見出し画像

【短編】ある晴れた日の午後10

翌朝は親族一同マイクロバスに乗って告別式の会場に向かった。
大人の遠足みたいだな、と思いながら幼い頃からの通り慣れた道を眺める。途中マイクロバスを見上げる子供たちの団体とすれ違う。
楽しい行事がある訳じゃないのに、皆で連れ立ってバスに乗っている光景は、周りからどう見えるのだろう。

会場についた私達は、各々着替えを済まし会場の人からの説明を受けた。その後は弔問客への対応やお茶出しなどに追われた。
隙あらば祖母を連れ出して喫煙所に行ったり従兄弟とゲームしたりして過ごした。

式が始まると、脳まで響く木魚の音と、お経を読み上げる声が混ざり合い、頭がぐらぐらした。
高熱が出る直前のように身体中に悪寒が走り、身震いしている状態が続いた。
係の人に促されるままお焼香の列に並び、見様見真似の所作をする。その後は弔問客にお辞儀をし続ける人形になっていた。

告別式が終わり、出棺する際は霊柩車に乗るように言われた。
父の遺影を受け取り、膝に乗せると車が出発した。
山の上の火葬場を目指して進んでいく景色を、何気なく見送っていた。

火葬場の空気はひんやりと冷たい。
空は晴れているのに、物悲しい雰囲気と何かが燃える匂いがそこらじゅうに立ち込めていた。

火葬中は熱くて喉が乾くから、お供えの水は絶やさないであげてくださいね。

その言葉を真に受けて、何度も何度も水を汲みに行った。休憩スペースで待つように言われても、一時も離れず、父の傍に居続けた。熱いよね、お父さん大丈夫かな。

糖尿病だった父に対して、祖母は身体中の痛みがなくなったんだからかえって良かった、と呟いた。
慢性的に続く痛みから解放されるという事がどういう事なのか、体が丈夫でそんなに病気をしない自分には想像もしない事だった。

係の人がやって来て、別の場所に集まる様促した。
それは、火葬が完了した事を意味している。
生身の身体ではない父との対面をどう捉えて良いのか、分からなかった。




















いいなと思ったら応援しよう!