教えてはならぬ。教えたところで聴く耳をもたんのだ。はいはい、といいながら立ち去るのがいい

 最初に浪曲に触れたのは中二の頃、蓄音機で。SP盤の浪曲はその他山ほどある。戦時中に作られた戦時浪曲愛国浪曲も五万とある。戦後、しばらく経って一気に衰退する。古道具屋が「もうこんなものは売れない」と、SP盤を全部叩き割ってゴミと捨てた話は各所で何度も聴いた。オリジナルSP盤にそんなに価値はない。古道具屋で「いいSP盤のコーナーがあるな」と立ち寄ると大体浪曲。きっとこれからも買うやつはあらわれない。浪曲界もいろいろ工夫をして生き延びているが、内容はとても面白いのだが、まあ今後も復興は無理だと思う。

 古道具屋の似たものに「おー!これはすごいな真空管の山」と近づくと、全部使い物にならんテレビ用真空管(新品)。無理してそんなもん使う必要もない。アンプはデジアンで十分よい。たまに真空管アンプ激推しの人らがいるが、基本オカルトだと思っておけばいい。そして教えてはならぬ。教えたところで聴く耳をもたんのだ。はいはい、といいながら立ち去るのがいい。この分野に限らず、オカルトの連中は全員そう。伝えたところで逆に敵意むき出しで詰めてくるところも同じ。狂信者ってのは全部同じ行動をとる。全ジャンル、全てで同じ。

さすが清水(カワイ注 以下同 清水次郎長のこと)は大立者 急きも慌てもするものか 落ち着き払って物語る(愛妻のお蝶の焼香場に置いて、裏切り者の保下田久六の話をする)

聞いた武蔵屋周太郎は 気が短いからたまらない(この気の短さは虎造『お蝶の焼香場』にて、次郎長に半笑いで「おまえは石松(森の石松。バカで有名)の大きいんだ(おおきくなったようなやつだ)。おまえは人がいい、すごくいい、あ~あ、いい」と茶化される場面がある)

立ち上がれば大きな声 「さあ集まるみなさんよ(お蝶の葬儀に幕末のバクチうちがほぼ集まっている) 保下田久六は悪いやつ もしこの中に久六と付き合いのある人は今日から私は物言わぬ」 言えば大勢の中から五六人 声を揃えて「待て武蔵屋。俺と久六は兄弟分……」
「なに?(怒声)」
「兄弟分には違いはないが そんなやつとは知らなんだ。今日から野郎と物言わぬ。途中で逢ったら喧嘩をする。久六の子分とみたら命を取る。」
そうだそうだと一同が声を揃えて騒いだ折……。

このあと、床下に潜んでこのやりとりを聴いていた久六の子分がその内容を細大漏らさず伝え、そのまま子分をやめて立ち去ってしまうという、浪曲清水次郎長伝『久六とおしゃべり熊』より冒頭部分を抜粋。武蔵屋周太郎、この前の部分にも出てくる。とても面白くていいやつ。


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