安楽タヒ
ぐもです。
「競馬は虐待だ。無くせばいい。」
という意見を持つ人間に出会った。
サラブレッドが生きていく為には
競馬という文化を残すしかない。
野生にしておく訳にもいかないし
競馬が無くなれば競走馬は絶滅してしまう。
そう説明すると
「馬が絶滅しようと誰も困らない」
と返答された。
地球的にも、食物連鎖的にも
馬が抜けても成立するのかもしれない。
我々が馬達に生きていて欲しいと願うのも
人間のエゴだと言われれば認めるしかない。
だがそれを言うならば
人間が生きている理由もない
人間が絶滅しても
地球は滅びない。
そして極論、地球が滅びようとどうでも良い。
みんなみんな、自分が幸せだったら良いのだ。
自分の死後の世界のことなど
考えていられる程余裕のある社会では無い。
始めたくて始めた人生では無いのだから
終わり時くらいは自分で決めさせて欲しい。
父親と、母親が
「子供は可愛いから」
「親というステータスが欲しいから」
「自分の老後を守って欲しいから」
あるいは意図していないのにできちゃった
どうせそんな軽々しい理由で
人ひとりの人生を
自分達の一瞬の快楽により始めた。
健康な親ばかりだとは限らない。
遺伝させてはいけない遺伝子を持った親も居る。
ロクに育てられない親も。
問題のある親に育てられた子供の予後など
苦しいに決まっているであろう。
努力でどうこう出来るものでは無い。
それなのにどうして、シャットアウトする方法が
自ら絶つことしか無いのか。
自ら絶とうとすると
必ずしも誰かを巻き込んでしまう。
今日も明日も生きる為に
通勤途中だった人かもしれない。
その選択をした人が
わざわざ誰かを巻き込みたいと
考えているわけではない。
中には憎しき社会への最後の報復として
してやろうと考える人もいるが
そもそも追いやられた精神状態では
赤の他人への迷惑だとか
どうでも良くなってしまう。
安楽〇マシン「サルコー」
というものがある。
調べれば出てくる。
これを使えば、本当に楽に逝けるのかは
誰にも問うことが出来ないが
残された人間の後始末は
電車やロープやビルの屋上でされるよりは
楽であろう。
今現在、終わらせたいと思っていなくとも
サルコがあれば、いざという時の
心のお守りにもなる。
望まない人は、使わなければ良い。
生きたい人だけで社会を回してくれれば良い。
人生親からの手札で決まるのだから
生き易い人、生きづらい人が居て当然だ。
生きたい人だけが残った社会では
生きたい人の中から
更なる弱者を産んでしまう。
そして生きたくない人は次々と脱落する。
その先に起こることが人類の滅亡であろうとも
何が問題なのかが分からない。
現状のままでも、終わりたい人は
自ら絶つ選択をする。
自らすることは悪だと謳われるし
未遂のリスクも伴う。
迷惑をかけてしまう。
終わりたい人が居る限りは
終わり方は選べた方が良い。
誰の為にも。
寧ろ動物を金儲けの娯楽に利用するような
邪悪な人類が地球から滅亡すれば
馬達も野生で伸び伸びと暮らせて
幸せになれるかもしれない。
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