人生初の彼氏と結婚した
生まれて二十数年、誰かと付き合った経験がなかった。そのことがずっとコンプレックスだった。
大学やバイト先で過去の恋愛について訊かれるたびに「彼氏いたことがない」と返していると、その次に飛んでくる言葉が大体予想できるようになってくる。
「なんで?」もしくは「女子校だったの?」
予想はできても、どう返すのが正解なのかはずっとわからない。「なんで(彼氏ができたことがないの)?」なんてこちらが聞きたいくらいだし、中高共学だったけど、共学で出会いがあれば彼氏ができるとか、私にとってはそんな単純な話じゃなかった。
誰かと付き合うって、すごくハードルの高いことだと思う。想像も及ばないくらい。
当たり前に世の中に溢れてる事象だけど、自分の身に起こる出来事だとは到底思えなかった。
だって「誰かと付き合う」の前段階として「誰かと両思い」になる必要がある。
それってとてもとても難しいことじゃないですか?
まず、一段階目。すべての始まり。「好きな人ができる」という一歩目を踏み出すこと。
この「好きな人」って、未だにフワッとした言い方だなあと思う。世の中色々なことが進化しているのに、「好きな人」は十年以上も前から「好きな人」のままだ。「運命を共にしたい人」とかだと、ちょっと重すぎるのだろうか。
「好き」って噛み砕くと、色んな感情の複合体だと思う。嬉しいだったり、寂しいだったり、プラスの気持ちもマイナスの気持ちも包括してる。
十代の頃の私の「好き」は、今だからわかるのだけど「憧れ」と「空想」で100%だった。
見た目がタイプ(黒髪前髪あり、身長はそこまで高くない)で目立つグループに所属していれば、すぐに好きな人の対象になる。サッカー部ならなお良い。
一言も話したことがなくても、授業中、休み時間、放課後、毎日姿を眺めているだけで気持ちは募っていく。
盗み聞きした友達との会話から好きな曲を知ってYouTubeで調べたり、SNSを監視してリプやフォローから女の子関係を漁ったり、本人からすれば結構怖いことをしていた(ごめんなさい)。
でも、その時の私にとっての恋愛はそれが全てで、好きな人の性格を、わずかに得た情報で想像しながら「姿を見たい」「一言でも話したい」と願うだけの日々だった。
両思いになる、増してや付き合って手を繋いだりそれ以上のことをするなんて、現実離れしすぎていて考えられなかった。
周りの友達の「好きな人ができる」行程は、私みたいなものではない。
クラスや部活などをきっかけに距離が縮まり、話す機会が増えてお互い自然と意識し合う仲になる。LINEのやり取りで一喜一憂したり、友達に進展を報告したり。おそらくこの一連の流れが、最もポピュラーでかつ健全な「好きな人ができる」方法なのだろう。
私にはそれができなかった。
何かのきっかけで特定の男の子と話すようになっても、あくまで男友達という感じで、胸をときめかせる対象にはならない。彼らは「現実」だからだ。
私は「好きな人ができる」をしていたのではなく、「好きな人をつくる」という行為をしていたのだと思う。理想に近い人を見つけては、少女漫画のように完璧な姿を思い描き、現実のその人に投影する。その人自身を知って好きになったわけではなく、自分の中で作り上げた空想の性格に恋焦がれる。
なんだか、名前がついていそうな現象だ。探せば出てくるかもしれない。王子様シンドロームとか。
きっと私以外にも、そんな「好き」を持っている人は多いと思う。アイドルに対して抱く感情にも似通ってる部分があると感じる。
その気持ち自体は尊いものであるはずだけど、「誰かと付き合う」のステップに行くための前段階としては、少々異質なのかもしれなかった。
そうやって自分オリジナルの「好き」を重ねていく中で、二十代に差しかかる頃、もしかすると一生誰かと付き合うことなんてないのかもしれないと思い始めた。自分が不細工だからとか、性格が悪いとか、そういうことではない(自己評価は割と高いタイプのため)。「自分が好きになる人」と「自分を好きになってくれる人」が、あまりにも交わらないことに気付いたのだ。
