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【日本史】幕末の外交官、川路聖謨 ―ウィットと知性で乗り越えた激動の時代―

幕末の動乱期、
すごい外交の腕前を見せながら、幕府と運命をともにした男がいました。

その男の名は、川路聖謨。

下級役人の息子から、幕府の重要人物にまで上り詰めた川路聖謨の波乱万丈な人生を、これから紹介していきます。

川路聖謨は1801年、今の大分県で生まれました。
17歳で幕府の役人になって、そこからどんどん出世していきました。
20代で旗本(将軍に直属する家臣)になり、30代では寺社奉行所で、事件を裁く立場になっていたんです。
特に有名なのが「仙石騒動」という、武家の家督相続をめぐるゴタゴタです。これがすごく複雑で解決が難しいと思われていたんですが、川路聖謨はみんなが納得する形で解決しちゃったんです。これで一気に評価が上がって、どんどん出世していきました。

そして、その才能は当時の最高権力者である老中(将軍を補佐する最高官職。今で言う大臣)水野忠邦の目に留まり、彼がリードした天保の改革にも参加します。
しかし、水野忠邦が天保の改革で挫折して失脚すると、川路もそれに巻き込まれる形で左遷されてしまいます。

だが、彼の才能は再び必要とされ、中央に呼び戻されるんです。
そして、彼の人生を大きく変える出来事が起こります。
ペリーの来航だ。
1853年、アメリカの艦隊が日本に来航し、開国を迫りました。
この時、川路は冷静に国書の受理を主張します。
そして、これが評価されて、

ロシアとの交渉役に抜擢されます。

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