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賢者の検索エンジン最適化/1兆PV狙いのSEO

SEOがここ十年ばかりで一般化された。
SEOとは「検索エンジン対策」ないし「検索エンジン最適化」と訳される。
要は、Googleの検索エンジンに自身のサイトを優先的に表示させる方策のことだ。
少しだけ広い視野で捉えれば、ネット上で発表した作品を出来るだけ多くの現代人・・・に見てもらう技術のことだ。

ところで何故、一般人にもSEOが喧伝されるようになったのだろうか?

それはSEO以上に大切なものが発見されたからだ。

1億アクセス向きの検索エンジン対策


ところで何故、一般人にもSEOが喧伝されるようになったのだろうか?

それはエスタブリッシュメントの間において、
検索エンジン最適化以上に有意義なものが発見されたからだ。

だが、いまのところはそれは置くとして、
せっかく大衆化されたのだから現在におけるSEOについてしばらく語ってみよう。


一日100万以上のアクセス数がコンスタンスに欲しいなら次の方法論がおすすめだ。

まず、未来日時設定を行ったサイトから、複数リンクを本命サイト一箇所に集中させる。


      2400年  
       ↓リンク 
2300年→ 本命現在記事  ←2600年 
  リンク ↑   リンク  
      2500年

未来日時サイトから複数リンクを本命記事にとばす

これだけでいい。

これで本命記事の検索エンジン上の評価順位は「常に」上位に来る。

20年前に有力だった手法だが、驚いたことに実は今も有力だ。


未来日時設定ができない、、って?

創るんだ!!
自分でサイトを作るの!!!
そんくらいの手間暇惜しんでどうすんだ!!




愚者の検索エンジン対策

検索エンジン対策の問題点は、検索エンジンのご機嫌を取ろうとするあまり、文章ないしコンテンツそのものが拙くなるということだ。

例え検索エンジンで最上位に表示されても、内容が拙いものであれば人々を動かすことはかなわない。

もし仮に、読者が「この時代限定で」「ある言葉限定の」「お山の大将」になりたいならそれでいいだろう。

だが内容が拙い内容のコンテンツで上位表示されても、人々を動かすことは出来ない。

人々を動かすには、もっと洗練された検索エンジン対策ないし検索エンジン最適化が必要なのだ。




SEOという現代の恥部


文字の発明によって思考が可視化された。

思考とは「思」と「考」の一蓮托生。
         ↑       
今まさに筆者の「思考」が文字によって可視化されて読者の目から頭に飛び込んだ瞬間だ。

文字によって人は思考を宙に飛ばし、思考に時を駆ける翼をも与えた。
文字によって物理的に離れた人に思いを伝え、時間的に隔たれた人に考えをぶつけることが出来るようになった。

この偉大な「文字」を検索エンジンのご機嫌とりだけに使うのはあまりに格好が悪い。

そんなことをやっている御仁を1万年後の人々は記録しようとも記憶しようとも思わない。

自分のためだけに、文明を消費して堰き止める。
それまで悠久の時をかけて築かれた文明を、ただPV増加という自己顕示のためだけに消費して尚且つ停滞させる。
そしてその事に思い至らない。
未来において白眼蔑視の対象ではあっても、決して尊敬されることはない。

文明の見地からながめればSEOは生産性が極めて低い。
文明という文脈で見たとき、検索エンジン対策に血眼になっている御仁は愚物以外の何者でもない。

つまり、検索エンジン対策とは未来を捨てることに他ならない。



賢者の検索エンジン対策


では、どうすれば良いのだろうか?

すこぶる簡単な話だ。

良い文章をつむげば良い。

目先の検索エンジン対策など度外視して、良い文章を書き、持てる叡智を未来に向けてつむいで伝える。

それだけで良い。


読者は次のように感じたことはないだろうか?

自分の方を向いてくれている文章に好感をかんじる。
自分を無視している文章に嫌悪を感じる。

文章の方向と感情

私は自分の方を向いてくれている文章に好感を持つし、
自分を無視している文章に嫌悪感を抱く。

恐らく、これは万古普遍な人類の営為だ。

それを念頭に置くと、
目下大流行しているSEO対策の講じられた文章はどうだろうか?

SEO対策の講じられた文章というのは、向いているのが検索エンジンだ。
SEO対策の講じられた文章というのは、読者の方を向いていない。
SEO対策に血眼になっている文章というのは、未来へと叡智をつむぐ力が皆無だ。
だから、SEO対策に血眼になっている文章というのは、未来の読者から見て嫌悪感の塊だ。

一過性の流行に過ぎない検索エンジンのご機嫌をとった文章。
かつて王様のご機嫌をとるためだけに書かれた文章同様に、未来で称賛されることはない。
未来の人々ではなく、ひたすらに検索エンジンを向いてご機嫌をとった文章。
ただただ白眼蔑視の対象になるに過ぎない。

現在においてそんな文章が大量に量産されている。


だからこそチャンスがある。


未来の読者を向いて文章を綴れば良い。
未来へとパスを出せば良い。
それだけで、その文章は未来から必要とされる。



言の葉の方角


「いいね!」だとか「スキ!」だとか「PV」が欲しいならば、いくらでも方法はある。

      2400年  
       ↓リンク 
2300年→ 本命現在記事  ←2600年 
  リンク ↑   リンク  
      2500年

未来日時設定と被リンク数による検索エンジン最適化

この未来日時設定プラスαのSEOはめっぽう完成度が高く、応用すればいくらでも検索エンジンを惹きつけることが出来る。

だがこのSEOには重大な問題がある。

重大な問題とは、
未来からのパスが現在に向かっているということ。

文明の要諦は、過去から現在、現在から未来へと言葉を用いて叡智をつむぐことだ。
ところがこのSEOでは未来から現在へと叡智が逆流している。

他にも数多のSEOがあるが、押し並べて問題点は同じ。
SEOとは未来へのパスではなく、自分へのパスなのだ。
自己顕示のためだけに、資源を浪費する。

それは文明の見地から見て蛇蝎の如く忌避されるものである。



良い文章は未来を向いている


良い文章を書けば、未来から必要とされる。

これは理屈としてわかるはずだ。

では、良い文章とは何なのだろうか?

この答えも実はたいへんに簡単だ。

良い文章とは未来を向いた文章である。

未来の人々が読んで理解できる文章だ。
未来の人々が読みたいと思う文章だ。
未来の人々が欲しい情報が載っている文章だ。

誰かに媚びている文章は忌避され淘汰される。
王、貴族、独裁者、検索エンジン…
叡智を未来へと伝えるのではなく、媚を売る言の葉。

ただでさえ媚を売るという行為は格好悪いのに、
IT社会にあっては、その行為がデジタルコンテンツという形で半永久的に未来へと残る。

格好悪さの永久保存だ。

SEOとは格好悪さの永久保存なのだ。

百年後には、オンライン上は格好悪さの永久保存版だらけになっている。

だから、
そこに未来を向いた文章がポツンと咲いていたら、未来の人たちは喝采をもって掬い上げてくれる。

未来の検索エンジン未来の人々😉は未来を向いている文章を決して見逃さない。


したがって、
未来を向いた文章をつむげば、
つまり良い文章をつむげば、
それだけで未来からの歓待を受けられる。

未来を向いた文章そのものが至上の検索エンジン最適化となるのだ。

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