【twilight 第5話】ター坊 月のランプ
月をかたどったランプの下に並んだ頭が2つ。カウンターの上には芋焼酎のお湯割りが置かれていたが、酒に弱い2人のコップの中身は一向に減る気色を見せない。
「まぁでも、そんなにうまくいかないよな」
一杯目に飲み終えたビールに赤らんだ顔で、そう話すター坊のこれまでの人生がうまくいっていたことは、センセイの知る限りにおいて、ほとんど無い。
「毎日、朝早くから夜遅くまで働いてさ、帰ったら寝るだけ。こんなのってアリかよ」
「そうかぁ」
「そりゃそうだよ。おまえはいっつもぼんやりしてさ、なんていうか、お気楽だよなぁ」
「ははは。そう見えてるんだね」
「うん。まったくおまえのお気楽さったら、羨ましくなるわ」
「お気楽を選択する自由は、誰にでもあるよ」
そう返したことを、少しだけ後悔したセンセイは、
「たぶん」
と、付け加えた。
学生の頃よく遊びに行ったター坊の家で、ルールをうろ覚えのまま、たまに2人で麻雀を打った。と言っても、ただの学生による大人の真似事のつもりであり、お金は賭けない。
麻雀と言えば4人で打つのが本来であるが、そんなことさえお構いなし。
手持ちの牌を見て
「あーマジかぁ…。うまくいかねぇなぁ」
ター坊はコタツの中で足をバタつかせた。
2人の違いは打ち方によく出た。とにかく無難な手を打つセンセイに対して、ター坊はできる限りの冒険で一挙に高得点を狙う。
「あ…、それロン」
「うわぁ、マジかぁ。またやられたわ。もうやめやめ」
そのせいもあって、だいたいにおいてセンセイが、先に勝負を決めるのだった。
「じゃあ逆にさ、最近うまくいったことって何かないの?」
センセイは聞いてみた。
「あーそうだなぁ。今パッと思い浮かんだのは、この前コンビニの抽選でジャムパンが当たったわ」
「おー、それだよ。ちゃんとあるじゃないか」
「ただオレ、ジャムパン嫌いなんだよ…」
やっぱり、うまくいっていないらしい。
コップを手に取って口元に近づけると、お湯の温度に引っ張られて、芋の香りが際立った。焼酎バー「竹取物語」オリジナルの芋焼酎。どうりで店内の照明ランプが月であるらしい。
チビりと一口つけたコップを、またカウンターに戻す。蚊のそれよりも小さそうな一口だった。
「最近はさ、昔聞いた曲ばっかり聞いちゃうんだよ」
昔から、四六時中部屋で音楽を流していたター坊がそう切り出した。
「それがどうかした?」
「ほら、昔は新しいのを探すのに夢中だったんだよ。でも今は、そうじゃなくて知ってる曲を、聞き返すことばっかりっていうか…」
「あぁ、古い写真アルバムを見返すような?」
「そう、そういう感じ。曲を聞いたときに思い出すじゃん、いろいろとさ。あの頃にすがる時間が、増えたのかなぁって。まぁ、勝手にそう思ってるんだけど…」
「うん、分かる気がする」
その言葉どおり、センセイは分かる気がしている。
「それって、歳のせいかな」
「さぁ、どうだろう」
そう話す2人の年齢は、一般的な平均寿命に照らせば、まだ前半と言える。しかしそれはあくまでも、平均寿命を生きた場合の話ではある。
「まぁ、いつまで生きるかは分かんないけどな。せっかくだったら楽しく、生きていきたいよなぁ。お互いに、なぁ」
そう話すター坊の表情は、とても楽しそうであるが、おそらく本人はそれに気づいていない。
話が一区切りついたところで、それぞれのコップをまた口に運ぶ。2人とも例によって、蚊の一口よりも小さくチビりとやっている。
月のランプが落とした灯りは、コップの内側で檸檬色ににじんでいた。
ター坊の部屋でヒマを潰していると、ドアをノックする音が転がり込んだ。
「これよかったら飲んで。ゆっくりしてって」と、ターママ(と皆は呼んでいた)が持ってきてくれたのは、ホットのレモンティーだった。
コタツに入ったまま、マグカップのレモンティーをフーフーしつつ2人は音楽を聞いた。
ミニコンポのスピーカー越しに稲葉浩志は、「遠くまで 僕らはゆける 強い雨も 凍る風も 受けながら」と、まだ人生の辛苦の味も知らない2人の10代に、歌い聞かせていた。
その部屋でセンセイが感じた暖かさは、コタツ、レモンティー、稲葉浩志の歌、どれによるものか、あるいはどれでもないのか、センセイにも分からないままだった。
あれから随分と、遠くまでやって来たように思える。当時に比べれば2人とも、強い雨や凍る風の肌触りを、少しは覚えたかもしれない。
そしていま、深まる宵に、深まる酔いを共にしている。
センセイは隣で眠気まなこのター坊に話かける。
「たぶんね、あの頃にすがりたいわけじゃないと思うよ」
「…ふぇ?…なんの話?」
「さっき君が言ってたこと。昔聞いた曲の話」
「あぁ、そうだった」
「それってただ、その曲が今でも好きで大切ってだけなんだよ、きっと」
「そりゃそうだよ。じゃないと聞かない」
「うん。それだけで十分じゃないかな」
その話は、自分自身に向けたものでもあることに、センセイはなんとなく気がついていた。
目の前の並んだコップに少しだけ残るお湯割りが、一瞬レモンティーに見えたのは、月のランプのせいだけではなかった。