「波さそふ彼方の国」

海が好きだ。もっとも大都市の奥地に生きる私にとって、それは遠い存在ではある。最後に海に逢いにいったのはいつのことだったか。コロナ騒ぎのはじまるさらに二三年前だったように思う。失恋でもしたのだろうか。ふと思いたって、九十九里浜から房総半島にかけて海づたいにめぐったことがあった。すでに夏の盛りはゆき過ぎて、思ったよりも人気のない砂浜に、荒っぽい潮風にあおられながら寄せては返す大波小波も。ざらざらとした黒い岩肌の、その合間をぬった天然の水路を、激しくせりあがっては引いてゆく磯の波も。思いだすほどに心の洗われるものがある。あたかもそのまま水底みなそこの国まで誘いこまれてしまいそうな。

 波さそふ 彼方の国を思ひつつ 風吹きぬけよ身体からだのトンネル

ちなみにお台場やみなとみらい・横浜港といった、つまりは東京湾のことですが、あれは人間に手なづけられた港湾であって、私にとって、文学的な情緒をもよおす存在としての「海」ではない。この歌は、五句の「身体のトンネル」という表現から、それにふさわしい感興を求めるかたちで一首となった。言うのも野暮というものだが、これは「心」の比喩となっている。思うところあって、ほぼ十年近く世話になった職場を離れることにした。時間のうえでは余裕ができるので、今年の夏はまた海に逢いゆこうか。