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秋の映画鑑賞事情(10月・11月前半に観た映画)

2024年のちいさな目標、それはコンスタントに映画を観ること。

10月は何かとイベントごとも多くてタイミングも合わず、映画を観に行く
時間があまり取れなかった。おうちでの映画鑑賞も、専ら娘はんとアニメの配信を見るくらいで、映画はほぼ観れず…。

しかしながら10月に観た”あの作品”はやっぱインパクトデカかった。スゴかった。なので、忘れる前に文章に記憶をとどめておかなければ…!と、
11月に待っていた作品を観に行けたほやほやの喜びと共に、一旦
まとめておこうと思います。


『憐みの三章』

楽しみにしてたぁ~♪『哀れなるものたち』から、めちゃめちゃ気になっていたヨルゴス・ランティモス監督による作品。支配と服従の3つの物語、
最終リンクするのがスゴイ。魅せ方めっちゃうまいし、グロいのにキャッチ―、何コレやっばいなw。

近くのシネコン(ファミリー層中心なので売れ筋の話題作品チョイスが多め)でやってたので「お、ここでやってるんや!」っとラフな感じで(気持ちの具合的に)観に行ったんだけど、「おっつ…」てなったw。観客私含めて2人(始まるギッリギリまで私ひとり)やった。…そらそうやろな(地元ではウケなさそうって意味で)。

内容は、全ての選択肢を与えてくれる上司に背いたことで奪われた自分の人生を取り戻そうとする男(『R.M.F.の死』)の話、海難事故で失踪した妻が帰ってくると別人になっていた男(『R.M.F.は飛ぶ』)の話、妄信するカルト教団のために死者を蘇らせる力を持つ「運命の人物」を探す女(『R.M.F.サンドイッチを食べる』)の話、3本(章)立て。
すべて同じキャストで違う3つの物語が展開される(ていうかマーガレット・クアリーめっちゃカワイイね…)。「R.M.F」という謎の単語が3つの物語のタイトル全てにあり、最後の最後で「R.M.F!!!」ってなるww。
めっちゃブラック。

『哀れなるものたち』もまあまあブラックやなと思ったけど、わりに受け入れやすいソフトな感じやったみたいで、本来のヨルゴス・ランティモス監督作品はこんな感じなのかも?気持ち悪いのに観たくなる。変なのにオモシロイ。ちょっと中毒性のあるこの感じ、嫌いじゃないわ…(むしろスキかも)。エマ・ストーンの唐突なダンスも一周まわってナチュラルに受け入れてしまった…(『哀れなるものたち』でエマ・ストーンの印象が変わった)。これはぜひともほかの作品も観なくては…!

『本心』

敬愛する平野啓一郎さんの作品が原作となれば、観に行かないわけにはいくまい…!!11月下旬からの公開だと思っていたけれど、気付いたらもう公開されていたので、時間を確保していそいそと近くのシネコンへ。

どうでもいいけど新メニューでチュリトス売ってたので揚げたて食べた。
おいしかったけどざっくざく咀嚼音がするのでちょっと気ぃ使いました
(ほら、集中したいのに、カサカサ音したりすると、映画の序盤から入り込めやんくてちょっとイラっとするやん)。

「本物以上のお母さまをつくれますよ」

たった一人の家族である母を亡くし、自らも一年近く事故で意識不明の状態から目覚めた朔也。生前、母は”自由死”(自死)を望んでいたらしいことを知る。さらに朔也が眠っている間に、社会は激変していた。そんな激変した社会に疎外感を感じる朔也は、VF(バーチャルフィギュア)の技術で「母を蘇らせる」ことを望む。なぜ母は自由死を選んだのか?母の「本心」を知るために…。

AIで「再現」した人(VF)に心は存在するのか。人の「本心」を知ることは、可能なのか。そもそも、「本心」、「ほんとうの心」とは…?

平野啓一郎さんの作品には重層的にいくつものテーマが折り重なっている。
そのすべてを「映画」という枠の中で再現することは、そもそも不可能だと(個人的にだけど)思っている。だけどこの『本心』は、原作のエッセンス、大切なところを、きちんと掬い上げてくれるような、とても素晴らしい作品だった。

もちろん「時間」という枠があり、平野作品の構造上、細かい点の差異や「ちょっとはしょったな?」的な、軽くツッコみたくなる部分もないとは言えない。でもそれをひっくるめても、この映画『本心』は、原作作品とはまた違ったものでありながらも、原作を読んで感じた感触を感じるものがあった。

主演の池松壮亮さんの純粋すぎるがゆえに不安定な感じはすごく説得力があったし、三吉彩花さんの表情や言葉のトーンでわかる演技も凄いなと思った。
また、序盤に出てくる田中泯さんの存在感や綾野剛さんのインパクト、そして何といっても田中裕子さんの「VF」という存在(「生身の人物」ではない、という微妙な温度の差異)のリアルさよ…!

感情が爆発しそうでちょっとやばかった。

写真や映像にも、簡単にしかも自動的にフィルターや修正がかけられる現在、私が普段見ているものは本当に「本当」なのだろうか?自分の心にも勝手にフィルターかかってない?勝手に修正して、それを「本当」だと思い込んでない?
もちろんそれを否定しているわけではないし、大なり小なりそれはずっと以前からあるものだと思う。でも、それが生活の中、社会の日常に入り込んでいる現在、ほんとうに私は「本当」のもの、そのものを見ているのだろうか?見れているのだろうか?なんてことを感じてしまう…。

パンフレット買おうか迷ってたけど、鑑賞後迷わず購入した。田中泯さんの
「本心」についての一文が、とても考えさせられたし、自分の思う泯さんっぽいな、とも感じてほっとした。もう一度、原作を読んでみようと思う。

そんなわけで永遠に語れそうな(すみません嘘つきましたそれは無理です)2作品でしたが、とりとめなくなるのでこの辺にしておきます。
11月はあと2作品観る予定なので、そしてできればお家でも観たいのあんねよな~なので、それはまた別でまとめたいと思います!


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