大学の時、デートに誘ってくれる人は何人かいた。最初は気乗りしなくとも、行ってみなければわからないだろうという思いもあり、誘いには全て乗るようにしていた。結果、見事にどれも楽しくなかった。その人が悪いわけではない。恋愛対象として見ていない人間に、恋愛対象として見られることはとても苦痛だった。
いいな、と思う人に誘われることはなかった。
あまりにも周りが彼氏の話ばかりするので、彼氏欲しさにデートに誘ってくれる誰かと関係を進めようと思ったこともある。だけど、好きじゃない男の子との時間が苦痛すぎて「付き合ったらこの時間が毎週続くのか…」という思考に至り、下衆な考えは捨てた。
おそらく私は「理想が高い」というやつなのだと思う。手の届かない人ばかりに憧れてしまう。
「誰かと付き合う」を経験するには、身分相応な恋をする必要がある。
でも、二十年誰とも付き合ったことがないと、逆に「初彼氏」に高いハードルがついてしまって、絶対に自分の理想に叶う人じゃないと嫌だ! と意地に近い気持ちも抱くようになっていた。
そんな中で、今の夫と出会った。
きっかけは街コン(企業が開催する合コン)だった。
当時の私は街コンに偏見があり、実を言うと本気で彼氏を探そうという気はなかった。
友達に誘ってもらって、女性は参加費無料ということもあり、社会科見学気分で行くことを決めた。
まさかそこで自分の運命が変わるなんて、そのときは本当にただの一ミリだって想像していなかった。
初めて行った街コンは楽しかった。
色々な職業の男性がいて、普段は聞けないような話が聞けて、何もかも新鮮だった。
意外とモテそうだなと思う男の人が多いことにも驚いた。社会人になると出会いがないらしい。
夫とは、本来であれば会話が難しい離れた場所に座っていた。挨拶を交わしたのみで、それぞれ違う人と話していた。
私が目の前の男性に「○○というアイドルが好きで…」と話し始めたとき、少し離れた場所にいた夫がこちらの会話に入ってきた。
「えっ!俺も同じ人のファンです!」
驚いたし、うれしかった。先ほどの挨拶のとき、少しいいなあと思ってた人だったから。
きっかけがあって、距離が縮まって、お互いを意識し始める。そんな恋愛のはじまりを、私はここで人生初めて経験したのだった。
そこからは、坂道を自転車で下るような感覚であっという間に物事が先に進んでいった。
私が「付き合う」ということを大それたものに感じすぎて、告白されてから三ヶ月ほど待ってもらったりもしたのだけど。でも、数ヶ月前まで「誰かと両思いになるなんて一生ないんだ…」とくさくさした気持ちになっていた自分からは想像できないくらい、全てが変わった。
LINEのやり取りに一喜一憂した。デートに行くたびに友達に会って報告会をした。ネイルや服装を男の人に褒めてもらってうれしいなんて、初めてだった。
BUMP OF CHICKENの新世界の歌詞「君と会った時 僕の今日までが意味を貰ったよ」が沁みすぎて、ひっそり泣いた。
世界をまるごと変えてくれた夫に、ずっと感謝している。
王子様に憧れていた。
誠実で、やさしくて、上品な人と物語みたいな恋愛がしたいと、ずっと思っていた。でも叶わない夢物語だという自覚もあった。
それが今、叶ったと思ってもいい場所にいる。こんなことってあるんだと、もう軽く百回は感動してる。未だに夫のことを、私が理想を集めて作り出した幻なんじゃないかと疑ってしまう。
「若いうちは遊んだ方がいい」ってよく聞くし、その理論ももちろん間違いじゃないと思うけど、誰とも付き合わない経験が今の夫と出会わせてくれたなら、浮いた話の一つもなかった自分の人生を肯定できる。
出会って十年近く、まだ先はわからないけど、十年前は想像もしていなかった未来に生きています。昔の私へ、どうか少しだけ安心してください。誰とも両思いにならない未来はないはずなので。