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ダメ出しは要らん。作品は、褒めてくれる人に見せよう、という話。

僕は毎朝絵を描いているんだけど、描き上がったらすぐ嫁さんに見せる。
「ほら、今日の絵見てよ。こんなん描けたよ。」

すると、僕の嫁さんは嘘がつけない正直な人で、「いいね」と言ってくれる日もあれば、逆に「うーん」と微妙な表情をたたえて「もっと、こうすればよかったんじゃない?」と、言ってくれることもある。

こんな、やりとりを繰り返してて思うのが、
ダメ出しって、マジでテンション下がるなあ
ってこと。

僕は思う。
人間ってのは、ただただ褒めてほしいだけの生き物なんじゃないかと。
子供も大人も関係なく。

ただ、「いいじゃん」「すごいじゃん」「よくできたじゃん」「えらいじゃん」と、言って欲しい。
ダメ出しは要らん、褒めてくれ。
少なくとも、僕はそういう人間だ。
いい歳したおっさんなのに、だ。

そんな僕だから、絵の感想をダメ出しだけで片付けられた日にゃ、心の星一徹がちゃぶ台をひっくり返しそうになる。(昭和な例えでメンゴ!)

だからなるべく最近は、よっしゃいいの描けたかも!って時だけ、嫁さんに見せることにしている。
つまり、ただ褒められたいだけなのだ。
オレ、きゃわ。


大切なことじゃないだろうか。
自分の作品を褒めてくれる人に見せる、ということは。
何故って、嬉しいじゃないの。楽しいじゃないの。

大袈裟ではなく、人によっては創作を続けられるかどうかの鍵を握る大事な問題じゃないだろうか、とさえ思う。

誰でも彼でも周りの人に作品を見せればいいってものじゃない。
ダメ出しばっかりの人に見せて、果たして楽しいだろうか、嬉しいだろうか。
それで続けていこうって思えるだろうか。

創作の中心はたくさんの、楽しさ、嬉しさ、で溢れかえっているべきだ。

こういう話をしていると、
必ず「必要なダメ出しはあるでしょ!
それに聞く耳を持たないと、成長しないよ!」
という人が出てくるけど、
そういうのは僕からしたら「うるせぇよ」なので、そっちはそっちで勝手にやっててくださいと思ってしまう。
そもそも成長する目的でやってないっての。

とにかく、何が言いたいかって、
作品は褒めてくれる人に見せよう。
それが、創作の喜び、楽しみ、を作るから。

もし近くに褒めてくれる人がいないなら探してみるか、見つからないなら誰にも見せなくていいんじゃないかな。

その代わり、自分で自分を褒めちぎる。
「うわぁ、このオレの作品、すごいじゃん」
と、自画自賛でいい。

それが、次を描く力になる。

僕はそう思う。

Distance from the past

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