「夢枕のソクラテス」

考えてもみたまえ。僕に問いかけてきたのは、ソクラテスだった。これは夢だなと思うまに、饒舌な彼は語りつづける。われわれ人間にとっての自然というものは、〈どうしよもなくアプリオリにそこにある〉ものを言うのではないのかね。しかし自然にとっての人間はどうだろう。蜂にとっては、雀にとっては、猫にとっては。彼らにとっては、人間もまた〈どうしよもなくそこにある〉ものではないのかね。そう考えるとつまりだ、自然の側からすると、人間もまた自然な事物ということになるのだよ。たとえばこの農園のオリーブの木にしたってそうだ…… 彼の語りはまだつづいたが、僕の記憶はここであやふやになる。ふと気がついたときには、東京の片隅のいつもの寝床だった。外は初冬のうすら寒い曇天で、古代ギリシアの明るい日ざしはどこにもない。でもソクラテスが語ったことは、僕にはわかるような気がした。そして彼のひそみにならって、僕ならこうも言いたい。いまここにいる、この自分という個の存在にとって、人間の築いたこの大都市もまたそうなのだ。最寄りの駅前にあるゆきつけのマーケットも、いつも不機嫌そうなレジのおばさんも、遠慮なく怪訝な目線をむけてくるポリスも、夜更けまで騒いでいるアパートのお隣さんも、なぜかチャットで煽り気味に話しかけてくる学生さんも。僕にとっては〈どうしよもなくそこにある〉自然な事物なのだと。

 ソクラテスよ。あなたの声におどろくと夢に浴びてた知恵のひかりを

しかし果たしてソクラテスは、たとえ夢枕にも、あんなことを言うものだろうか。いかにも巨大なシステムと化した現代社会から、疎外された個人の思いつきそうな発想ではないか。ともあれ、この不条理なる〈自然〉のうちにあって、まだしばらくは僕も生きてゆけそうな気がしたのであった。