可愛邪推
児童養護施設で過ごした幼少期から高校生まで、そこでの記憶といつも機嫌の悪いシスタースガハラの話。天使に〇ブソングを意識して歌うシスターの姿や横柄な態度も今となっては懐かしい。さまざまなタイプのシスターが出てきます #幼少期 #児童養護施設 #児童養護施設出身 #自分と向き合う #大人 #育て方
27才彼氏なしやりたい事なしのふわふわOL通称とりまきちゃんと、様々な分野に挑戦し夢を追いかけて忙しない生活を送るヤマグチ君のお話です。 #小説 #夢 #恋愛 #アラサー #仕事
あなたが生きてきた中で起こした1番の悪事はなんですか?最初は些細な事だったのに、秘密裏に日常を改変していく。
前職で「サイトに掲載された他人の家の写真から、住所を特定する」という業務を担っていました。様々なサイトやツールを駆使して特定にあたるのですが、その際の判断材料として、外観写真の特徴は勿論、周辺情報も割と大事になります。周囲の目立つ建造物や沿道の幅、スクールゾーン等のラインの有無、グループ会社運営の駐車場や擁壁、写真に映り込んでいる情報を基に、範囲を絞っていきます。 そういう訳でその土地土地の成り立ちや、かつての街のつくりに割と興味があったのでした。 特に、ストリートビューは良く活用していたのですが、それらが入り込めない所「私道」と呼ばれる場所にどうやらかつての水の通り道「暗渠」が点在しているらしい、と。 私の暗渠好きはここから始まりました。
日々思う事、疑問に思う事、少数派意見なのか虐げられている時にふつふつと湧く怒りを、誰かに聞いて欲しいような共感してほしいようなそんな独りよがりな雑念を、昇華してしまいたい。 生真面目で頑固で少し神経質な所がある邪推ですが、自分の事、他人の事、大いに考えて発信していきたいと考えております。
他の人より足りてないなと思う事が多く、スタートラインの時点で既にハンデを科せられてる気がいつもしている。 仕事、人間関係、家族、全てにおいて。 そうゆう気持ちはどこまで行ったら無くなるんだろうと思っていたけど、何処まで行ってもとれない。 薄汚れて広がった染みみたいな、どうやってもなくならないそれを、どの様に対処していったら良いのかずっと考えて居る。 先ずは、吐き出す事から始めてみよう。
入所してすぐに行われた儀式は「長い髪を切り落とす」でした。 人数の多いコミュニティでは管理の目が行き届かない場合があるので、児童は画一的に、機械的に管理出来た方が監督する側にはメリットがあります。 ノミシラミ、が出現するような劣悪な環境ではないし、シーツ交換ももちろんあるけど、1人だけ違う、は許されがたいんでしょうね。 施設の子達はみんな同じ髪型をしていました。 後々にこのみんな同じ、に物凄く嫌悪感を覚える事になるのだけど、私も例外なく、同じマッシュルームカットにされました
5歳から18歳まで児童養護施設にいました。 父は、5歳になったらピアノを習わせてくれると言ったのに、何故か施設送りにしたんですね。 その日、教育テレビで苺の苗植えかなんかを見ていて、父に呼ばれるまま玄関の方ままで行くと、義母に向かってお世話になりましたって言いなさい、って頭を下げさせられたんですよ。 地べたを見ながらなんだなんだ、の気持ちでしたけど、それがまさか義母と会う最後だなんて思わないじゃないですか。 ここは私の家だし、私が記憶として留めることが出来た始めた場所だし、
少し歩くと下りの階段があり、足元を照らす照明もアンティーク調でとっても雰囲気があり、私来ても大丈夫かな、と少しだけ不安になってしまう。 手摺づたいに降りていくとまた扉があり、ゆっくりと開いた。すると、受付カウンターがあり、スーツの男性が立っていた。 「こんばんは。どなたのゲストですか。」 「あっはい、祭くんのゲストです。」 「お名前伺ってもいいですか。」 「鳥井茉稀子です。」 「トリイ様ですね。1,500円になります。こちらドリンクチケットです。」 「ありがとうございます。
やつは、一瞬止まって周囲を見回したが、声の出所を特定できない様子で諦めて吸い殻を穴に入れる作業に戻ろうとする。 「おい、おい!!」 たまらずさっきより大きな声を出した。 ベランダの壁と隙間の間から、やつと目があった様な気がした。 「ああ?」 やつがこちらに近づいてきたので、僕は慌てて逆側の完全に死界になる方へ逃げ出した。 しばらくして、恐る恐る下を覗いてみたけどやつの姿は見えなかった。そのまま帰ってしまったのか、わからないけど、怒った顔のやつの顔に恐ろしくなってしまっ
「廊下に立ってなさい」が体罰認定されたのはここ数十年の話だと言われたけど、実際はなくなっていないと思う。 現に今、ぼくは立たされている。 2階のベランダは、通りから少し奥まった所にあってかつ僕の背丈だと外からは見えない高さになっている。これらを巧妙に利用したのはママの凄いところだ。 パパは、時々ぼくがベランダに閉め出されるのを知らない。いつか本当にピンチがくるまでは切り札として取っておこうとしている。 あと、裸足で放り出された時は頭に来たのでゲーム機で足が見える写真とベラン
