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ふるさとへの絵手紙 トチ

トチ(1)

杤、橡、栃、柮
四字もある。出世木かなと思ったが、でもないらしい。
七つの葉にて一葉とする。なる程七枚である。
高木で深山にあり、姿雄大にして群を抜く。

計らんや昔の事、坂下より車で五分、歩いて三十分、いやはや驚きである。
全国で十本の指で数へる程の貧乏県であったように思ったが(失礼)、
何と様変わりな。
喜んでいいのか悲しんでいいのか。

茹だるような八月も終り、焦がすような九月に入った。
台風の声がしてきた。
昔しは「荒れ」と云った。
二百十日、二十日の前後が、其の雨嵐しの季節なのである。
丁度其の頃が稲の花盛りで、百姓さんに注意をうながした呼称であるらしい。
其の頃になると其の荒れを心待ちにする人がいるのである。

時機到来、栃の実落下の音がする。
風よ吹いてくれ・・・ 

つづく

H17.9.6 善琢



なめり谷にある栃の巨木(幹周5.25m)
たのしい村づくりの会+壮年会による新鞍林道整備作業時に撮影(平成18年)


栃の木といえば奥深い山にだけ生えていて、山に慣れていない人だとそう簡単には辿り着けませんでした。
現在は林道が敷かれたおかげで、車で栃拾いに行くことができるようになっています。
もちろん全ての栃の木に気軽に行けるわけではありませんが、昔の苦労に比べれば雲泥の差です。

去年、栃の実はかなりの不作だったようです。
今年も栗が全然実をつけていないような状況だけに、いささか不安が残ります。
果たして今年の出来はいかに。



トチ(2)

栃の実の自然落下は日にちがかかる。
やっぱり荒れ嵐しを待つのである。
が只し、雨を持って来られると大変である。
勝手であるが風だけで来てほしい。

昔しの話で申し訳ないが、
天気の予想は、身体や空模様で判断する。

先ず朝の東の空を見る、
朝焼けである、雲の色が黒い、風になる。
夕焼けを見る、綺麗な陽だ、明日は晴れるぞ。
東が曇れば風となり、西が曇れば雨となる。

朝虹、昼から虹、雲の流れ、鳥の行動、虫の声、
其れら自然が時候を教え、告げて呉れるのである。
其の智を傳へて呉れたのが先祖であり、親である。

今は空など眺めていると、バイクや自動車にとばされる。
うかうかしていられない。
天気などはテレビを見ればよいと、子供に笑われる。
日本から遠おく離れた、ボルネオあたりの沖合で発生した荒れを、
空の雲行きを眺めなくても、茶の間にとどけて呉れる。

其れもそうだ。

つづく

H17.9.7 善琢



トチ(3)


御期待にそって荒れがきた。
どうも一日では終わりそうもない、よわったこっちゃ…。
当てが外れて、悔しくて悔しくてしかたない。

こんや頃にはおさまるやろ。
夜中になって気がきで無い、居ても立ってもいられない。
雨戸を開けて見る、
風も止んだらしい、雨も少かった。

よし今日は行くぞ、嬉れしやば一寸早いが飯を炊こう、
かまどに火をいれた、お茶も沸かそう。
火を焚き乍ら、今日はどこからゆこう、

去年を思い出した、彼処にしようか、此処にしようか。
でも落ちてなければ、何んにもならん。

あの谷には早生があった、足場が悪いが人の行かんとこがよい、
よしきまった、とかんがへ乍ら握り飯しを握った。

もう拾っているような気分で、テンゴに弁当をつめた。

つづく

H17.9.8 善琢



トチ(4)


