「たきび」(新潮文庫『ふなうた』所収)三浦哲郎著 :図書館司書の短編小説紹介
竈の火。囲炉裏の火。仏壇の火。盆の迎え火。野焼きの火。そして、不謹慎ながら、盛大に燃える火事までが好きだったと言う男性。
わかる気がする。私も、火の揺らめきを見るのが好きだった。どんな火でもよかった。
ろうそくの火でも、ライターの火でも、花火の火でも。
本文にも書かれているように、「人間は誰でも火が好き」なのだろうと思う。
気を抜いて扱うと、危険と紙一重の特性を持ちながら、形を一つに留めないあの揺らぎには、不思議と人の心を落ち着かせる効果があるように思う。
それは、小川のせせらぎも同じで、科学的なことを言うと、「1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ」と呼ばれ、人の心臓の鼓動、脈動、生体リズムに、火や水の揺らぎが沿うことで、脳内にリラックスを示すアルファ波がもたらされるためだという。
簡単に言えば、慰められ、癒されるのだ。
自宅でも、穏やかな火によって癒されたいと考えた男性は、退職金の一部を割いて薪を焚く暖炉をこしらえた。
そして、薪の爆ぜるぱちぱちという音に包まれながら、先に旅立った妻の囁きに耳を傾け、追憶に思いを馳せるのであった。
思い起こされるのは、小学生時代のたきびでの事故。
男性は、のちに人生の伴侶となる女性に、癒し得ない傷を与えてしまうのだった。
けれど同時に、その時の罪が二人を結び付けたであろうことも否定できないだろう。
男性は、自己弁護することなく、ありのままを女性に語り、許しを与えられると共に、新たな絆をも結んだ。
そこに読者は、安堵と慰撫を感じるのではないだろうか。
人の心は、人の心によって一番安らぎを得られるのかもしれない。
火の揺らぎの向こうで、人の心の揺るがぬ強さと優しさを感じ取れる、そんな作品だった。