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SOUR(京都・河原町)

押しの強い桃香を断り切れず、軽く飲むくらいならばと誘いに応じ、仕事終わりに街に出た。テーブルを挟んで向かいに立つ桃香の背は、レミよりも頭一つ分くらい低いだろうか。こちらを微笑みながら見上げている彼女は、確かに、目も大きく「可愛い」と形容される顔をしているのかもしれない。

「サトル先生と二人になるの、久々ですね」
ブラッドオレンジのサワーを飲みながら、上目遣いで桃香が言う。
「明日朝からオペだから、あんまり付き合えないけどね」
明日のオペは本当だ。時計を見るともう21時を回っているので、2杯ぐらいで解散しても許してくれるだろう。桃香も、年下で見た目は子供っぽいとはいえ、もう4年もやってきた看護師だ。プロ意識は強い。

「サトル先生、本当につれないですよね。前、久美子さんと飲んだんですよね。どうでした?久美子さんおもろいよなあ。仕事もできてええ人ですし。ただ、あの人ヒモおるんですよね。聞きましたか?勿体ないよなあ。私、いくら仕事できても、ああはなりたくないな、と思うんですよ。やっぱり、普通に結婚して赤ちゃんほしいし」
久美子は、桃香が幸せな恋愛をしてきていないことを心配していた。それなのに桃香ときたら、同じ病棟の人間の前で大先輩の陰口を叩いている。久美子のそれも、野次馬根性と言ってしまえばそうでしかないが、もっと他に話すことがあるんじゃないか、と頭に来る。

周りを見回すと、自分よりも若い女性ばかりで賑わっていた。京都という街の特性上、やはり学生が多い。ただ、自分がいた田舎とは違い、皆が思い思いに着飾っていて、必死にこの街や店に溶け込もうとしている。いかにも、桃香が好きそうな店だなと思った。自分一人では来れないような場所だが、彼女といることでなんとか自然に見えるだろう。

ラ・フランスのサワーがあったので、一杯目はそれにした。ラ・フランスは一番好きな果物だ。グラスに果肉が刺さっている。桃香の話にこれ以上付き合うのも、変な期待を持たせてしまうのも嫌だったが、メニューを見ると、飲みたいものがいくつもあり迷ったので、二杯目までは付き合おうと決める。

「で、先生彼女おんの?学生の時はいたけど遠距離で別れたって聞いたけど、今はどうなん?もう京都に来て半年以上やん。外で飲んでたらもてるやろ?」
桃香はどうやら酒に弱いらしい。アルコールが決して高くないはずのサワーを一杯飲み終える前に、顔が火照り、いつもの軽い敬語が抜けている。こちらは、ただの同じ職場の人間として接しているだけなのに、こうして真正面から来られると困惑してしまう。
「付き合っている人はいないよ。今もいない。別に今そういう気はないから。仕事で精一杯。あまり外に飲みに行ったりもしない。コロナでしょ?そんなすぐにできないよ」

変に刺激しないように、一言一言考えながら答える。期待もされたくなければ、ここで喚かれたら面倒だ。さすがに社会人なのだし、そんなことをするとは思わないが、桃香は、予備校生の頃に少しだけ付き合った、別のコースに在籍していた情緒不安定な女に似ている気がする。彼女は確か京都の私大を目指していると言っていたが、今はどうしているのだろうか。あれから、感情の高ぶりが激しそうな女性は苦手になった。

「じゃあ狙っちゃおうかな」と桃香が言い終える前に、次のサワーをオーダーしに行く。キウイの果実がごろごろと入っていて美味しそうだ。やはり、男一人でこんなものを飲んでいたら少し恥ずかしいし、それだけは今日の日に感謝しなければならない。

さっきの言葉は聞こえなかったふりをして、この街に慣れた桃香におすすめの場所を聞くなど、当たり障りのない話で場を何とかやり過ごそうとするが、顔を近づけてきたり、胸をテーブルに乗せようとしたり、アピールに余念がない。確かに、昔の自分であればコロッといってしまっていたかもしれない。しかし、病棟内の恋愛は、結婚まで意識しないと厄介だと聞く。桃香を否定するわけではないが、今は、レミのような大人の女に憧れてしまう。自分とは違う世界で、自分にはできないことを頑張っている女性はどうしても魅力的だ。

急いで2杯目を飲み干し、1時間足らずで店を出た。
桃香は変わらず寂しそうだったが、「明日は非番だから一人で飲みに行く」と、四条河原町の信号を東に渡り、夜の街へ消えていった。
さっきから、レミの顔が頭から離れない。会いたい時に簡単に会えない、この40kmの距離を恨んだ。

お店情報
SOUR(サワー)
四条河原町
バー、立ち飲み
SOUR (サワー) - 京都河原町/バー | 食べログ (tabelog.com)


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