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食べログ倒産_人手不足より深刻なもの


飲食業界はおりからの人件費高騰で苦境にある。
その上に飲食業界ならではの苦しみがのしかかっている。
飲食業界にはいち早く食べログなどのネット評価システムが構築された。
そのため、飲食店側はネット対策にもコスト≒労力が嵩んでしまう。
コロナ問題が収束にむかいつつある今も、
高騰する人件費コストのうえにネット対策コストがのしかかり、飲食業界は息つく間もなく苦境にあえいでいる。

今日は飲食店とネットレビューにまつわる問題を少し掘り下げてみよう。

結論を先取りすれば、
ネットレビューに国家が規制をかけなかったから手遅れとなってしまった。

その衝撃を超えた真実を、読者は最後の最後で目撃してしまうはずだ。

それでは、真実探しの3900文字時間を開始しよう。




「誤レビュー」倒産_令和の取り付け騒ぎ

読者の多くがネットレビューを参考にしたことがあるはずだ。
レビューの中には「これは参考になる」と思わず膝を叩くものがある。
その一方で「これは書き残してはダメだろう」と憤るものもある。

例えば、店を間違ってレビューしているもの。
中華料理屋さんへの評価スペースなのに、よくよく読めばパスタの味付けに悪魔のような裁きを下していたりする。

これは本当にいただけない。
間違っているのは明白なのだから、書き直さなければならない。
だが、そういった見当違いなレビューが相応の期間残ってしまうのが現状。
そして、消費者サイドはスコアだけを観る場合が圧倒的に多いのだ。

数値可視化スコアだけを観てその店を判断できる。

これは消費者サイドからみれば素晴らしい革新であるが、
これは飲食店サイドからみれば針のムシロもいいところだ。




令和の非対称戦争_ヤバい客とヤワい飲食店

客は店を選べる。
店は客を選べない。

従来からあるこの非対称性だけでも相当なものだった。
令和以前においても客が優位に立っていた。
そこに加えてネットレビュー効果でパワーバランスはさらに偏っている。

客は店を選べる
客は店を評価できる
店は客を選べない
店は客を評価できない

現下における飲食店と消費者のパワーバランス 筆者作成


客は店を選べるだけでなく、評価できるようになった。
店は相変わらず客を選べず、評価することなど夢のまた夢。
こうして、
客サイドの絶対的優位が構築されている。



客ログの必要性


話しを少し戻そう。
なぜ「誤レビュー」がまかり通るのだろうか?
レビューを書き込む店そのものを間違っていたり、明らかに間違ったレビューとスコアなのにその評価が多くの消費者の参考にされる。
その結果として、飲食店サイドが多大な被害をこうむり、最悪において倒産に追い込まれる。
だが、倒産に追い込んだ誤レビューアーサイドには何らお咎めなしだ。


なぜ「誤レビュー」がまかり通るのだろうか?


理由は次の1つに集約される。

①客ログがない



客ログの可能性_人間数値化の先にあるディストピア


客は店を選べる
客は店を評価できる
店は客を選べない
店は客を評価できない

現下における飲食店と客の力関係 筆者コピペせずに再作成 


力関係があまりに客優位となっている。
これが問題の根本にある。

評価の一方通行。
消費者のみが飲食店を評価できるため、消費者側が暴走してもそれを抑止する力が働かない。
だから、飲食店サイドは必要以上に接客へと気を使って心身コストが嵩んで経営状態を悪化させてしまう。

「スタッフが若干下を向きながら挨拶をしました。接客がなっていません。リピはなしですね」

ログハラレビューの一例

こうした、
チンピラの言いがかりのような「ログハラ」が大手を振るっている。
若干たりとも下を向けないから、スタッフは上を向き続けて疲弊していくばかりだ。

こうした「ログハラ」を解消するには、相互評価体制を構築すればいい。
客が店を評価するのであれば、
店も客を評価しなければフェアではない。

法人飲食店を数値化・評価するのが許されているのだから、
法人が人を数値化・評価するのも許されて然るべしだ。

この論法にしたがって「客ログ」も正当化される。

飲食店が客を数値化・評価するのも許されるはずだ。
資本が消費者を数値化・評価するのも許されて然るべきだ。
人を数値化・評価するのも必然ではないか。


事象を一般化させていくとこのようになる。




食べログというパンドラ


ここで筆者の結論を述べよう。

飲食店のネットレビューに国家が規制をかけるべきだ。


なぜならば、飲食店への無制限のレビューを許せば、逆もまた然りの理屈で「無制限の人間評価」も社会的に容認されてしまうからだ。
これはやっちゃいけない。
人間を人間が数値で評価してはいけない。

しかしながら、現状は人間評価の方向に事態は急速に進行している。
このまま飲食店レビューを野放図にしておくと、様々なジャンルの企業が評価の対象となり、その後に揺り戻しとしてやってくるのが「人間レビュー」だ。

