。  父も母も、ニュージャージーで車が必要になり、免許を取った。最寄りのスーパーも銀行も、車なしでは遠すぎる。日本の田舎街と同じだ。  週末になると家族で車に乗り、どこかへ出かけた。  当時はチャイルドシートもなければ、後部座席でシートベルトもしてい

炭酸を飲む楽しさがそこに

 炭酸飲料って、子供が何歳になってから飲ませて良いものか。  20年近く前、今ほどネットで検索して正解を探れる時代ではなかった。  そんな時は、自分はどうだったっけとふり返る。  私自身はニュージャージーで暮らしていた幼少期、ペプシコーラや7upが大好きだった。  45年ほど前。  小学1年生の後半で帰国後、三ツ矢サイダーの存在を知った。  日本にはこれがあるなら良いやと、それまで楽しんでいた他の炭酸飲料にあきらめがつくくらい、大好きだった。  学校から帰ると冷蔵庫を開け