誰しもが、人には言えない後ろめたい事を抱えて生きている。けれどそれを、意図して実行したかどうかによって意味合いは大きく異なる。 幼少の時に培われたそれは、現代社会下においても健在で、不要なものを排除し粗悪な環境を改変する際実に効率良く働く。しかも秘密裏に。 誰にも咎められなかったから、少しずつ少しずつ刃を研いで居たのに、結局誰も見つけてくれなかった。鋭利な刃物を隠し持っても誰も制御してくれないから。始めはあんなに小さかったのに。 今まで生きてきた中で、あなたがしでかした1
始めての場所に向かう時、私は何度も何度も場所を確認をしてしまう性格なのだけど、友人いわく「最寄り駅まで分かってて、あと確認することある?ストリートビューかなんかで見たら一発じゃん」と笑われてしまった。みんなそうなのかなぁと半ば信じられないのだけど実際はどうなのだろうか。 私は、地図があんまり得意ではないし、勘が悪く二択でも平気で外す。 右と左のどちらに行くか迷った時、 手のひらのどちらかにコインを隠された時、 二択クイズのAかBに迷った時、 賭けに勝った試しが全くない。
転職ネタいつまでやんねん、と思いますよね。今回で最後にして、次回以降からは何かまた違う切り口で発信しないと。いまいち方向性が定まらない邪推です。 さて、ところで転職した事に意味が合ったのか、ないと転職した意味ないよね、転職前より転職後の方が働きやすさや待遇やら優れていなければならない。 だって、にげてきたんですものね、変わってなかったらにげてきた意味がなくなっちゃう。 なのに、いまのところ、前職のいい所しか見えてこないのです。 あんなにやめたかったのに何でかな?!なんて
ピンクの花をもぎ取りミツを吸っては捨てて歩いたのは小学生の頃、今時の子達は花のミツ、吸うんだろうか。 そんな事を考えながら歩いていると、ツツジが咲き誇るこの季節に、決まって遭遇する風景がある。 空を埋め尽くす大量の鯉のぼりとか、茶摘みの全盛期を迎え一面に広がる茶畑の緑だとか、その土地土地の風習はあるのかもしれないけど、関東のその風景は少しだけ様変わりしているという事に気づくのは、もう少し後の事になる。 私達はそれを、「大名行列」と呼んでいた。 ツツジの沿道沿いにカラフルな
転職活動で1番応えたのが、時間に追われながらもエントリーしまくってるのに全然決まらなかった事。 担当してくれた派遣会社の人も、先方の担当者さんもとても良くしてもらったのに選考落ちすると何がいけなかった??人間不信になってしまう…と自分を呪って週末塞ぎ込んでいる風でした。 恐ろしいのが根拠のない自信はあって、完全にお前まだ自分は死なないと思ってないかの状態。 しかしお世話になった人もいれば様子がおかしい人も居て、「声のトーンだけで不採用を告げる死神のような担当者」に1度だけ遭
24歳の時に、たった1人の肉親である父が他界しました。その時の心境を私小説としてブログにまとめていたものと、幼い頃の記憶から受けたものを何とか形にしたいと思い、ネームとか色んなものをすっ飛ばして書き上げました。小説とか小説じゃないとかそんなものじゃなくて、自身が書かないとクリア出来ない問題なような気がずっとしていて、1番最初に人前に提示する作品はこれしかないと思っていました。 次回作からはいよいよ新作やらネームやらちゃんと作ってやりたいなと。 そんな訳でめちゃめちゃ雪女にび
親族一同は部屋に通されて、台の上に載せられた父のものと思われる遺骨と対面した。 係の人の指示で、血の繋がりの濃い順に並べられ、台を取り囲むように配置された。 はしを順に回して遺骨を拾い上げ入れ物に入れていく。 叔父が祖母に向かって父は痩せ型だから骨が少ないだの雑談をしているのを黙って聞いていた。 入れ物にそれらが収まると、私達は一礼をして部屋を出た。 外は、夕暮れが近づいてきたのか一段と寒くなっていた。 気づけば、スーツ姿のままでウールコートをどこかに置き忘れていて待合室
しかしなんだって決まらないんだろうか。 どうしたものか。 前回も説明した通り、後任が決まってないため退職日の目処が立っておらず、「予定では2月末か3月末には辞められます。はい多分。。」 と会社見学会の先方や派遣会社の人を不安にさせてしまう程歯切れが悪く、自身もふわふわしていて本当に辞められるのか不安が顔に出てたと思う。 そして、邪推がエントリーした会社を少し。 ・再エネの会社 ・賃貸関連の会社 ・ ビル管理の会社 ・不動産情報のレポート出す会社 ・法人の与信関連を調べる
邪推が転職を思い立ったのは、もうかれこれ1年程前の事だったのですが、本格的に辞めてやる!と決意を固めたのは11月頃、ある事件をきっかけにもうこの場所には居られない、抱き続けていた嫌悪感が暴発し、制御出来ない所まできていたのです。 指示を受けるだけなのに、もはや怒りと悔しさが溢れてきて、涙が出てきて仕事にならん、もうこの人達の事は誰も(一部の人達とは良好)信じられない。 で、人事部や所属している部署に報告したのですが後釜が居ない事には退職は難しいとやんわり突き返され。 その
翌朝は親族一同マイクロバスに乗って告別式の会場に向かった。 大人の遠足みたいだな、と思いながら幼い頃からの通り慣れた道を眺める。途中マイクロバスを見上げる子供たちの団体とすれ違う。 楽しい行事がある訳じゃないのに、皆で連れ立ってバスに乗っている光景は、周りからどう見えるのだろう。 会場についた私達は、各々着替えを済まし会場の人からの説明を受けた。その後は弔問客への対応やお茶出しなどに追われた。 隙あらば祖母を連れ出して喫煙所に行ったり従兄弟とゲームしたりして過ごした。 式