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あきらめているおかげで、新作を描き続けることができる、という話

ほとんど毎日のように絵の新作をネットに上げているとたまに「よくそんなにぽんぽん新作描けますね」と言われることがある。

そういう人の中には、絵を描こうとするんだけどいいモチーフが思い浮かばない、構図を決められない、着彩がうまくいかない、などとにかく描けないあるいは、描いても仕上げられないとかいろんな人がいるのかもしれない。

僕は絵はうまくないけど、「ぽんぽん新作を描くこと」は割とうまいほうかもしれない。
これも技術なので、その辺のことについて書いてみる。

先に結論から言うと
オレごときが大層な絵を描けるわけないし、
時間かけようが、かけまいがオレごときの絵に大差ない」
そう、僕は根底で完全にあきらめて開き直っている。
マジで根っからあきらめてる。あきらめ将軍ここにあり。
おかげで、ぽんぽん新作を描ける。

あきらめていると、描くモチーフのバランスや形が歪んだところで、「まぁいいか、オレだもの」だし、色が凡庸でも「仕方ない、オレだもの」と、細かい部分を全て「まぁいいか、仕方ない、オレだもの」とまるで相田みつをのノリで、解決することができる。

いちいち修正しないし、加筆もしない。
経験上、やり直して結果が劇的に好転することほぼないし。

それに、自分の色のセンスなんて全く信用してないので、絵の具の混色もほとんどしない。
既製品の色をそのまま使うほうが絶対キレい。
なんせ、絵の具メーカーという色のプロが作ってるわけだから。
僕が作り出す色より、よっぽど信用できる。

明るさと彩度の調節に白か灰を混ぜることがたまにあるくらいで、細かい調節はほとんどしない。
「色にはこだわりがあって、何色も混ぜて微妙なニュアンスを出してます」
みたいな絵描きさんもいるけど、僕ごときじゃそんなん無理。
それにそもそも混色とかめんどい。

そういう態度で絵に向き合ってるから、自分の作品に「成功」「失敗」という概念が無い。
出来上がった絵に対する、自分の「好き」の度合いに多少の違いがあるだけ。
自分の絵を細かく評価したり分析したり反省したりも一切ない。
後で見返すこともほぼない。
描き上がった瞬間その絵との関係はもう終わりで、気持ちは次の絵に向いている。
自分の絵との付き合い方、マジで淡白だなと思う。
淡白将軍ここにあり。(本日2度目の将軍)

おかげで、全然うまくならない。
(多分ずっと見てくれてる人にはバレてる)
しかも、それで全然いいと僕は思ってる。
そもそも絵の良さと、うまさは全く関係がないのでうまくなりたいとも思わないし、うまくなるつもりがない。

うまい絵を描きたいとか、描かなきゃとか、そんなの本当にどうでもよくて、ただ「オレごときが描ける絵を今日も描くだけ」である。
ということで、気負いなくぽんぽん描ける。

作れないときの自分ってたいてい、自分に期待過剰なだけ。
「こんなんじゃダメだ。自分にはもっと、いい絵が描けるハズ!」って。
でも、残念。

ないから、そんなこと。
自分から出るものしか出てこない。
どんだけ頭捻ろうが、時間かけようが、出てこないものは出てこない。

「完璧」や、「もっとすごい作品」に囚われると、ああでもないこうでもないばかりで時間が過ぎて、一向に完成しない。

オレごときが大層な絵を描けるわけないし、
時間かけようが、かけまいがオレごときの絵に大差ない」
そんなあきらめと開き直りのおかげで、僕は構わず描き続けられる。

今日、明日も、明後日も。

Many years pass

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