ふるさとへの絵手紙 カンジキと藁仕事
樏(カンジキ)
これは一寸前の話しであるが、私しの親父は、下駄の材料を作るのに山の仕事が多かった。
だから色々の物をさがして来た。
其の一つが樏の材料だった。
其の木は“べべの木”と云って、低木で山に這うようにして育ち、葉が榧(カヤ)の木に似ていた。
実もよく似て、秋になると赤くなり綺麗だった。
其れを何本も持って帰り、カンジキの型を作って陰干しをして
暇な時に作って、何時も三、四足はあった。
其れを猟師さんが知っていて、わけて呉れと言って持って帰っていた。
残りが一つになって玄関の奥に吊してあった。
其れを伊左衛門の勇さんが「呉れやあ」との話しになったが、一つだけだから困ると言ったら、
「其んなら貸して呉れやあ」と云って、一冬履かしゃった。
加減がと言うか、履き心地が良かったのか
かわりを一足持って来て、
「借りとるのは今履いているから、是れと交換して呉れやあ」と云って、太くて仁王さんの履くようなのを持ってきやしゃった。
儂はいらないからええわいと、うんと云った。
中々上手なところもあった
樏(カンジキ)の木は、細くて長くて柔軟性が無いと格好のが出来ない。
太いのが丈夫で好いじゃないかと思うが、おお違い。
細工があるのである。
藤蔓や緒綱で結ばねばならぬ。
枠木が太いと、其れらを巻くと更に太くなる。
安定性があってよいように思われるが雪まぶれになって、かえって歩きにくくなる。
しょっちゅう雪払いをしなくてはならぬ。
勇おぢさんに気持ちよく履いて貰ったと、有難いと思う。
藁仕事(1)
正月がすぎると、どの家でも其の年一年間の働きぐさを
雪の間二ヶ月ばかりで作らなければならぬ。
自分ひとりでやるのは、つまらなくて直ぐ嫌になる。
其処で人の集まる所をさがして世話になる。
伊左衛門の離家でお世話になった。
毎日大勢の人が集まって、話しもはずむ。
タチウスが二つあった。
つづく
H17.9.30 善琢
藁仕事(2)
先ず藁の選定から始まる。
悪い藁だと、物がつくりにくくて弱い。
だから稲扱きの段階からエッテ※おく。(※選んで)
私の家の藁は、山田のせいで腰が弱く(叩くとオレオレになる)
故に駄目で、岡安の親類から貰って来て藁仕事はした。
フゴ(とわ、畚、こんな字で、入れ物)家々の方では屑の事を・・・
いやいやちがった、思い出した、ハカマだった。
かんがえて見ると袴だ。
フゴ出とるなんて書いたら、恥をかくところだった。
其の束ねたものを一日分担いでいって、「今日は藁打ちや」と云うと、
「よっしゃ、其んならわしもや」と言って、連れになって貰った。
打ち始めはガサゴソだが、だんだんにカンコン、カンコンで張合いがついて来る。音が小さくなって、コシコシとなると仕上りに近い。
そろそろ疲れて来た。
声がかかった。「一服しよまいか」
まっとった。
つづく
H17.10.1 善琢
藁仕事(3)
勇さんは蓑作りが得意であった。
肩から背中までと、其の下の腰の部分、上下の組合せの部分が厄介だったらしい。
善兵衛の栄さんが蓑作りを習っておらんした。
さあ一服だ。
其の頃になると客が増えた。
久左隠居の勝太郎さんがよくござった。
仕事はあまりさっしゃらないが、話し好きだった。
腰を一寸かがめて、戦争の話しをさっしゃった。
「アメリカの飛行機が編隊で来て、ところかまわず人畜殺傷弾を振りまいた。
きょうといなんてゆうものでなへ、命が縮まった・・・」
話しがはずんでいるところへ、お母さん(トミコさんだったと思うが)がおやつを出してくだんした。
ミカンやさつまいもだった、有難かった。
コウジミカンは酸っぱいのが多かったので、
火であっためると甘くなるので、焼いて食べた。
思い出すなあ・・・。
H17.10.2 善琢
以下コメント
懐かしいなー藁仕事、登場してくる人たちはもう皆亡くなつたが――
私も毎日藁仕事に行つていたので情景が浮かんできてーーーー
60年も昔のこと―懐かしいなーーーー
投稿: じゆん | 2010年1月27日 (水) 14:59
蔵の中におそらく祖父がこしらえたと思われる新品の蓑やテンゴ・草鞋がいくつもぶらさがって残っている。
来年の分をと作っておいたのが、いつを契機かパッタリと使わなくなったのだろう。
蓑を振ると籾殻と一緒に小豆粒がパラパラとこぼれ落ちる。
・・・何故?
(管理人)