九条武子って誰やねん?和歌の名手ですがそれだけじゃありません|社長の弘道館留学
九条武子って誰やねん。それは普通の反応だと思います。明治期の歌人、そして京都女子大学の創設者のひとりです。※1
正直なところ、わたしも弘道館留学をしていなければ九条武子のことを知ることはなかったです。実は初回受けたときは「九条武子の会」とだけ認識しており、何をするか知らずに参加しました。留学生として全講座を受講するということにしているので、知らないことに半強制的に触れることができる。このことが価値のあることだと、最初の1ヶ月の振り返り会をしたときに感じました。
その勉強会とは何をするかというと、武子の活動した実績、時代背景、周囲の環境や関係性のこと。そして武子が読んだ和歌を10〜20首ほど先生が選び持ってきて下さり、参加しているメンバーが順番に音読していきます。さらに読んだ人が自分の解釈を考えて語ってみます。そうすると先生が武子の背景の補足情報などを教えてくださいます。そういう背景があるとしたら、こういう風に解釈もできそうですね、というような意見交換を参加者同士でしていきます。意見交換という固いものではなく、日本的にいえば、おしゃべり会といったほうが印象に近いでしょうか。それでも、自分以外の解釈が聞けることはすごくおもしろい。
私がほぼ九条武子のことを知らずに、この日読んだ和歌、この日仕入れた知識のみで、一番気に入ったのはこちらの和歌。
「春ながら 海に帆舟の かげもなう いその小貝に さむき雨ふる」
情景描写としては、暦の上では春になったというのに、海には華やかな様子もなく、むしろ舟のひとつも見えない。さらに浜(磯)の貝に冷たい雨がしとしとと降り注ぐ空気。とても哀しげで寂しげな歌ですが、すごく絵が浮かんでくるところが美しい。ただ寂しいだけでなく、静謐で、とはいえ、海の波、雨など微細な動きが感じられるんですね。寂しげだからこそ、感覚が研ぎ澄まされて、些細なところまでも敏感に感じてしまう。そんな風に私は想像しました。
和歌を作ったのなんて、中学とかくらいが最後だったでしょうか。私は弘道館留学で「ちゃかぽん」を一通りやるのですが「和歌」も自分で詠んでいく実習もしていきます。ああなるほど、こうやって、情景描写をしたり、心をそこに投影させたりするのだな、というヒントを得られました。
九条武子って誰やねん。から参加した勉強会でしたが、1時間半後くらいには、そこまでのことは自分の気づきになっていました。知らないことを半強制的に学ぶカリキュラムの意味は「知との出会い」であり「アンテナの受信範囲を広げること」ということなのかなと、これも1ヶ月の振り返りのときに弘道館留学の効果として、弘道館館長の濱崎さんにご報告したことです。
このあと、私は、北野天満宮へ献歌するために、和歌をつくることになります。その話はまたこんど。
結局、過去の日本のことは知らないことだらけ。社長の弘道館留学は、「時空を超える旅」であると感じています。
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