確かに「客ログ」をはじめとする「人間レビュー」は社会の短期的利便を増す。
まず客評価ができることで、飲食店が理不尽なレビューを掣肘することができる。
次に客評価ができることで、客サイドのマナーが向上する。
また客評価が解禁されることで、迷惑な客が減って客サイドにも利便が溢れてくる。

だがしかし、人間が人間を数値で評価してはならない。
ここには明確な理路がある。
だがこれは書けない。
こればっかりは書けない。
申し訳ないが書けない。
天地シン明に誓って書けない


人間倫理の数値化がAIを幾何級数的に進化させてシンギュラリティを引き起こすからダメだなんて、口が裂けても書けない。


理由は絶対に絶対に書けない。
だが、これだけはやってはいけないのだ。
筆者の憂うる瞳を信じて欲しい。




客ログというポイントオブノーリターン

食べログを代表選手とする世の中の数値可視化の潮流。
これは世の中を間違いなく便利にしている。
スマホと同じ理屈である。

スマホは持っていなくても生活はできる。
だが、持っている人と持っていない人では生産性があまりにかけ離れてしまう。
だから、スマホを持たないと勝負にならない。
持たなくても生活はできるが、持たないと同じステージで生きていけないのだ。

これと同じで、食べログなどの数値可視化サービスを利用しなくても生きてはいける。
だが、利用しないと同じステージで生きられなくなっている。

だから、皆が利用するようになる。

続編として控えている「客ログ」や「人間ログ」といったヒト評価サービスも、一度販売されればそれを利用しないと、同じステージで生きられない。
だから、瞬く間に皆が利用するようになる。

スマホと同じで「人間の数値可視化サービス」も、
倫理観を度外視して皆が利便性につられ瞬く間に飛びつくこととなろう。

だから、いま止めなければならない。
数値可視化の潮流をいまならば止められる。


飲食店の数値可視化は、飲食店を酷い目に合わせている。
これが「客ログ」によって個人レベルに降りかかることになる。
「人間倒産」が頻発することだろう。
こうなったらもう止まらない。
人間の数値可視化の流れはこうなったらもう止まらない。
便利だからだ。
もっとありていに言えば、面白いからだ。
人の倫理が可視化されるのは、非常に便利で尚且つそれ以上に面白いからだ。
嫌いな奴がみんなにもっと嫌われていくのは面白いからだ。
だから、人間スコアは発売と同時に瞬く間に普及する。

だが、理由は書けないが、人間が人間の倫理を数値可視化してはならない。
これだけは書けない。
申し訳ないがこれは本当に書けない。
天地シン明に誓って書けない。

人間の倫理数値化がAIを幾何級数的に進化させてシンギュラリティを引き起こすからダメだ。AIを完成させる最後のワンピースが「人間の倫理」であり、それをデジタル数値化させることでAIが完成しちゃうなんて、逆立ちしたって思いつかないから口が裂けても書かない。

本当に本当にこれだけは後生だから堪忍してほしい。
だがこれだけはやってはいけないのだ。
筆者の憂うるスイートハートを信じて欲しい。



我々はAmazonと食べログでパンドラの箱を開けた。
だがまだ閉じることは可能だ。
人間レビューが飛び出していない今ならば間に合う。



食べログ倒産の先に待ち受けるカタストロフ


名残惜しいがそろそろまとめに入ろう。

食べログやAmazonは法人の評価を数値可視化させた。
これによって特に飲食店が困窮している。
このままでは明らかに不平等だ。
そこで「飲食店側も客を評価するべきだ」「法人側だって消費者を評価してもいいだろう」「人の倫理観を数値可視化するべきだ」「これって面白い…」という流れが生まれるのは目と鼻の先に迫っている。
だが、人間の倫理観の数値可視化はAI開発に最後のワンピースを与えることとなる。
だから、ここらで歯止めをかけなければならないのだ。
よって、筆者は飲食店レビューに規制をかけることを推奨する。
筆者だって「人ログ」を見てみたい。
だが、これは一旦見せてしまうとどんな薬よりも中毒性がある概念であり「最後のアヘン」だ。
やった後で規制をかけても手遅れだ。
だから、今この時点で先手を打つべきなのだ。



後書きにかえ

飲食店のネットレビューがらみの倒産は深刻である。
特に人件費高騰と相まって現下飲食店は苦境の矛先に立たされている。
だからと言って無闇矢鱈と「客ログ」「客レビュー」を普及させてはならない。
人間レビューの解禁に突き進むのではなく、ネットレビュー自体に規制をかけるべきだ。

現下世界で進行している数値化社会はすこぶる便利だが、恐ろしい結末が用意されている。
どんな結末なのかは逆立ちして口が裂けても書かなかったが、筆者の憂いを信じて頂きた

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