人生とは数限りない「ドッキリ」の連続であるという話。こんなはずじゃなかった人生をこんなはずじゃないまま生きていく
人生とは数限りない「ドッキリ」の連続である。生まれてからたぶん死ぬまでそれは続く。
「将来の夢ドッキリ」「理想の恋人ドッキリ」「自分の才能ドッキリ」「学歴ドッキリ」「就職あるいは転職ドッキリ」、「大病ドッキリ」「加齢ドッキリ」「死別ドッキリ」などなど、無数に連なるドッキリの集合。
それが人生である。
時に、私たちの人生は「もう無理、立ち直れないんじゃないか、、」という深刻な局面を迎えることがある。こんなはずじゃなかったのに、、と。
そんな時、私たちに必要ことは
「テッテレーーー!!ドッキリ大成功!!」
の脳内再生である。テッテレーーー!!。
たとえそれで何も解決しなくとも、とりあえずドッキリにしておくことで、こんなはずじゃない人生を、こんなはずじゃないままに生きていくことができる。
まず、これを読んでる大人に聞きたい。
「子供の頃なりたかった、あるいはなれると信じていた大人に今なってる?」
ほぼ「いいえ」じゃないだろうか。
もちろん私も。
将来の夢は?と聞かれ、野球選手に!アーティストに!お医者さんに!お花屋さんに!ケーキ屋さんに!綺麗なお嫁さんに!社長に!お金持ちに!有名人に!
私たちは答えていた。
根っからそう信じていた人もいれば、とりあえず一応って感じで答えてた子供もいるかもしれない。
いずれにしてもとにかく、漠然とでも将来への期待を子供だったほとんどの私たちが抱えていていた。
ところが、である。
マジでびっくり。そのほとんどがドッキリだったなんて。
大人になる過程のその時々で、ネタバラシが待っている。
多くの場合それは「絶望」の顔をしている、、。
自分には人と違う特別な才能があると思ってたのに、実際はただの凡人だった、、。「テッテレーー、才能ドッキリ大成功!」
東京に行けば何かが起こる、起こせると思ってたのに何も起きないし起こせない、何者にもなれずに歳だけとったオレの東京生活、、。「テッテレーー、上京ドッキリ大成功!」
就職したら仕事で結果出して、上司からも期待の若手なんて言われると思ってたのに、びっくり!!
面接なかなか受からないし、どうにか就いた職場では自分がただの会社不適合者ってことが判明しただけ、、。「テッテレーー、就職ドッキリ大成功!」
決死の覚悟で転職した先では、もう人間関係に悩まずにゆとりを持って働けると思ってたのに、、、。「テッテレーーー、転職ドッキリ大成功!」
とまあ、ここに挙げきれないが、わが身を振り返っても数々のドッキリに引っかかってきたものである。
まさに「こんなはずじゃなかったのに、、、」ていうアレ。
さて、「人生はドッキリだ」と知ることで、何かが解決しそうな気になるが、それは違う。
なぜなら、それは「なにかが解決しそうドッキリ」の始まりでしかないから。
私たちが宿命的に背負っているドッキリとは、マトリョーシカのように入れ子型の構造をしている。
私にしたって、もう何年も前に「才能ドッキリ」のネタバラシをくらっている。
「なんだよ〜オレ自分のこと天才と思ってたのに、全然凡人じゃ〜ん」と。
でも相変わらず、たとえば星野源のような人を見ると「クソが!」と嫉妬を燃やすのだ。(ちなみに、めちゃファンです)
つまり、ネタバラシ後も「こんなはずじゃない」は完全には解決はしない。
「テッテレーー!解決ドッキリ、大成功!」
じゃあ、「人生はドッキリ」だと知ったところでまるで何の役にも立たないかと言うと、そんなことはない。
これまで、たくさんのドッキリに引っかかってきた私たちの経験は、先の私たちを助ける。
たとえ止まない苦悩を解決はしなくても、心のダメージは減らせる。
人生はたかだか「ドッキリ」だ。そんなに深刻になる必要はない。
こんなはずじゃない人生を、こんなはずじゃないままに生きていく。
それでいいのだ。
「テッテレーー!ドッキリ大成功!!!」