山に入ってから、しらむ位いで無いと、人に先を越される。

古い米袋を二つ用意して、セイタにくくりつけた。
短いナワのはしくれをもった。※

出けた、用意萬端、もう出かけるのみ。
時計が三時半を打った、揃々ゆこう。

なるべく静かに、家をはなれて歩く。
おゝ彼処の家はもう電気がついている。

足を早目に坂尻まで来た、誰にも出合わずに来た。
一寸白みかけた、もう一息だ。

早よう出て来てよかった。
一寸涼しい気もする、足がはずむ。

サワガニが道を這っていた。
嵐の去ったあとはええ天気だ。

つづく

※地下足袋の先にすべり止めで使う

H17.9.9 善琢



トチ(5)

やれやれ着いた。
思った通りや、昨日の風で落ちたんや、此処にも其処にも。
嬉れしや、一服どころでない、
早う拾はにゃひとが来る。

お天とうさま、ほんまにありがとうございます。
ええ荒れやった、雨も降らずに、水が少いし、ええ天気やし、
言うことが無い。
モッタエナヘ、モッタエナヘ。

おや、彼方の方で声がするぞ。
どの迫やろ、あっちは二人連れらしいぞ…。
こりゃのん気な事しとれん、早よ拾って次の木に行かにゃ。

あっちはどこの人やろな…
音がせんようになった。

油断が出けんぞ、そらそら

つづく

H17.9.10 善琢



トチ(6)

此んなにようけ落ちとんのなら爺さん連れて呉れやよかった。

一ぺんに落ちんでもええのに、ほんまに困ったこっちゃ…

へへ…こんでも薮たの中のは拾わんといた。
覚へとるで、今度の時に一緒に拾うや。

其れにしても、よおけやった。
早よ、いんで干さんならん。

ちいと小粒やったけど贅沢は云へん。
数が有りゃおんなじこっちゃ。

よえもちやでけるど、みんなあ けながるど。※

さっきの人はどなへしとらんすやろ。
まあまあええ、人のこと心配しとらんと早よう いの。

いやこれゃ おぼたへ。

弱ったこっちゃ、歩けるやろか。
こけんようにせんとあかんが、これゃあかん、あるけん。

一袋隠しておへとこ…、とそんな話しを聞いた。

つづく

H17.9.11 善琢

※けながる=うらやましがる



トチ(7)

上手に茹った、丁度ころ合いに剥ける。
よおけ拾ろといたから、ええ正月が出けるど。

婆さん上得意、嬉しいかぎりである。

併し是からが大変なのである。
灰汁抜きと言う作業が残っている。
毎年うまへこと出けるから、心配はいらんと思うが
何と言ってもデケモンや、出けたら出けた時の事にせんと、
兎に角剥かにゃあかん。

女の人と云うのは、何から何まで大変だった。
栃の餅だけでは無い。
蓬(ヨモギ)、牛蒡の葉(ゴンボノハ)他、
色々の準備をしなくてはならぬ。

今考えたら痛ましい程の働き振りだった。
御飯時だって、こしらへて、一番あとに食べて片付ける。
風呂だってしまいぶろ。

爺さん(おとうさん)と言ったら何をしとんのか、
集会所に行って、あはは あははと言い乍ら、碁を打っている。

でも、しあわせ。

つづく

H17.9.12 善琢



トチ(8)

苦労をかけてるなあ・・・
いえいえ苦労なんてひとっつも思いません、
子供も手もはなれたし、これからもっともっと働きます

こうして美味しいお餅が食べられて幸せだね・・・
こんな話をしながらお目出たを祝う、
何の不足があるものか。

今は酒なんて全国の銘柄が
どこの酒屋でもずらりと並べてある。
又昔しの事を持ち出して恐縮ですが、
ごんごうびん(五合瓶)をぶら下げて
分教場の前のお店屋さんに買いに行った。
奥の方より親父さんが出て来て、
薄暗いところにおいてある樽から漏斗を使って、
トクトクトクと入れて呉れた。

センベイパンが一銭で五枚ほどあったと思う。

H17.9.14 善琢


元記事の投稿日時 2009年9月22日 (火) 16:54