キャリア・ドリフターズ #1 「迷ったら遠くまで行けそうな方に流されよう」
「人生は夢だらけ」
そんなことを言う人がいて、時は2016年。
自分の人生に夢があった瞬間なんて、私には多分3時間ぐらいしかなかったと思います。3時間。180分。10,800秒。私の夢の賞味期限は、今も昔もだいたいその程度です。
そんな揮発性の高すぎる人生計画しか持ち合わせていないせいか、いつも気が付くと当初全く予想のしていなかったところに流されて立っています。特に仕事という観点で振り返ると、私の仕事人生、大半が自分の思うようには歩んでこられませんでした。ちょいちょい不安になって、一瞬立ち上がり川上の方を仰ぎ見る、けど次の瞬間またどんぶらこと押し流されていく。その繰り返しです。ただ一応ポリシーとして、「迷ったときは適宜ドリフトしよう(流されよう)」というのが私のキャリア選択の信条であります。更に付け加えると、流された先が想像しにくい方面に敢えて舵を切ってきたことが多いように思います。ですから、思っていた未来とは全く異なっていますが、別に後悔や不満は今のところありません。夢だらけではありませんが、人生それなりに自分の選択に納得し充実して生きてきたと感じています。今のところ。
この10年のキャリア放浪(と言った方が絶対実態を表している)の過程を振り返ろうと思ったのは、その次の10年をどう生きていきたいか、いやむしろ、どう流されていきたいか、ある程度その潮目ぐらいは読んでおきたいなぁと思ったことに始まります。そして、今大学院(MBA過程にいます)というキャリアの中州に立った状態が、振り返りの時にふさわしいのではないかと思ったことも理由の一つです。
そんなドリフト桃太郎みたいなヤツがどんな川を流れてきたのかイメージしやすいように、予め私の経歴を所属先や状態に絞って簡単に記します。
誕生👶 ⇒ 公立小学校 ⇒ 公立中学校 ⇒ 公立高校 ⇒ 国立大学 ⇒ ベンチャー ⇒ フリーター ⇒ 外資系IT企業 ⇒ 大学院生(MBA)⇒ 在学中に起業(個人事業主)
と、こうして改めてみると、同じような経歴の人は日本国内だけでも5万人くらいいるかも・・・という気がしてもうこれ以上何かを語るのが憚られる気もします。しかしながら、迷い流されて生きてきた自分のキャリア・プロセスを言語化することで、自分がこの後の人生をもう少し気持ちよく流されることができ、また万が一誰かの役に立つならそれってうれしいなぁという気がするので、気にせず進めたいと思います。
私が想定する「こんな人が読んだら少し参考になるかもしれないな」という方はこんな人たちです(なんかよくあるマニュアル商法みたい!w)
・同世代でキャリアに悩む女性(20代後半~30代前半)
・これからMBAを検討している人
・起業しようと考えている人
・就活に悩んでいる新卒の人
・地方出身の人
・母子家庭の人
なぜかというと、そのすべてを一応私自身経験したことがあるからです。手にしたことのない夢や希望について書くことはできませんが、やったことのある割と泥臭い行動については惜しみなく共有することができると思います。当然お手本にはならないと思いますが、「こういうやつがいるのか」と思っていただき、「じゃ私にもできるかも」と思うきっかけにでもなればいいなぁと目論んでいます。(というのは建前で、とにかくまずは私自身のためのモノローグです)
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これから何度かに分けて書いていく個人の生い立ちやキャリアの前提をお話ししておくと、私は育ちがよくありません。生まれた土地はハイパーに地方の港町で民度が低く、小・中の同級生の4割ぐらいが順当にヤンキーに成長するような場所でした。中学で妊娠するような子たちもいました。学校にピンクのヒョウ柄の一張羅ジャージを着てくる子もいました。教室で授業中に髪の毛染める女の子もいました。態度が悪いと先生が頭にかかと落とししてくるような、そんな戦々恐々とした日々を、割と楽しく過ごしました。
加えて、母子家庭で家が貧しく、親戚の家をてんてんとして子供時代を過ごしました。いろんな思いをしました。私の育ちの悪さは前述の外部環境というより家庭環境の方が要因としてウェイトが大きいと言えます。これは私固有のお話しであって、当然世の中のすべての母子家庭の方がそうとは思いません。一般化もできません。私自身は母子家庭だった当時、その事実をつらいと思ったことはほとんどありませんでしたが(むしろ毎日女子会みたいな家庭で楽しいと思っていた)、大人になって客観的に考えて、いややっぱり不要な苦労はしたよね、と思うことがたくさんあり、またそれが自分という人間の核を形成しているため、普通の子供とは自分が違う育ち方をしているという自覚があります。それを現時点では「育ちが悪い」という表現にしています。
当時の小学校の校長先生が、卒業生ひとりひとりメッセージを贈ってくれたのですが、私が受け取った色紙にはこう書かれていました。
「泥沼に咲く、白蓮のごとし」
よくわからないけどなんかかっこいいな、へへ・・・。ぐらいに思っていた私の隣で、母親は言葉を失っていました。
12歳の私の置かれた環境を「泥沼」と恐れず表現してくれた校長先生には、今の私はどう映るのだろうか。白蓮とは言わないまでも、何かちょっと花が咲きそうだね!ぐらいには喜んでくれるかなぁ。そんな希望もかすかに抱きながら、自分が歩んでいると思いながら実は流れてきたキャリアの話を、少しずつ書いてみようと思います。
つづく
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