ピッツェリア・マリータ(京都・烏丸)
年が明けて最初の三連休、京都で遅い初詣をしようということになった。いつもは始発からでも座れない阪急列車は空いている。週明けから緊急事態宣言が出るとのことで、人出も減っているのだろう。正月に、「あまり出歩くのはやめなさい」と、母からも忠告を受けた。本当は、府境をまたいだ移動など、やめた方が良いのはわかっている。
烏丸駅に降りると、雪がちらついていた。錦に入っても、人はまばらだ。まずは腹ごしらえ、ということで、サトルと市場を抜けたところにあるピザ屋の前で待ち合わせる。
「寒い中ありがとう」というサトルも、丁度着いたところらしい。彼の首にマフラーが巻かれているところを初めて見る。外の閑散さとは打って変わり、開店時間から間もないというのに、既に席はほとんど埋まっていた。数組しか座れない狭い店内の数分の一を、大きなピザ窯が占拠している。ビブグルマンにも掲載されたというこの店に、サトルは何度か訪れたことがあるらしいが、私は全く知らなかった。見ると、2012年開店とある。私が京都を去ったのと入れ違いだ。
ランチメニューの中から、マルゲリータと、レジーナという燻製のモッツァレラが乗ったピザを頼み、シェアすることにする。せっかくの新年ということで、昼からハウスワインもお願いした。
ピザは、出来立てをすぐに食べてほしいということで、1枚ずつ出てくるらしい。まずはマルゲリータに舌鼓を打ちながら、当たり障りのない新年の挨拶で乾杯する。ほどよいチーズの旨味と、何枚でも食べることができそうな、耳まで美味しい生地に感動を覚えた。
「実家はどうだった?姪っ子だっけ、会えた?」とサトルが聞く。
「うん。コロナってのもあって、生まれたのは秋やったんけど、この前初めて会ったわ。まだ小さくて男の子か女の子かもわからん感じ。それより妹がすっかりお母さんになってるのに驚いたわ。あれだけやんちゃやったのに、不思議なもんやね」
初めての姪に対し、可愛いと心が動かなかったわけではない。けれど、それよりも、正月だというのに育児で忙しなく動く妹の母としての姿に、自分では到底無理だなと感じた気持ちの方が大きかった。妹も、大学入学を機に上京してから27歳で結婚するまで、かなり遊んでいたと聞く。だから、友人の紹介で出会った同郷の男と結婚し、関西に戻ってくると聞いた時は、心底驚いた。そして、2年経って子を産み、もう母になっている。母性が強かったり、早く子供が欲しいというタイプではなかったはずだ。そんな妹に、20代の若さで一人の母として生きていく決断をさせた義弟のことを、彼女は心から好きで、信頼しているのだろう。気ままな独身生活に不満はなかったが、そんなことを考えると少し胸が痛んだ。
続いて運ばれてきた、見た目はマルゲリータとそう変わらない新しいピザからこぼれおちた、スモーキーなモッツァレラを頬張る。「サトル君は年始早々からお仕事ご苦労様」と労いの言葉をかけ、今日これからの予定を話す。あまりの美味しさに、もう1枚頼んでも良かったね、と二人で笑い、ワインを追加する。
食べ終えて店を出て、四条通を祇園方面に歩く。私が大学生の時には狭かった歩道は、数年前からかなり広くなって、歩きやすくなった。増え続けるインバウンド客を意識したものだろう、そのやけに広い道幅が今は寂しい。卒業して10年近くが経つが、その間、京都に来るのは年に一回あるかないか位だった。当時は全く知らなかった男と肩を並べて歩く街は、懐かしくて新しい。そして、底冷えの痛さが、久しぶりの恋にも似た高揚感を刺激する。
学生時代は、毎年1月1日の深夜に、タクミやバイト仲間と連れ立ってここに来ていた。目を離してしまったらもう会えないのではないかというほどの人混みだったことが昨日のことのように思い出せる。今日は、日をずらしているからなのか、外出自粛の影響からなのか、すいすい前に進めることに驚いた。あれだけあった屋台も数えるほどしか出ていない。絶対にはぐれることはないのに、サトルは私の手を握っている。
八坂神社の裏道を抜け、知恩院の方に入ると、話し声が聞こえるほどの距離には誰もいなくなった。
「妹さん、確か俺と同い年だっけ。それでもう一人の母親として頑張っているの、凄いな。俺も、将来子どもは三人欲しいなんて考えてるけど、やってけるか不安だわ」
とサトルが言う。そう言えば、付き合ってもいない男女がする話でもないし当たり前なのだが、将来の家庭、のような話題が二人の間に出たことはなかった。子どもは三人、という、私からすれば民間人が宇宙に行くレベルに想像の範疇を超えた発言に驚く。
「三人か。凄いなあ。サトル君ならいけるんちゃう。子どもたくさんいても生活に困ることはないやろし。でもそれなら早くせんとやね」
私は、まだ子どもが欲しいと思ったことはない。妹のように、この人の子どもならば産み育てたいと思えるような、心から愛せる人が現れたら変わるのだろうか。あまりにも自分と真反対の将来展望に、他人事な答えしか返せない。
拝観を終え、街に引き返す。知恩院からの帰り道の階段は、祇園の繁華街へ続いている。昔、タクミが1年先に卒業し上京してしまった喪失感で、飲み屋で知り合った適当な男と付き合ったり付き合わなかったりしていたころ、同じように知恩院からの階段を降り、まばらに煌めくネオンの街へ向かった記憶が蘇る。あの日は夜で、確か今日のように雪がちらついていた。もうその時の彼の下の名前も顔もよく思い出せないが、京都の街は、やはり私の中の何かを揺れ動かす。
今夜もサトルのところに泊まることになっている。既に三回夜を過ごした男女にとって、その流れを前もって決めておくことは極めて自然で、取り繕った言い訳や理由などいらない。この街で過ごした遠い日々も、確かそんな感じだったなと思い出す。しっかり握られた手は外気の割に暖かく、彼の見た目に似合わず分厚く男らしい。
そのまま並んで街を歩き、河原町に戻る。寒いしどこかでお茶でも、と話している時だった。サトルが急に怪訝な表情になった。向かいから、この寒いのに着物に簡単な羽織をかけただけの若い女の子2人組が歩いてくる。
「あ、サトル先生!よく会いますね」
背が低い方が、サトルに話しかけてきた。
お店情報
ピッツェリア・マリータ
京都・烏丸
ピザ店
ピッツェリア・マリータ (PIZZERIA MARITA) - 烏丸/ピザ | 食べログ (tabelog.com)
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