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源氏物語を読みたい80代母のために 36(源氏物語アカデミー2023レポ②)

 今年もトップバッターはアカデミーのボス・朧谷壽先生。
「道長の映画の舞台 ~土御門殿~」
 レジメは差し挟まれた追加の資料(表紙の画像:土御門殿)を入れて実に十ページというボリューム。
「普通にやったらまあ、五時間はかかるかな。ということで早速始めますね♡」
 ってえええ。
 去年と同じく、いやむしろ
 大河に平安キタ!
 
ということでますますパワーアップした感すらある怒涛の講義。例によってついていくだけで精一杯である。一応、予習も少しはしたんだけどな。直前のやっつけだけど(去年もそんなことを以下略)。 
 で、内容についてはまたまた私のいい加減なメモを書き散らすのみ(一年経っても何ひとつ成長していない感)。適当に読み飛ばしてください。

〇「日本紀略」「権記」「小右記」「紫式部日記」「御堂関白記」「栄花物語」等(!)から抜粋された文言ズラー。 
〇「法成寺、土御門殿という広大な敷地が如何にして道長の手に入ったか?」
 当時の相続は「父→①娘or/andその夫②子息」なので、道長は倫子と結婚したことにより一帯を手に入れた。
 右大臣藤原定方(姉・胤子は宇多天皇女御にして醍醐天皇の母)
→<定方の子息>土御門中納言・朝忠
→<朝忠の娘>穆子<その夫>左大臣・源雅信
→<雅信の娘>倫子<夫>道長(987年結婚)
さらに南町を大江匡衡(赤染衛門の夫)から買収し、馬場殿など新設し大改造(長徳二年:996年、それまで実権を握っていた中関白家が排斥された後ですね汗)。
〇天皇家の里居に使われた邸宅の持ち主は加階されるという慣習あり。一条天皇が土御門邸にいた母・詮子(道長姉)のもとに行幸したため、道長が従二位を賜ったことも。
〇当時は本名を呼ぶことはなく、住む場所や役職名などで呼んだ。詮子は邸宅にちなんだ「東三条院」という女院号がつけられたが、これは日本初。その詮子にしても道長の妻・倫子の名を当初は知らず、道長自身に聞いている。
〇中宮彰子が道長の初孫である敦成親王を産んだのは土御門邸。紫式部日記の冒頭で誕生直前の状況や土御門邸の美麗な様相が詳しく描写されている。
〇桓武天皇の残した教訓として「私寺は造らない」というものがあった。平安京内での初の私寺は「六角堂」。道長は平安京外に私寺を造った。
〇仏教を供養するのは後生のため(往生極楽のため)であり、現世のことをいうのは道長の本意ではない。→複数の日記に記録あり(道長の意図をくんだもの)
〇長和五(1016)年、土御門が火災。建物も代々残し伝えて来た物もすべて焼けてしまった。再建にあたり、要求に応える能力のありそうなお抱えの受領に、南から北まで一間ずつ担当させ競争を煽った。受領からすれば除目時の見返りが大いに期待できる仕事である。結果、焼ける前より立派なものが出来上がったという。
〇治安三(1023)年五月、土御門邸にいた彰子に田植えの様子を見せる。本物の農民を呼び、田楽などもさせた。
【こぼれ話】
〇現在、道長の邸宅跡には碑があるが、それを環境庁の人をせっついて建てさせたのは朧谷先生(さすが)。
〇映画「源氏物語 千年の謎」で二億円かけて土御門殿を作り上げ(朧谷先生監修!)、撮影終了後には角川より寄付の申し出もあったのに京都は受け入れず。壊されてしまった。(もったいない……あ、ちなみにマイブログにチョロっとレビューかいてますのでよろしければどぞ)
〇法成寺(道長の建てた寺)の跡地には説明板がある。徒然草の時代まで「額」は存在していたが、応仁の乱で焼けてしまった。

 ……何ひとつまとまっていないけど以上です。
 ちなみに予習として読んだのはコレ:
「藤原道長 男は妻がらなり」朧谷寿(2007)

 ものすごく中身濃いいい!です。
 講義でお話いただいたのは本当にほんのわずかな一節だとよくわかる。それもこれも、平安貴族たちがこぞって日記や記録を書いて残してくれたおかげですね。もちろん紫式部もその一端を担ってる。 
 ただ、人によって全然書き方が違う。道長は非常にそっけない、完全に感情を排した文章(かなり意図的)だし、「小右記」の実資は自他ともに認める有識者としてその深い知見を惜しげなく書き連ねる中で、正面切っては言えない本音をチラ見せる。紫式部は情景描写多めで、ヨイショ文らしき箇所や単なる愚痴も。いやー面白いなー。「栄花物語」は全くの未見なのでそのうち読んでみよう(積読が増えるばかり)。
 さて私の雑理解:
 平安の貴族社会は、鎌足の息子・藤原不比等が
「不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職につくべし」
 と決めてしまったものだから、ほぼ藤原氏一強の血族組織……となったものの、同じ藤原といっても筋が何本も存在する。より天皇に近い方が政治的には強いが、それ以上に
・本人の能力(特に周囲の状況を読む力)
・運(死なないこと)
・やる気(野心)
 がないと中々浮上することは難しい。道長はまさにその三つがガッツリ嵌った人なんだと思う。病弱な癖に何度死にそうになってもなんでか復活するし、子沢山だし、結果的にけっこう長生きする。現世ではなく後世をたのみにする、という信仰の形もうまいんだよなあ。何かで失態があっても、目に見える結果がすぐに出なくても、「その先の未来」を期待できるから。
 同時代の人からしたらまさに「いったい前世でどんな良い行いを」と思わざるを得ない、超ラッキーな「持ってる人」だったんだろうな。

 さて驚くべきことにまだ今日はこれで終わり、ではない。初日の講義は二つなのだ!
<つづく>

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。