【twilight 第11話】 年明けの工房 かもめ食堂
「親方、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
年が明けて初めての工房の朝、センセイは深々と頭を下げて親方に挨拶をした。
「おう。こちらこそ、今年もよろしくな。そんなに、かしこまるんじゃねぇよ。フツーでいいよフツーで」
普段から礼儀にはうるさい親方であるが、あまり丁寧にされるとそれはそれで居心地が悪いらしい。
「あ、そうでしたね」
折に触れて指摘されることを、センセイは思い出したようだ。
「苦手なんだよ、そういうバカ丁寧なのが。ほら、身内でもすげぇかしこまる時ってあるだろ?」
そこでセンセイは少し考えてみるが、せっかちな親方はそれを待たない。
「結婚式とか葬式とかさ、普段家族同然の身内に、やけにかしこまって深々と頭下げたりするだろ?ああいうのがオレは、なんか苦手なんだよな」
親方はぶっきらぼうに見えるが、実は情に厚い人である。きっと、身内と呼べる間柄の人と、かしこまった挨拶を交わす時に漂う他人行儀な雰囲気が、親方を居心地悪くさせるのだろう。そして、このやり取りで親方の言う「身内」に、自分も含まれていることを、なんとなく感じ取ったセンセイであった。
「おまえ、連休は何かしたか?」
「はい。本を読んだり映画を見たりして過ごしました」
「出かけなかったのか?」
「少し買い物に行ったりはしましたが」
「どうせほとんど家でボケっとしてたんだろ?仕方がねぇヤツだなぁ」
「はぃ…まぁ」
「ったく、連休くらいどっかバーっと発散に出かけねぇでどうすんだよ。まだ若ぇんだからよ、おまえは」
「はぃ…、。あ、親方は何かしたんですか?」
「もっぱら寝正月よ」
親方も出かけなかったらしい。
センセイの連休の過ごし方は親方に伝えた通りで、普段仕事をしている時間のほとんどは読書や映画鑑賞に費やされた。
その中で見た映画のひとつ、「かもめ食堂」はこれまでに何度も見た作品であったが、この連休中にもまた繰り返し鑑賞した。
あぁいいなぁ、と絡まった気持ちの糸がほどけるようなシーンでは、いちいち映像を止めた。しばし、そのまま余韻に浸る。そして落ち着いたらまた再生。
見るたびに映像を止めるシーンが変わることは面白い発見でもあり、まるで噛むほどに味わいのあるスルメイカのようにセンセイは、「かもめ食堂」を堪能するのだった。
そんなことを繰り返すセンセイの映画鑑賞は、奥さんに言わせれば「せっかくの流れが台無しになる」らしい。ごもっとも…、とセンセイは思う。ということで、だいたいにおいて、家ではひとりで映画を見ることになる。
そんな風にして過ごした連休はとても楽しいひと時であったが、いざこうやって仕事に戻ってみれば、普段の生活こそが自分の拠り所であるようにセンセイには思われた。
毎日同じ時間に同じことをする。日課を、そして与えられた仕事を、淡々と全うしようとする。
結局、変わり映えのない日常の繰り返しこそが、今のセンセイには心地良い。
それは着心地の良いシャツに袖を通すような営みであり、その肌触りはいつもセンセイに優しかった。
「今年の目標は立てたんか?」
作業の合間に親方から質問が飛んできた。
「そうですねぇ…えぇと…」
「もったいぶりやがって。立ててないならそう言えよ」
「あぁ、バレてましたか、すみません…」
「わははは。どうせそんなこったろうと思ったよ」
豪快な笑い方はあたかも「いいんだよ、それで」と、言っているようでもあった。
そして、それ以上何も聞かずに親方は、作業する手を再び動かし始めた。
子供の頃、学校でも周りの大人たちからも当たり前に飛んでくる質問があった。
「将来の目標は?何になりたいの?」
具体的な目標や、なりたい何かがあったわけではないセンセイ。
そもそも自分が大人になるということが想像つかない。また、大人になったら「何か」になるということの意味がうまく掴めなかったのだ。
だが、子供ながらに「何もない」とは言うに忍びなく「サッカー選手」とか「お医者さん」とか、大人が「すごいねぇ」と褒めてくれそうな答えをその時々で適当に返していた。
それだけに、サッカー選手でも医者でもなくセンセイは工房の作業員として親方の元で仕事をしている。
子供の頃に、自分がなりたかった姿の大人になれているかどうかは、分からない。
しかし、なりたくなかった姿になっているか?と聞かれれば、「ノー」と答えられる。そんな気がする。
生きられるようにしか生きられない自分の人生を、センセイなりに生きてきた。
他に生きる選択肢があったような気もするが、もしかしたらそれは思い込みに過ぎないのかもしれない。
映画「かもめ食堂」に、こんなシーンがある。
フィンランドで食堂を営み始めたばかりの主人公(日本人)は、ひょんなきっかけで町の本屋でとある日本人女性と出会う。
聞けばその女性も、ひょんな理由でフィンランドまで来てはみたものの、滞在中の予定が特に無いらしく、何をすればいいのか分からないといった様子。そこで、主人公は自分の家に泊まりに来ませんか?と誘う。
家に招いた主人公が用意した夕食は和食だった。招かれた女性はご飯をひと口食べると、涙ぐむ。
それに気づいた主人公は、「どうしたんですか?」などと涙の理由を質問することなく、そっとティッシュを渡す。
女性は「すみません」と小さくこぼして涙をぬぐった後、ひと呼吸置いて何事も無かったように別の話題について口を開く。
そのシーンの後で、センセイは決まっていつも、一時停止ボタンを押さずにはいられなくなるのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?