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「知らん」の活用
こないだTV見てたら、関西人の「知らん」の活用が他地域の人には難易度が高くて通じないってことをやってた。
この出所を調べたら日経新聞の一か月ほど前の記事っぽい。こんな記事載ってたかな?
私は日経新聞の有料会員でタブレットで新聞を読むけど、あんまり記憶にない。
でも調べてみたら確かに出てきた。その記事の中で
「知らん」は語尾で意味が変わる。「知らん」は「本当に知らない」で、「知らんわ」は「私も知らない」という相づち。「知らんねん」は「知らなくて申し訳ない」という意味を含み、「知らんし」や「知らんがな」は「どうでもいい」「興味ない」。
と書いてあった。うーん、確かに。
そして「知らんけど」は、とりあえず知ってる(つもり)のことを言ってみたけど、確信は無くて責任は持てないというニュアンスで使うとも。
ま、言い方にもよるけど、確かに大体わかる。そして、その記事の中で、ある大学教授が、真偽を明確にしない言い回しにも「実は話し相手への配慮、思いやりがある」と言ってたらしい。それが関西弁での、言葉の表現力の奥行きの広さらしい。ほんまかいな。
そして、その代表例として書いてあったのが、
「行けたら行くわ」
本当は行けないのに、その場ではあえて断言しないという配慮との分析だった。
そういえば、これまでの人生で
「今日の飲み会、おいでや」
「うん、行けたら行くわ」
って話をしてて、誘った相手が来たら
「あ、ほんまに来たんや」
なんてことは日常茶飯事だったかもしれない。